249話
パリの一〇区にある花屋〈クレ・ドゥ・パラディ〉に勤めるサキナ・ラクラルは、これといった目標を持っていない。花屋で働く以上、いずれは自身の店を、であったり、職人章であるM.O.Fを持つオーナーの右腕に、なんて考えもない。
ここで働き始めて幾星霜。技術的な部分だったりもしっかりとやったぶんは伸びているので、そこらの花屋でも充分に活躍できる知識はあるのだが。オーナーであるリオネル・ブーケに憧れてここで働き出した者達とは色々と違うところがある。
ではなぜ、パリを代表するこの花屋で働いているのか、と聞かれると、迷った様子で「うーん、見様見真似?」と返ってくる。では誰の真似なのか、というと——
「オーナー、今日は〈ソノラ〉に行ってきますけど、問題あります?」
「ありますねぇ。問題以外のなにものでもないですねぇ。いや、急になに?」
レッスン用のビデオ撮影当日。使う花をテーブルに用意しながらオーナーであるリオネル・ブーケは目が泳ぐ。今日のブーケのテーマは結婚式。白と緑を中心とした気品のある色合い。
受講者には使用した花が自宅に届き、ビデオを観て真似しながら同じようにアレンジメントを作るレッスン。所定回受講すると、パリからディプロマという卒業証明書が授与されるシステム。パリでも指折りのフローリストである彼の人気は高い。
店でのアレンジメントやショーなどでのフラワーデザインはもちろん、実際にレッスンを行う以外でもこういった形で講座も仕事の一環。海外に向けても行っており、育成もそのひとつである。
そのアシスタント係を拝命されていたサキナ。ふと、言葉にできない感覚に襲われた。
「いや、そのまさに急に行きたくなって。ベアトリスが呼んでる気がするんですわな」
八区にある〈ソノラ〉は同じオーナーの店。仕入れも一括しており、ランジス市場で購入したものを両店舗で分ける。なので花がなければお互いに貸し借りすることもある。向こうはアレンジメント専門店であり、レッスンなどはやっていない。
返答を軽く受け流したリオネルは、裏がある気がしてならない。
「だったら電話くるでしょ。本音はなに? なによ?」
いつもこんな感じでのらりくらりとしてはいるが。よく言えば自由、悪く言っても自由。それを考慮に入れてシフトに組み込むしかない。
今日は〈ソノラ〉へ行く、と決めたらサキナはあの手この手でここから離れようとする。アシスタントという立場はファンや受講者からしたら羨ましい限りなのだが、そういう感情は持ち合わせていない。ていうかいつでも普通に会える人だし。
「いや、オーナーと今日は二人じゃないですか。中年のおじさんと二人って怖くないですか? 女の子なんで」
離脱するための弾その一。男は全員、獣と思え。注意するに越したことはない。




