24話
「あの……ここで働かせてください!」
「……え?」
すっとんきょうな声色で、ブレザーを脱ぎつつ、シャルルは無感情になった。
働く? ここで? 誰が? なんのために? 謎が山のように積まれた。
「お前はピアニストだろ、指を大事にしたいのならやめておけ。刃物を扱う上に、荒れやすいからな」
冷ややかに断りを入れ、その危険性をベアトリスは諭す。
シャルルもこれには同調した。
「そうですよ、それにピアノを再開したんじゃなかったんですか?」
丁重に断るよりも、なぜそういう考えに至ったのか、詰め寄りながらシャルルは思い巡らす。
しかしシャルルがそれの答えが出せずにいるところを、ベルは自分の頭の中で右往左往する結論を思い切って口にする。
「シャルル君はあたしに言った、言ってくれた。『限界は言った瞬間から超えるべきものになる』って。だから、ピアニストとフローリストは両立できない、っていう限界をあたしは超えたいの! ……ダメかな?」
「ダメかな、って……」
眉を読むとベルが本気で思っていることがわかり、返答に困るシャルルはしどろもどろになる。ずらした視線の先には、自分達ので作ったアレンジが数多ある。いつもなら一瞬でわかる花の種類、その花言葉、原産国などがパッと頭をよぎるはずなのに、それが出来ない。
その状況を冷静に客観していたベアトリスが場を制した。
「やる気はあるようだな。いいだろう。バイト代は出来高次第だがな」
「ね、姉さん!」
軽い気持ちで許可を下ろすその発言に、シャルルは声を荒げた。
「私がこの店の神だ。口答えは許さん」
「……本気なの?」
が、尻すぼみでシャルルの覇気は失われていく。目で制されたのだ。
もちろん、花に興味を持つ人の数が一人でも増えることは嬉しい事だし、賛成である。花の魅力を語れる人間の増加は、つまりまた新たな創造を増やす可能性を広げるからだ。
それでも場合による、特に指を怪我する確率が比較的高い職業に、指を資本とする人間の参入は賛成できない。それがシャルルの主張だった。が、それも神様の気まぐれには勝てないようで、徐々に心を折っていく。
「……いいんですか?」
様々な心配が押し寄せ、眉を曇らせるシャルルとは対照的に、真剣な眼差しでベルは応じる。一瞬たりとも逸らさない、店主の許可はもう出ているが、シャルルの許可を得ないと気持ちよく花と戯れそうにないからだ。
「うん」
「本当の本当にいいんですか?」
「うんうん!」
「……」
ここ最近では一番の深度を記録する溜め息をつき、テコでも動かないと思われる意志の固さをシャルルは感じ取る。頑固な姉が二人できたような気分だった。諦め、それが色濃く出ている。決意。そしてまた溜め息。
「……ではまず、一応の〈ソノラ〉の仕事のサイクルをお教えしますね……」
それは認定を示していた。
徐々に険しさも含んでいたベルの表情が融解し、四秒後には満面に笑みを浮かべていた。
「ありがとー!」
「だからっていちいち抱きつかないでください!」
最短距離での接近を許し、覆いかぶさるようにすがりつくベルの抱きつきを必死の抵抗でシャルルは食い止める。
「いちいち?」
「あっ……」
背後で大きな目を一層見開き、射殺さんばかりに凝視する視線を感じ、シャルルは背筋が凍るというより、背中からビームで貫かれたような冷や汗が流れた。
「ふん」とベアトリスは鼻を鳴らす。
「そういうことか……ベル、シャルルから離れろ。即刻クビにするぞ」
「は、はい……」
脅迫まがいに分離を成功させると、何食わぬ顔で逃げようとするシャルルの腕を、骨の音が聞こえかねない力の入れ具合でベアトリスは掴んだ。顔に出ていないが、力いっぱい。
「こんな感じか」
力強く、というより破壊を目的と表現した方が正しいように弟に抱きつく。どんな時でも上に立つ、その精神はなににつけても揺らぐことはないのであった。
無表情で行うベアトリスは心音一つ乱していない。それが当然の姉弟のスキンシップだと思っているのだ。
ベルはそのちょっぴり過激な姉弟愛の確認に頬を染める。姉弟ってどこもこういうことをするのか、と間違った見解つきで。
被害者となった少年の悲鳴が木霊する。半分開いた重厚な扉から、店の外にもそれを裾分けするのは、アベニューから一つ外れた小さな花屋。
続きが気になった方は、もしよければ、ブックマークとコメントをしていただけると、作者は喜んで小躍りします(しない時もあります)。




