184話
「なら聞くが、ピアニストの本質はなんだ? ピアノで世界を救うことか? 聴衆を幸せにすることか?」
いきなり話が地球全体まで膨らむベアトリスの話。八八ある鍵盤を叩くだけで平和? 末期のガンが治癒される? お前はなにをしたい?
シーン、と静まりかえる店内で、ベルはその内容を咀嚼してみる。が、流石に規模がデカすぎる。
「いや、そこまで大袈裟なことは……自分には無理、かな。できるのならやってみたいですけど……」
誰ならできるのだろう。アルゲリッチ? ショパン? ルービンシュタイン? 方法まではわからないけど。全世界同時中継でリサイタルをやったところで、争いはなくなるのだろうか?
「なにもコンクールを目指したり、プロとして活動している者のことだけではない。人によっては、学校や職場で弾くために練習してきているだろうし、家で遊びで弾いている者も大勢いるだろう」
国によっては『ピアニスト』というものは職業としてお金を稼いでいる者に当てはめることもあるが、基本的には弾く全ての者に当てはまる。趣味であれ仕事であれ、鍵盤を叩いたらピアニストだ。ベアトリスはそれを前提として話を進める。
それには同調せざるをえないベルは、目線を外して首肯する。
「まぁ……そうですね……」
そしてここでやっと座る。なんとなく、ひと呼吸おけた気がして。
飲もうとカップを口にした時、もうコーヒーがないことに気づいたベアトリス。少し甘さを足したものがほしい。席を立ってエスプレッソマシンを動かす。店内に響くのはマシンの轟音。フラットホワイト。二杯作り、再度着席。
「……人それぞれ、弾く目的があるんだ。本質なんてものも人それぞれ。どうでもいい。そんなものはないのかもな」
ほんの少しだけ飲みやすくなったエスプレッソ。苦味の中にまろやかさ。人生のようだ、と心の中。
ソーサーとカップ。目の前に置かれ、湯気を放つ温かな液体。このコーヒーは、自身の本質というものなど考えないのだろう、とベルは自身の小ささを知る。
「それじゃあ、フローリストの本質、っていうのも——」
「難しく考えすぎているな。フローリスト、という枠組みから外れて考えたほうがいい。悩みを抱えている人間は他にどこに行く?」
いつの間にか人生相談のようになっていることに疑問符を持ちつつも、自身のフローリスト観を紐解くベアトリス。参考になるかはわからないし、ならなかったところで知ったことではない。
悩んだら。友達とか親とか。そうでないとすると。唸りながらも捻り出すベルの表情は険しい。
「……神父さん、とか」
懺悔室、というものがあると聞いたことがある。顔も見えない状態で、神父さんにだけ罪を告白する。らしい。




