32 アイラの思い
アイラの耳にも現聖女が亡くなったことが伝わった。
「これから新しい聖女が神託で告げられる……」
回帰前の時は学生だったこともあり、まったく興味がなかった。だからどこの誰が選ばれたのかなんてまったく気にもしてなかった。
「確か来年ソフィアがこの学校に転入してくるんだったわよね」
アイラは記憶を辿る。王宮の精霊魔法士の時にイライザから新しい聖女の資料だと見せられた。そこにはアイラと同じ学校出身で2年の時に転入してきたと書いてあった。だが学生の時に聖女が転入してきたと聞いたこともなかった。そのことをイライザに言えば、聖女だということは内緒にすることになっているとのことだった。
「聖女も元は普通の女の子よ。学生のうちは周りの目を気にせずに過ごしてほしいという配慮からね」
イライザに言われアイラも確かにそうだと納得した。だがどんなに考えてもソフィアがいたという記憶がない。
「あの頃は私も合わないクラスに心が疲弊していたのもあったからなー」
当時は1日1日を過ごすことで精一杯だった。
最初の頃は、身分の違いからクラスで1人でいることがほとんどで、目立たないように過ごしていた。マティスと友達になってからは、女子生徒からの嫉妬やイジメが日常茶飯事だった。そのため他のクラスのことまでは気が回らなかったのだ。
そう学生時代を振り返り、アイラは眉を潜め口をへの字に曲げる。
「よく考えたら、半分はマティスのせいじゃない」
マティスは1人でいるアイラに気を使って一緒にいてくれたのだが、それが余計にアイラを苦しめていたことに、アイラ自身も今気付かされた。
「まだ1人でいたほうがずっとよかったわ!」
自分の家で独り言のように話ながらムッとするが、すぐに普通に戻り「はあ……」とため息をつく。
「マティスのせいにしてもねー……」
わざとじゃないのがたちが悪い。マティスは優しいため人に手を差し伸べることが多々あった。だがその善意が反対に仇になることも多かったのだ。だが本人はまったく悪気がないため、周りの側近がよく尻拭いをしていたのが現状だ。
たまに鬱憤が貯まり過ぎてマティスに言えば、
「そうだったの! ごめん! 配慮が足りなかった。僕の責任だ!」
と言って何か欲しい物を言ってくれと聞いてくるのが、これまたアイラにとって迷惑だと思わせる1つだった。べつに欲しいものがあるわけでもないのに強引に何か欲しいものを言ってくれと聞いてくる。もうこれはアイラにとって苦痛の何者でもない。
何度も欲しいものはないと言っても、
「そんなことないだろ。アイラは遠慮しすぎだ。何か欲しいものがあるはずだ。宝石でも何でも言ってくれ。言ってくれるまで僕は離れない」
と言ってずっとアイラから離れないのだ。そうなると、「周りは殿下を困らせて楽しんでいる」「ちょっと気に入られているからといい気になって!」と嫌みを言われるのだ。こちらとしてはたまったものではない。
そう訴え続けると最後には、
「じゃあアイラ、僕と結婚すればいい」
ととんでもないことを言い出した。
「マティス、そういうことを軽々しく言うもんじゃないわ。立場を考えなさいよ」
「ちゃんと考えている。身分なんて関係ないよ。僕はアイラとならずっとうまくやっていけると思うんだ」
笑顔で言うマティスは冗談を言っているとは思えない。
――あなたはそうかもしれないけど、私はうまくやっていけるとは1ミリも思わないわ。
もしマティスと結婚したとして、一緒に生活していくうちに絶対に今のように何かしら不満が出てくるのが目に見えている。
「悪いけど、その気はまったくないから」
「そうかー。残念だな。でもまた気が変わるかもしれないから気長に待つよ」
「は? いいわよ! 気が変わることはないから! 他のちゃんとした令嬢でも見つけなさいよ!」
「わかったわかった。だからそんなに怒らないで」
だが学校を卒業するまでマティスはアイラに何回も求婚していた。その都度アイラは真剣に受け止めることはなく相手にせず軽く受け流していたのだった。
卒業してからはマティスは皇太子としての仕事が忙しくなり会う機会が少なくなった。その1年後、正式に次期国王としての王位継承権を受け継いだ。その機にマティスは言動には気をつけるようになり、アイラに求婚してくることはなくなった。
「そう言えば、王位継承権が正式に発表された頃からリュカがマティスの専属魔術師になっていたわね」
最初にマティスから紹介された時のことを思い出す。今回と一緒で無表情で挨拶しただけだった。ムッとした表情から機嫌が悪いのかと思い気難しいタイプなのだろうという印象だった。だが今なら分かる。ただ人見知りと表情が乏しいだけなのだ。
アイラはクスッと笑う。
「ほんと第一印象が悪すぎるんだから」
話せばまったく印象が違う。普通に笑うし文句は言うが頼んだことはやってくれる。とても優しいのだ。そしてマティスの幼なじみでありマティスのことを一番に考えていた。そんなリュカのことをマティスも一番信頼していた。だからリュカの言うことは素直に聞いていた。
そしてアイラの最期を看取ってくれた。
――死んでいく私に上着をかけてくれて謝ってくれた。ほんと優しいのは変わらないわね。
そこで特訓の時のリュカが浮かび、笑顔を消し目を眇める。
「でも特訓の時のリュカは、回帰前の時の魔術師団長のリュカと変わらないわね」
厳しさは魔術師団長の時ほどないが、妥協は許さないと言った感じでアイラを教えているのだ。アイラのためにちゃんと魔術が出来るようにという優しさからであるのと、真面目で妥協を許さない性格からなのだが、教えられているアイラとしてはたまったものではない。まさしく冷徹非情なのだ。
「……」
今後のことを考えると特訓が嫌いになりそうだ。
「このままだと私の体が持たないのと、また『冷徹非情な大魔術師様』というレッテルが貼られるわ。どうにかしなくては!」
胸の前で拳を握り今後のリュカとの特訓のことを考えていたアイラは、ハッとする。
「あれ? 何を考えてたっけ?」
そこで数分前のことを思い出す。
「違う違う! 聖女よ! ソフィアよ!」
だがそこで思う。
――今回の人生は、まったく違う人生を送ると決めたじゃない。なら本物の聖女のこともソフィアのことも私には関係ないわ。
そう思うが、また同じことが繰り返されるなら、前回のようにあの反乱のようなこともまた起こり、リュカやマティスに危険が及ぶということだ。それを知っているのに自分は関係ないと外から傍観するのか?
「……」
心が揺れる。
――だからと言って自分1人に何が出来る?
自分は人生を回帰して今から起こることを知っていると誰かに言って協力を求めるのか? もしその人物がソフィアの仲間だったら? そうだとしたら計画進行の妨げになると前回のようにまた命を狙わられ殺されてしまうかもしれないのだ。
そこで回帰前の最期の光景がフラッシュバックする。
「くっ!」
刺されていないのに剣を刺された背中から鳩尾の当たりに痛みが走る錯覚に陥る。額には冷や汗がにじみ、過呼吸になりそうになり体を丸めてうずくまる。この前ジンに言われた時になった症状と一緒だと気づき、ジンに言われた通り大きく息をして過呼吸にならないように落ち付かせる。どうにか最悪な状態にはならなかったが額にはびっしり汗が滲んでいた。
「ふう……」
大きく深呼吸をし落ち着かせる。
「そうよ。2度目もまたやりたいこともやれずに人生を終らせるなんて嫌よ!」
やはり犯人が誰なのか分からない状態で誰かに言うのはリスクが大きいという結論に行き着く。もし死んだとしてもまた同じように回帰するとは限らないのだ。
だとしたら誰かに話すことは危険で出来ない。
「はあ……」
ため息をつきながらソファーの背にもたれ、へりに後頭部を預け白い天井を見上げる。
――やっぱり関わるのはやめよう。今回の人生は私がやりたいことをするって決めたんじゃない。なら関係ないわ……。
そして目を瞑るのだった。




