261話
手にした携帯からはまだ芸術的な演奏が続いている。それに気づき、ベルは首を縦に振る。
「え、あ、うん。リシッツァっていう女性ピアニストなんだけど、参考に観てたら逆にやる気根こそぎ持ってかれちゃった。次元が違いすぎて」
こういう時はどういう表情するのが正解なのだろう。わからないので、とりあえず笑ってみる。少しだけ、悲しさも含んだ照れ笑い。
そのリアクション。リディアにはとても不自然すぎて。
「へぇ、ベルはリシッツァになりたいの?」
そんなことを聞いてみた。ただただ諦めている以外にも色々と含まれているみたいで。突っ込んでみたくなる。そういった、人を読むのは好きだしわりかし得意。
キョトン、としながらも不思議な方向から攻められているようで、一瞬思考が止まるベル。私が? リシッツァに? なる? こんな風に弾く?
「無理無理。憧れではあるけど、ここまでいくってのは今のところ、足元にすら及んでない感じかな。それに弾き方も音も方向性が違うから」
いくらなんでも、これは別格。比べられるのも恥ずかしいくらい。
現実、リシッツァはピアノの中でも扱いが難しいとされるベーゼンドルファーを操ることができた、数少ない名手のひとりと言っていい。彼女自身が『ダーク』で『古い』と表現する、フルコンである二九〇の最大限まで力を引き出せている。
ふーん、とつまらなそうにリディアは隣に腰掛ける。肩を寄せて密着。
「じゃあ、それでいいんじゃないの? なにを悩んでる?」
ピアノのことはよくわからないけど。今、目の前の人物がもがいているのは見ての通り。だとしたら助けてあげたいじゃない? いや、本音はそういう人物を見ていると楽しいから。だから首を突っ込んでみる。




