52話
「わあ!」と部屋中に響き渡る声を上げ、シャルルは抵抗する。
「だからって揉まないでください! 成長しません!」
「わはははは」
あー軽くなった、と首を回してストレッチするベアトリスに助けを求めるのも無意味と悟り、なんとか引き離れてシャルルは隅に逃げ出す。敵に背中を見せると死ぬ、その意味を知った瞬間だった。そういえば東洋の島国で昔、背中に傷を負って戦場から帰ってきたら、逃げたと見なされ結局処罰された、という話を聞いたのを思い出す。なぜ今それを思い出すのか。
煽るだけ煽って、一歩引いたところで観察に入ったレティシアに、二人だけに聞こえる声でベルは話しかけた。
「ねえレティシア。もしかして、あのペンケースって……」
それは昼間に話題に上げた、クマの絵柄をしたそれだった。
視線をシルヴィとシャルルの鬼ごっこに固定したままで、レティシアは首肯する。
「ええ、クリスのものよ。他にもカエルのものや、イルカのもあるわ。年相応に可愛いものも大好きだったのよ」
「そう……だったんだ」
懐かしむように語るレティシアだが、慈愛に満ちた眼差しが「謝らないで」と訴えている気がして、ベルは謝罪の言葉を寸前で飲み込む。
「とはいっても、私も可愛いものは好きだけど」
「うわっ!」
シルヴィの魔の手から逃げ回っていたシャルルを見事捕らえ、引き寄せることに成功したレティシアは満面の笑みを浮かべた。まるでぬいぐるみでも抱くようにぎゅっと締め付ける様を認め、ベアトリス苛立ちを露にする。
「どさくさに紛れてシャルルに抱きつくな。顔を近づけるな。それに、両頬ともに私とベルが占領したから、お前にやるスペースはない。残念だったな」
「姉さん!」
自分の顔が沸点を越したのをシャルルは感じ取った。そして共犯扱いのベルは自らの濡れた唇に手を当て、こちらも沸点近くまでのぼせる。
「なんでそれを……」
しかしそれはまた、レティシアの加虐心には悪影響だった。
「そう……えいっ」
「!」
自分の額に柔らかく熱い感触。それがシャルルの茹で上がった脳にさらに熱を加える。支える足が崩れ落ちそうになるのを既に引きとめ、意識をギリギリ保つ。と同時に背後から「おおー」と感心の声が聞こえ、熱くなった背筋に冷たいものが走る。こういった展開が最近続いており、シャルルの危機察知能力は向上していた。
「じゃあ、あたしは残った口か?」
そういう流れなんだろうと推測したシルヴィの一言で、意識は完全に覚醒し、レティシアの呪縛を火事場のバカ力で解き、目にも止まらぬ速度で二階に逃げ出した。最初からここに逃げていれば、と後の祭り。
「シルヴィ、二階は私達の居住スペースだ。勝手に上がるなよ」
怒りに震えたベアトリスの声に身の危険を感じたシルヴィは「ラ、ラジャー!」と軍隊のごとく返事をする。
次いで相も変わらず余裕あるるレティシアを睨みつけ、ベアトリスは「こいつは敵だ」と判断した。
活気あるパリの夕はとっぷりと更けていく。
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