55話
日暮れのパリ。凱旋門やシャンゼリゼ通りなどを有する、観光名所としても世界屈指である八区の片隅。
木製で年季の入った〈ソノラ〉のテーブルの上に一つ、生まれたばかりのアレンジが置かれた。置いたのはこの花屋のフローリスト、シャルルである。
「ルピナス、と言ったわね。この花はどういう意味を持っているの?」
遠目には見えない目元の小皺から察するに、三十路は越したであろうがまだ四十路には遠い、と思しき妙齢の女性が、天に向かって咲き誇る花を指して問いかける。
それにアレンジ主であるシャルルは慇懃に応答した。いつもより緊張しているようで、しっとりと手は汗ばんでいる。滑らないようにエプロンで何度も拭っていた。
「ルピナスの花言葉は『母性愛』。そしてその語源は、ラテン語で狼を意味する〈ルプス〉から来ている、と言われています。どんな場所でも逞しく生きる、その言葉の通り、上に真っ直ぐと力強く咲いています」
言い終わってから、シャルルの心臓は大きく跳ねた。
「なるほどね、ストレートな花言葉かと思えば、語源も絡んで優しいだけじゃない親の願いを表現しているわけ。それにこの花籠、面白い形をしているのね」
優しく丁寧に解説をするシャルルの言葉を消化し、女性はその花を影ながらも、味のある支え方を見せる籠にスポットを当てた。その籠は店主であり、シャルルの姉でもあるベアトリスが気まぐれで購入してきたものだった。
この籠にかかわらず、ベアトリスは奇抜さを重視した籠を選ぶ傾向がある。オーソドックスなものよりも、癖が強ければ強いほど、自分なりの答えが出し辛い。その考える過程が楽しいのだそうだ。
「はい、かなり珍しいものだと思います。イスの座面がボウル状になっているものは、このタイプ以外に見たことがありません」
この形の花器を見た瞬間、シャルルはすぐにルピナスとの相性や見た目を吟味した。ベアトリス曰く「使い勝手はよくないが、使い方次第では化ける」とのお墨付きで、その言葉通り少々扱い辛さは感じつつも、アレンジを考えるだけで楽しい一品だった。それが今、お披露目という運びになったのである。しかしそれでも精神にゆとりがあるようには思えない。
「なぜ私にこの花と籠が相応しいと思えたのか、聞いていいかしら?」
説明するシャルルの話を聞いている限りではまだパズルが埋まらない、と表情でも言葉でも女性は訴える。色とりどりのアレンジフラワーに囲まれた店内で、確信を突くその一言は、アレンジにとって基本となるそれだった。
「お話によると、お客様はご息女に深い愛情を施し、束縛するようなことをせず、彼女の意思を尊重し、支えてきたのだと思います。たとえ挫折を経験したとしても、それを責めず、新たな道があると励まし続けた。しかし、我が子への接し方について、親であれば迷ってしまう時があるのだ、とも」
抽象的な言い方で進めるシャルルは、あえてこの方法で説いたのだった。それはもし、竹を割ったような性格のシルヴィであれば、即座にヒントや答えを求めてくる程の曖昧模糊とした説法。しかし、それを耳にした女性は「なるほど」と微笑を浮かべた。
「イスとはつまり『役職』のこと、というわけね。母親という役を演じるには、母性愛がなければ完成しない。この花籠のようにね。まだ子供みたいだけど、達観したものの見方をしているのね。いいわ、続けて」
まだ終わりじゃないんでしょ? と次を促す。
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