95話
そのフローリストとしては若年に属するシャルルがなぜ、これほどまでに早く出世できたか、それはベアトリスによる特訓という名の扱き、練習という名の扱きに他ならない。よくトラウマにならなかったものだと、むしろ自分を褒めてあげたいほどだった。思い出しただけで痩せる気がする。だからこそ今のベアトリスに愚痴を言いつつも逆らえない現状が築かれたのだ。
「いい上司をお持ちね」
「上司、というか店長兼社長だがな。シャルルは雑用一般だ。ベルは雑用見習い、といったところか」
さらりと言ってのける様に、また一つ身震いをしたシャルルがおそるおそる苦言を呈す。
「間にすごい開きがあるんだけど。社長と雑用しかいない、ってどんな会社なの」
「頑張って平社員になれ。常時、席は空いてるぞ」
ああシャルルが言えば、こうベアトリスが返す様子を、セシルは微笑ましく観察し感想をこぼす。この言い合いを彼女はやりたかったのだ。
「いいわね、楽しそうな会社で。ウチの旦那なんか毎日やつれて帰って来る気がするわ。あ、ベル。その白い小さいのはなに?」
「なんか談話のついで、みたいになってきてない? これはアーティフィシャル……えーと……ベリーっていう造花の一種で、ラズベリーのものなの。ちなみにこっちはスパークルコーラル? っていうラメの入ったタイプ」
第一関門を突破したことで他もスラスラ、とはいかないまでも口にすることができた。
そのベルのちゃんとした様を、はっきりと客観で捉えたシャルルは高評価をつける。
「なんかやっぱり、先輩もフローリストっぽくなってきた気がします。板に付いてきた、っていうか。安心して見ていられます」
「接着と挿し込みしかしてないけどな」
シャルルが褒める、それが楽しくないのか、それともベルをいびり足りないのか。不満を裏味にベアトリスが静かに揶揄する。
「まぁ、そういうアレンジもあるってことで……」
「フローリストにとって技術は絶対に必要なものでもないですから。大切なのは気持ちです」
「そういえば、この部屋にもプリザーブドはあるみたいね。そこのハイヒールの花器に入ったの。ちょっと見てもいいかしら?」
ふとインテリアとして使っている木箱の上にある、一つのアレンジを見つけ、セシルが拝見の許可を申し出る。
「ええどうぞ。なんていうか、乙女チック、っていうテーマで作ってみたやつなんです。恥ずかしいですね」
「そうか? よく似合ってるぞ? 本当に乙女みたいで」
「ていうか、姉さんが出したテーマだったと思うんだけど」
「記憶にない」
いつも以上にピリピリとしたオーラを纏ったベアトリスにシャルルが首を傾げているその間に、セシルは礼を述べつつ席を立ってそれの前に立ち吟味する。
「クルマユリにヒナギクにカラー。『純潔』『乙女』『しとやかさ』、ストレートに見せかけて、でもハイヒールという大人の女性を思わせる花器。綺麗ね。そして深い、深いわ、うーん……」
あっさりと意を読み取ると、そのセシル眉間に深い皴が刻まれる。
「ありがとうございます。大人への憧れを持つ女性、というイメージです。だよね、姉さん?」
「なぜ私を見る」
「皮肉を花で返す、っていうのがなんともロマンチックね」
ポジティブに理解し、セシルは場を治める。
フランスでは男性の気質として、伊達男を目指す風潮は強い。初対面の女性に花を贈るのはもちろん、カフェで一人でいる女性を見れば、世間話と称して近寄る光景も珍しくない。その積極性をロマンチックと言ってよいのかは人によるが。
「……実はね、あたしが今回プリザーブドフラワーを使おうと思ったきっかけはね、そのアレンジを見たからなの」
手を動かしつつ、ベルは今作るアレンジの経緯を話し始める。含んだ笑いをしてはいるのだが、精神的なゆとりがあるようには見えない。簡単なアレンジとはいえ、そこまで油断を挟んでは悲惨なことになる気がしたのだ。




