267話
ふふっ、とはにかみながらベルは衣服を正す。
「いや、そういうわけじゃないんだけど。ほら、さっき言った花がどうこうってあったでしょ? 私、今八区の花屋で働いてるの。〈ソノラ〉って言うんだけど。近いから。映画も観てみようかな」
店のことを考えると、真っ先にシャルルとベアトリスの顔が出てくる。悩んだ時はいつもそう、優しく、時に厳しく導いてくれる。そうだ、自分もそんな人間になりたいんだった。
演奏で。花で。誰かを勇気づけられるような人に。
表情から力強さをリディアは見出した。なんだ、自分なんかいなくても全然大丈夫だったみたい。そしてその店の名前を心にしまい込む。
「そうだったんだね。偶然だ。力になれたなら嬉しいよ、短期間の留学だからね。色々な情報がもらえるのもこっちとしてもありがたい。ぜひドイツに帰る前に一度、寄らせてもらうよ、後学のためにも」
ドイツでももちろん花の文化はあるし、一九五一年から続く『ブーガ』という園芸博覧会は非常に混み合う。一度だけ連れていってもらったことがあるけど、とても美しくて感動的だったことを覚えている。
そしてドイツでは『マイスター制度』というものがあり、フローリストになるためには一六歳ほどで職業訓練校に通うことになる。そして通いながら花屋で働く。勉強と現場、どちらも大事であるという国の考えから。もちろん一例ではあるが。
色々なもの、それこそ職業も人も、国も文化も。触れてみたいという彼女には、フローリストもその目標のひとつに認定された。
「私がいる時だったらサービスしたいんだけどね。店主のベアトリスさん、結構クールな感じだからなぁ」
でも案外、この子ならスッと打ち解けてしまうかも。そんな淡い期待をベルは抱き、跳ねるような足取りで〈ソノラ〉を目指した。




