44話
「ありがとう、ベル。クリスが亡くなってもう結構経つし、私だってそんなに悲観に暮れていないわ。でも……本当にありがとう。シルヴィもね」
「うん……」
「あたしはついでか」
まだ知り合って一ヶ月ほど。たった一ヶ月の付き合い。しかし、友情の成立など、一ヶ月もあれば十分すぎるほどだ。それを実感し、陰気の壁を取り払う風が心地よく全身を駆け抜ける。そのクリアな新しい風の取り込みが完了すると、レティシアは胸をすいた。
見える景色が変わる。ふと振り向いた店内の花の世界は、ただ綺麗に映っていただけではなく、優しい音色が聴こえる気がする。〈ソノラ〉、その意味は確か――
「クリスっていうのか。いや、なんていうか、すまん、湿っぽい雰囲気は無しにしても……いいか? どうも体がチクチクしてな」
イ短調の音色に割り込んできたのは、シルヴィのどこか陽気な声の提案だった。
せわしくベルがシルヴィにヒジを突く。
「ちょっと、シルヴィ。湿っぽいって――」
「いいのよベル。私もいつもと違うあなた達は、見てて心地が悪いわ。だからいつも通りでお願い」
「そうか、まかせろ!」
「まかせろ、って言っても……」
困惑の色を見せるベルだが、ふと懐かしい感覚を垣間見る。それはいつもの、だけど凄く遠い過去のようにも思える、心安らぐ光景。時間にすればたいしたことないはずなのに。
たぶん、学校や他の場所ではこうはならなかっただろう、とレティシアは推察する。この店、この空間は疲れた人を優しく包み込む。〈ソノラ〉、それは癒しのイ短調。
そこで思い出したようにベルは扉を開け、中に案内する。四人掛けのテーブルを三人で囲む。
シャルルを待つ体勢に入り、心に余裕が生まれたのか、レティシアはふと今日一日のことを思い出し、順番に並び替えた。一度こんがらかると整理しなければ気が済まない性分である。
「それにしても、今日は私が彼を独占して、家までお呼ばれしたけど結局振られて、そんな私を振った本人が花で慰めるって。変な話ね」
はぁ、と一つ軽く溜め息を吐き、天井を見やる。と、この部屋は店内と同じ温白色ではなく、昼光色であることに気付く。そこのこだわりは明白に飲めなかったが、しかしなぜかこの部屋にはこちらのほうが合う、と意味もなく考えた。
そのやさぐれた発語に反応したベルは、やんわりと打ち消した。以前の彼女ならいざ知らず、今ははっきりと断言できる。
「ううん、花は色々教えてくれる。このお店を出るときはほんの少し、心が強くなる。大丈夫だから、シャルル君を信じて」
その自信を持って言い放つ姿勢から、驚きと、その芯の強さを悟り、レティシアはひょこっとベルのぶれない表情を覗き込む。相変わらず緊張感が足りなそうだが、それよりも、
「あなたも一端のフローリストらしくなってきたみたいね」
「そう?」
「たぶん、ね。不安げに言われる真実より、自信ありげに言われる嘘が嬉しい時もあるわ。でも、最高なのは自信のある真実だけれど」
含みのある笑いを見せ、少しおどけてみせるレティシアの仕草は、小悪魔のような要素も取り入れた美しさを持っていた。ベルはつい、なんとなしに視線を外す。いつかこれくらい余裕のある女性としてシャルル君を……そこまで考えてポッと頬を朱に染める。
いつもの調子を取り戻してきたシルヴィも参戦する。
「あたしはシャルルを信じるから、レティシアも信じろ!」
「すごい理屈ね」
そして、時々わからなくなるけども、こういったシルヴィ直球も欲しくなる時があるのはレティシアの本心。シャルルが「出来れば二人にも来て欲しい」と言った意味が今、いや、もうとっくに気付いていたのだ。レティシアは二人の手を取り、
「ごめんなさい。それと……本当にありがとう、二人とも」
優しく、しかし力強く握る。
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