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小雨の午後の水辺の出会い

 ユリオン・ヴィーツの正式稼働の記念の一件目は肉屋の配送の手伝いだった。これは悪い案件でなかったが、納品先で搬入と荷受けの補助があった。


「うちの配送は軒下渡しまでですよ? これは業務外ですよ? しかも階段だ! おまけに三階だ! 旦那、これは追加料金ですぜ?」


 ぼくはこれをぶうぶう主張したが、まあまあの一言で押し切られた。そして、報酬は素の値段、二トーズだった。当社の秘密のブラックリストに肉屋の名前が加わった。


 この後、ちょろちょろと小口のオーダーが入って、昼までの売上は五トーズになった。約五百円だ。飲み物代とおやつ代で消えてしまう。当市の庶民のエンゲル係数は強烈である。建設現場や道路工事の日雇いの方がマシだ? しかし、がちがちのブルーカラーの丸一日の手当てが一スーンだ。報酬はそう劣後しない。あと、力仕事の体育会のノリがぼくの性に合わない。


 飲食の配送、純粋な『出前』の需要は当市では一般的ではない。食費に配送費が加わると、庶民の財布が溶けてしまう。「お店のようなほかほかのおいしい料理をお届けします!」という競合他社の売り文句は通じない。パン、ハム、チーズ、生野菜のランチセットのどこにほかほかの要素があるか? たまのスープは常温、ビールも常温だ。


 そんな事情から出前の案件はまれで、物品の配送が主だ。店から店、業者から業者。これには高確率で搬入や雑用が後付けで加わる。それは当社の業務の範疇ではない。まさにニホン式のサービス残業だ。そういういかがわしいことをロハでやる精神はプロの辞書には存在しない。対価をきちんと頂くのが玄人であり、搬入の商品から自主的な現物支給をこっそり行うのが達人である。


 結果的にぼくは食うには困らないが、稼ぐにはやや苦戦する。アパートの敷金礼金家賃前払いの百スーンが無限の旅路のように思える。厚かましいぼくも神殿の宿坊には女の子を呼べん。これは切実である。


「あー、空から金が降ってこないかな?」


 ぼくは川沿いのベンチに腰掛け、朝のパンののこりとベーコンをもぐもぐ食べながら、ナグジェの秋の空を見上げた。あいにく金の雨は降らず、水の雨がぽつぽつ降って来た。ナグジェの街並みと石畳がしっとり濡れて、川面がさざめいた。詩情がひとしおだ。気分はもうヴェルレーヌかロンサールである。


「あー、この人だ。ようやく会えた」


 そんな台詞がにわか詩人を現実に引き戻した。


「ぼく?」


 ぼくはぎくっと驚いて、背後を振り返った。一人の青年がベンチのそばにいた。二十半ばの優男風のおしゃれな男だった。


「ええ、あなたですよ、お兄さん。そんな乗り物で走り回るのはお兄さんだけだ」


 青年は服の水滴を払いのけながら東屋の中に入って、ぼくとゼロ丸を交互に見つめた。


「お兄さんね。ぼくはきみのような若い弟を知らんけどな」


 アラフォーは些細な言葉の綾に拘って、妙に気さくな相手に言い返した。


「あなたは有名人ですよ。謎の乗り物で走り回る謎の人だ。というか、おれの言葉が分かりますか?」


「言葉は分かるが、意図は分からん」


「へえ、意外だ。ナグジェ語がわりと上手だ。外国の方ですよね?」

 

 青年は厚かましい積極性でぼくにぐいぐい迫った。


「ほれ」


 ぼくはリュックから観光ビザを取り出して、それを相手の鼻先に突き付けた。


「ほう、タロッケス・ヤダムさん。ニホン・ズィーパンという国の方だ。おお、観光ですか。我がナグジェへよくぞいらしゃいました!」


 青年は冗談めかして言いながら、上品に会釈した。


「きみは地元の子だ?」


「そうです。ナグジェ生まれ、ナグジェ育ちです」


「ふーん・・・あ、もしや、お仕事のご依頼ですか?」

 

 ぼくは姿勢を正した。


「いや、そうじゃない。おれはあなたに会いに来ました」


 青年はそう言いながら、ゼロ丸をちらちら見た。ぼくは理解した。この男の真の目当てはこのお兄さんではなかった。


「いやいや、全くそうじゃない。きみの本命はこいつだ」


 ぼくはゼロ丸を軟派男の目から隠した。


「あ! 分かります? そのステキな乗り物は何です?」


「ステキ?」


「ステキもステキ。ほら、そう、おれの目はたしかだ。その機械の加工精度は尋常じゃない」


 青年はぼくをぐるっと回り込んで、ゼロ丸のギア部分を覗き込んだ。


「きみは何だよ?」

 

 ぼくは呆れた。


「失敬! おれはベインと申します」


 青年は態度を改めて、流麗な所作で名乗った。身なりとオーラはそこらの庶民や平民よりぜんぜん上等で、貧乏くささが全くしなかった。


「貴族の旦那?」


「ははは、お世辞が上手だな。おれは鍛冶屋の息子です・・・いや、親父が死んじゃったから、おれが大将だったわ、ははは」


「鍛冶屋? 職人さん?」


 ぼくは素直にへえと感心して、この人物に一抹の興味と一筋の予感を覚えた。

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