35話
がはは、と静かな教室内で大きくこだまする笑いをおこした。ツンと澄ましたベルの机をバシバシと叩くが、心ここにあらずといった様子でベルの耳には入っていない。先程までは肉体的なダメージで思考は避けていたが、現在は精神的なダメージで思考をしていないのだろう。
その中で「過保護」というその言葉にレティシアの体が強張ったのを気付けたのはシャルルだけだった。自作のキッシュを口にしたまま見上げ、
「あの、レティシアさん?」
物悲しそうなレティシアの顔を覗きこむ。
もう一度名前を呼ばれてレティシアは我に返ると、シャルルを見つめ返した。
「なにかしら?」
すぐに優しい笑みを浮かべるが、一度レティシアの先の表情を見てしまうと、シャルルの心にもどこか寂しさが残る。ふと背後から抱きしめられる強さがさらに強まるが、そこから伝わってくるのは『優しさ』であり『温もり』であった。それはつい最近、感じたことのある温もりと同じもののような気がしていたシャルルは言葉に詰まる。
「……」
キッシュをしっかりと咀嚼し飲み込むと、シャルルは外を見つめたままのベルに問いかけた。
「ベル先輩、今日の講習ですが――」
「あー、あたし疲れてるし今日はいいんじゃない? オフで」
投げやりに言葉少なく、味わうでもないがタルト優先というオーラを放っているベルは腐っていた。
その姿を見やり、「うーん……」と長考し、妙案が出たのかシャルルは一つの提案を出す。
「ではレティシアさん、今日の放課後ウチに来ていただけませんか?」
木苺が喉で捕まり、むせつつベルは机を叩いて立ち上がった。その音はシルヴィが叩いた際の倍はあろう。これほどわかりやすい騒擾もあるまい。
「あ、あんたなに言ってんの!!」
男が個人的に自分の家に誘う、その行為の重さをわかっていないであろう少年にベルは怒りを露にした。自分も初めて彼にあった日に誘われたが、その時は特になにも考えていなかった。今考えてみれば同じことをレティシアに言っているのではあるが、なぜか許せなかったのである。その密着した親密感に嫌な気配を悟ったのだ。ここは引けないと。
「あら、シャルルは私を誘っているのよ。あなたは今日疲れてオフなんだから、ゆっくり体でも休めるかピアノのお稽古でもやっていなさい」
勝ち誇った顔のレティシアがベルの目に入る。レティシアはいつも冷静であり、声を荒げる事や悲鳴を上げたりする姿はほとんど見たことがない。まだ一ヶ月ほどの付き合いであっても、その辺はもうある程度熟知していた。しかし今日のシャルルに会ってからの彼女は喋り方がいつもと同じでも、なにかがいつもと違う。その違和感をベルはぼんやりと持っていた。
「やっぱ疲れてないし、行く!」
ちびちびと消化していたタルトをベルが飲み込んだのを確認して、シャルルは「是非」と微笑んだ。
そこにベルは眉を寄せるが、それも一秒。気持ちを入れ替えてシャルルを睨む。
「あたしは……どうすればいいんだ?」
シルヴィは頭をポリポリと掻きつつシャルルに問う。異質な雰囲気を感じ取って、少々奥手気味になっている。ややこしい話になるのであれば、おそらく自分は耐えられないと想定したからだ。
「シルヴィさんも、できれば来てあげてください」
「お、おう、わかった!」
シャルルの応答を聞き「よっしゃー」とイスから元気よくシルヴィは立ち上がり、入念に体操を開始する。まだ放課後までは午後の授業を挟むのだが、ただ座っているのに退屈しただけのようにも見えた。
二人きりではなくなったレティシアは、お仕置きとばかりにフルパワーでシャルルを抱きしめた。甲高い声の悲鳴が漏れる。
「来てあげてください」その本当の言葉の意味は今、この場ではシャルルしか知らない。
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