85話
マイセンのデミタスカップをソーサーに置く、小さく乾いた音が部屋に響く。高級白磁の代表として知られる理由はなるほど、音にまで趣向を凝らしているからか、と納得してしまいそうな凛とした風情を備えている音界の覇者。
当然デザインを蔑ろにしているわけではない。青を基調とした花柄のデザインはシンプルにして高貴な愛らしさを持ち合わせ、飲み口に施された金の縁取りが上品にマッチする。
ソーサーにも同様の仕掛けを見出すことができ、カップと合わせて離別不可能の運命にある恋愛物語のような可憐さを生み出す。
だからと言って中身のエスプレッソの味が変わるわけでもないが、もし即席の市販のものだとしても、通常よりも美味に感じることができるのではないか、それを思わせるには誂え向きである。
「ごめんなさいね、ここ最近ほぼ毎日のように来てしまって。ありがとう、これすごく美味しいわ。コーヒーを淹れるのが上手いのね」
お客様であれば入れることはない店内右奥のリビングルームで、注意をしてはいたが指が震えて多少のカップの音を、イスに腰掛けながら生み出した主はセシルだった。喉元を過ぎ去る六○度後半の温度の甘苦い液体をしっかりと味わう。
「ありがとうございます、でも豆とメーカーがいいおかげですよ。僕ではありません」
「そんなことないわよ。カップに差し込む際に経験がいう味があるのよ。これはだいぶ手馴れてる、って感じね」
傍らでギャルソンのように振舞いながら謙遜するシャルルに、さらにセシルは賛美を重ねる。それはお世辞ではなく本心であった。これほどまでに味わい深いエスプレッソは、何年にも渡って飲んできたエスプレッソの中でも五指には入る、と確信していた。
コーヒーを飲む文化も強いフランスにおいて、代表としてはカフェテリアのオープンテラスでゆったりと、が多い。そして道行く人々のファッションチェックなどをしながら楽しむ安らぎの一時。著名な芸術家達が通い詰めたというカフェも数多く存在する。
そんな飲み歩きをしたセシルもまさに舌を巻く程の絶妙な加減。エスプレッソのバランス。素直に出てくる言葉が「美味しい」。
「悪くない。だがもう少し挽いた方が味に深みが出る。そっちが私好みだ」
「それはアドバイスどうも。ていうか真っ白なんだけど」
深く腰掛けながらベアトリスはエスプレッソをすする。しかしミルクが多量に入りすぎてもはやカフェラテに近い。が、本人曰く「これがいい」らしい。その姉弟の掛け合いに、セシルは小さく吹き出した。
「ごめんなさい、本当に仲のいい姉弟なのね。一人っ子って、たまに兄弟姉妹を欲しがるから羨ましいわ。私もできれば兄が欲しかったもの」
「どうして兄なんですか?」
姉は、と言いかけて脳内に浮かぶ映像を思い出しシャルルは納得した。ああ、もしかしたら、と。
「どうしてって言われても、なんか憧れるじゃない、頼りになるお兄さんに」
そういえばあの子は弟が欲しいって言ってたわね、と感慨にふけりつつ、セシルは理想を述べた。
「確かに、弟よりも兄だったら、と思うときはあるな。こいつは女のようだ。どうも張り合いがない」
「姉さんが家事全般をしないから」
「見て呉れのことを言ったんだが」
一向に引く気配のないベアトリスに、シャルルは食事を詰め込むリスのように頬を膨ます。
そういった態度のことを言ってるのだが、と薄ら笑いを浮かべ、ベアトリスはカフェラテに口をつける。
「まぁそう言わないの。弟には弟の良さ、みたいなものがあるでしょう? 甘えられたりして、守ってあげたくなるとか。母性本能というやつかしら」
ピクッっとセシルのその単語が鼓膜を振るわせた刹那、ベアトリスが震えた。




