86話
「ああ、なるほど。母性本能か。わかるな」
「なら、毎日家事っていう仕事に脅かされる弟を守ってくれてもいいと思うんだけど」
「それはそれだ。私は違うところで母性本能を見せているから問題ない」
その便利な流儀に「どういう理屈?」と尋ねるシャルルに返ってきたのは「おかわり」。
「本当に仲がいいのね。ところでベルはどうしたのかしら。あの子はまったく……」
間に割って入るのも気が引けるほどに息の合った二人を見つつ、今日の本題をセシルが切り出す。
「買い物があるから先に〈ソノラ〉に行ってて、と言われたのですが、すぐに行くと言っていましたので、気長に待ちましょう。にしても……確かに遅いですね。どうやら昨日は気に入ったのがなかったらしいので、たぶんそれかと。先輩、頑張ってください……!」
本人の見えないところでも殊勝に助力をするシャルルを見て、娘にこんないい子はもったいない、とセシルは頭が痛くなった。それと同時に彼女が考えたこと。「こんな弟だったら、私も生みたかった」である。
「あの子、ちゃんとアレンジできるのかしら。自分が作ったアレンジを初めて売ったときよりも、下手したら心配だわ。ごめんなさい、なんか取り乱しちゃって」
さらにこの後のことも考え、セシルの動悸が早くなる。初めてコンクールに出場した時もこんなだったかしら、と。
「いえ、僕も同じ心境です。初めての弟子、と言ったら言いすぎですけど、そういう方の作品を見るのは初めてですから。実は僕もどんなのかは知らされてないんです」
「ということはベアトリスさんだけが……」
「いや、私は裏方で準備係。ちゃんとしたものを見るのは今日が初めてだ。だが緊張はないし、心配もない。なにかしでかす、そんな期待だけはある」
この中で唯一、心拍数が正常に機能しているベアトリスは、腕組みまでして余裕綽々としている。ベルは自分にとっても弟子である。ならばその成長を見るのもまた一興。一番待ちかねているのは彼女なのかもしれない。
そもそも〈ソノラ〉にとっては初めての、ブーケ家以外の働き手である。ある意味歴史的な、と言っても過言ではない。
「そうなの……なんか不思議ね、私は元とはいえ、フローリスト三人がこうして、ほとんど素人といってもいいあの子のアレンジを待ってる。そういえば、私がフローリストを目指したきっかけ、まだ話してなかったわね」
待っている間の談話にちょうどいいわ、と過去を振り返るセシルは、恥ずかしげな顔色をする。
「私達のように家が花屋だった、ではないな」
最初はベアトリスが打ち出し、自ら否定をする。もしそうだったら娘がそのことを知らないはずがない。だからそれは除外できる。
「ええ、私が目指したきっかけは、本当にあの子と似ているわ」
儚げなその言い終わりにシャルルと目が合ったセシルは、含みのある微笑みを見せる。あの子の場合はこの子か、と。
その内情までは察せず、不可思議にシャルルは「?」と首を傾げた。セシルは続ける。
「ちょっとしたことで落ち込んでいたときに、ふと入ったお花屋さんでなんとなくおまかせアレンジを頼んだの。悩んでいた内容は、これもあの子と似ているかしらね」
「随分と端折られているな」
揶揄を交えた突っ込みを入れるベアトリスを「姉さん」とシャルルが仲裁に入り宥める。
「まあいいから。その時出てきた花はなんだと思うかしら?」
二人の力量、特にシャルルの方はよく知っている。スタンダードに見せかけてその裏の意味を読ませる深さ。それをセシルは心底すごいと感嘆の息を漏らしたほどだ。ただ家業だから、という理由ではない。本物のフローリスト。
そしてそこから察するに、ベアトリスも相当なものだとは予想に苦はない。セシルのこの問題は、決して彼らを試そうと思ったわけではない。むしろ、それは彼らでは物足りない答えであろうからだ。
「レンゲソウ、といったところでしょうか」
模範解答例のその一がシャルルの口から挙がる。




