179話
ゆっくりとではあるが、弟子の成長具合をベアトリスは直感する。言葉にも歌にも、強調したい部分というものが必ず存在している。そこへ持っていく流れ。過ぎたあとの流れ。そういったものを感じさせる音楽には力が宿る。
「文学なんかでも『しかし』や『とはいえ』といった逆接の後には、筆者の強い想いや感情の類が発生することが多い。今までのリズムを断ち切るということは、それだけ強いメッセージ性が含まれる」
「例えばどんな?」
なんとかここまではついて来れているシルヴィは、より深く知るために例を要求していく。できれば簡単なの、よろ。
それこそ数えきれないほど使われている手法ではあるが、わかりやすくベアトリスは物語性のあるバレエを用いる。
「古典音楽なんかでは、交響曲の可能性をさらに広げるために、このシンコペーションは使われている。チャイコフスキーの『白鳥の湖』でも、オディールの踊りの場面。物語のキーになる部分だ」
「なるほど。王子が誘惑されて誓いを破ってしまうシーンね。ダメな男……」
有名すぎるほどに有名なストーリー。実際に観賞したことのあるレティシアには、なんとなく場面が思い浮かんだ。オディールがオデットに化け、王子が間違えて告白してしまうシーン。そこにかかる音楽。件のシンコペーション。物語の転換点。
話を知らないシルヴィは「……?」というような表情だが、もうこの際面倒なので、通じているテイでベアトリスは話の締めに入る。
「とにかく。花というものも音楽も。なにを伝えるか、という逆算だ。しっかりと伝わるなら、シンコペーションだなんだというものは忘れてもいい。手段のひとつに過ぎない」
ここまでほとんど喋ることを奪われてしまったシャルルだが、最後に付け足し。
「先ほどの四種類を使ってアレンジメントを作るよりも、一輪のバラが好まれたりとかする時もあるから、難しいんです。強調とかしないでこう、まったりと落ち着いたアレンジメントのほうがよかったりとか」
手で水平さをアピール。波風の立たない、柔らかなアレンジメント。それもあり。結局、誰も答えなんてわからない。
「強調するために、どんな手段を使っても」
その手にはユリ。目を惹きつける、そんな愛くるしい形。テーマを決めて、そこへ向かう流れ。様々な事柄がベルの脳を支配して、結局なにが伝えたいのかわからなくなる、そんな未来が見える。
「フローリストに『練習』という言葉はない。『経験』だけだ。さっさと経験を積んで、ウチの役に立てるようになれ」
自身であっても、まだ花の歴史からすれば、瞬きにも満たない程度だということはベアトリスもわかっている。日々、様々な経験を糧に花を選ぶ。それしかできない。




