50 不満爆発
アイラは昼からの授業中、食堂でのマティスとの出来事を考えていた。
――クラスが違うのになぜ今世で私を誘ったんだろう。
マティスのクラスにはいくらでもマティスとチームを組みたい子はいくらでもいたはずだ。サラとカミールは、
「アイラは他の女子と違って好意を寄せているわけじゃないからじゃないの?」
「だね。それにアイラは後ろ盾がないから、変に勘違いされることはないからだと思うけどね」
と言うが、前世のことを考えると素直にそうだと思うことが出来ない。アイラを誘った時のマティスの顔は前世でアイラに好意をよせていた時に見せていた顔だったのだ。
――気のせいよね。大丈夫! 今回はあまり接点を持たないようにしているんだもの。前世のようにはならないわ。
そう思うようにするが、気が重い。アイラは「はあ……」と机にうつ伏せになる。するとそれを見た教師がアイラへと注意してきた。
「こら! アイラ! ちゃんとしなさい。殿下に誘われたから浮かれてるんじゃないぞ」
アイラは驚きバッと顔を上げる。
「なぜそれを……」
「そういうものはすぐ広まるものだ。だからこれからは行動に気をつけなさい」
それは貴族の者達にという言葉が言外に含まれていた。
「気をつけろと言われてもなー……無理でしょ」
前世で嫌というほど経験してきたからわかる。自分に非がなくても、気に入らないと思った人間はあら探しをし、何かしら難癖を付けてくるものなのだ。
それはすぐに訪れた。
アイラが職員室へと行く途中、足を引っかけられ転ばされた。
「あら、ごめんなさい」
わざとらしく言って女子生徒は去って行った。アイラは嘆息し立ち上がると、何事もなかったように職員室へ向かう。だが職員室の扉を開けようとした時だ。今度はバケツをひっくり返した量の水が頭から降ってきた。魔法で水をかけられたようだ。
「……」
すると、後ろでクスクス笑い声が聞こえてきた。振り向けば女子生徒3人がこちらを見て笑っていた。だが相手にしない。これは前世からの教訓だ。
――これくらいどうってことないわ。
アイラは前に向き直るとそのまま職員室の扉のノブに手をかける。すると扉が開き、ジンと鉢合わせになった。
「アイラ?」
だがすぐにアイラの格好を見て驚き目を見開く。
「どうした? びしょ濡れじゃねえか!」
「あ、大丈夫なので」
アイラは何もなかったようにジンの横を通り過ぎようとしたところで腕を捕まれ止められる。そしてジンはアイラの腕を掴んだまま、職員室の外を覗いた。するとアイラに水をかけた貴族の女子生徒達と目があった。だがジンに気付くとそそくさと逃げるようにその場を去って行った。
「ったく、あいつらめ」
ジンはアイラに向き直ると魔法でアイラの水を吹き飛ばす。アイラはこんなことまで出来るのかと驚いた。
「ありがとうございます」
「殿下に大会に誘われたからか?」
「たぶん」
「はあ。早速始まったか」
ジンは頭に手を置きため息をつく。
「あ、慣れているので大丈夫です」
前世で何度もされた。だから慣れている。
「そんなくだらないものに慣れるな」
ジンは真顔で叱る。
「身分は関係ない。人間としてやっていいことと悪いことがある。これはどう見てもやってはいいことじゃねえだろ」
「そうですけど、私ではどうしようもないですから」
学生で一般市民のアイラではどうすることもできない。
「誰がお前になんとかしろと言った。まず俺でもいいから教師に頼れ」
「先生がなんとかしてくれるんですか?」
「ああ。俺は非常勤教師だ。貴族の奴らは怖くねえからな。何でも言えるぞ」
「それでクビになって先生がこの学園からいなくなったら意味ないじゃないですか」
もっともな正論を言うアイラにジンは目を瞬かせる。
「確かに。よく気付いたな」
「はあ」
頭ごなしにため息をつくアイラにジンは苦笑する。
「まあそう簡単にクビにはならないぜ。俺には国守玉という大きな後ろ盾があるからなー」
そう言って胸を張るジンに「本当かなー」と半信半疑の目を向ける。
「どちらにせよ、イジメは良くねえ。まあ俺に任しとけ」
そして次の日、目の前の光景にアイラは隣りにいるジンに目を眇めながら訊ねる。
「きのう任せとけと言ったのがこれですか?」
「ああ」
今アイラの目の前にいるのはマティスだ。
「本人に言うのが一番だろ?」
――それが一番嫌なんだけど。
マティスに言えば、良くも悪くもマティスは自分のせいだと責任を感じてしまう。まさに今その状況だ。6限目の授業が終った後、ジンに教室で待てと言われて待っていれば、マティスがやってきて開口一番アイラに頭を下げて謝ったのだ。
「すまない。まさか僕のせいでアイラがイジメに遭うことになるとは。全部僕の責任だ」
そう言って頭を下げたままのマティスにアイラは慌ててやめさせる。
「頭を上げてよマティス。私は別に気にしてないから」
「気にしないとだめだ!」
マティスが声を大にして言えば、隣りで「そうだそうだ」と目を瞑り頷いているジンをアイラは睨む。
「気にしてないというか、相手にしていないから大丈夫なので。だから頭を下げるのだけはやめて」
「しかし! それでは僕の気がすまない!」
マティスの態度に前世の記憶も相まってアイラのこめかみにプチッと血管が膨れ上がり、一気に不満が頂天に達した。
「だ、か、らーマティス! あなたがそういうことすると余計に私がマティスに頭をさげさせた、無理矢理謝らせたなどと言われるようになるのよ!」
前世もそうだった。マティスは悪気はなく、ただ自分の誠心誠意を見せているだけだ。それも思ったらすぐ行動に移すため、周りに人がいてもおかまいなしなのだ。
そして、今はクラスには誰もいないからいいが、もしこの様子を見ていた者達が周りに正確に伝えるかと言えば、否だ。ほとんどがアイラが悪者になる内容にすり替わり広まり、また悪く言われるのだ。
「ほんと! 昔からそうよ! あなたのその行動1つがどれだけ後々私に影響を与えているか分かっている? それで私は前世――」
「あー! アイラ! 何をお前は言ってるんだ!」
ジンが慌ててアイラの口を塞ぎ止める。
「昔から?」
マティスが怪訝な顔を見せる。
「殿下、こいつ、きのう間違えて毒がある幻影きのこを食べたみたいで、まだ少し記憶が混濁しているみたいだ。気にしないでくれ」
ジンが慌てて言い訳をする。
「だ、大丈夫かい?……」
マティスは心配そうにアイラを見る。
「だ、大丈夫だ。夜までには正常に戻ると言われたみたいだからな。殿下、もう時間だ。行ってください」
「しかし……」
「護衛の者達に無理矢理言って5分だけ時間を作ってもらった状態だ。これ以上待たせるわけには行かないでしょ」
マティスはすぐに王宮に行かなくてはならなかったが、ジンの話を聞いて無理やり時間を作ってアイラのところに来た状態だった。
マティスはアイラへと視線を向ける。
「アイラ、今日はどうしても外せない行事があるからこれで失礼する。また今度改めて会いに来るよ。それに、体気をつけてね。じゃあ先生、後はよろしく頼みます」
「ああ」
そしてマティスは後ろ髪を引かれる思いで部屋を出て行った。マティスの姿が部屋から見えなくなったのを確認しジンは「はあ」と肩をなで下ろす。
――危ねえ。護衛の2人を外に待たせておいてよかったぜ。もしこの場にいたらアイラのやつ捕まってたな。
どれだけ学園で平等だからといってマティスに暴言を吐けば捕まる可能性は高い。
ジンはアイラの口に当てていた手を外し腕を掴む。
「おまえなー、殿下にあんなこと言ってどうするんだよ」
「すみません、ついイラっときて……」
素直に謝る。
「あの人ほんと自分の言動がどれだけ他の人に影響があるのかわかってないのよ。誠実で素直なところはとてもいいんだけど、場所とタイミングがいつも悪すぎるのよ! ほんと言わないと分からないんだから救いようがないわ!」
まだ怒りが収まらず文句を言うアイラにジンは苦笑する。
「相当お前、マティス殿下に不満があるんだな」
「でも今私はジン先生に不満です」
口を尖らせながら睨んでくるアイラにジンは首を傾げる。
「? なんでだ?」
「誰が、毒きのこ食べたって?」
「あっ! あれは……なんだ……咄嗟の言い訳だ」
「……」
「すまん……」




