14話
ちらり、と二人を見やり、声のトーンを多少荒くする。
「そんな程度って思いますか? そんなもんかって。お前のピアノへの思いはそんなもんだったのか、って。その後は越えられない壁を知りながら、この音もあの音も違うと感じながらの演奏はひどいものです。音が気持ち悪い。楽譜通りに弾くだけでは、顔のないただの『音』なんです」
両の掌を赤子のように曖昧に握り、微かに嘲笑する。その姿を見て、シャルルは心を痛めた。だが、それはしっかりと聴きいれなければならない。決意を込めて話すベルのためにもである。
「次第にピアノを弾くこと、しまいには見ることすらも怖くなる。挫折したピアニストの末路では一般的ですね。それでも癖でありもしない鍵盤を弾いた時は、この腕さえなければ、とも思いました。ピアノは一日休んだら、指先が取り戻すのに数日の人もいれば数週間かかる人もいてピンからキリです。そうなると、もし今のあたしじゃどれだけかかるのやら、って感じです」
一気に語り終えて上げたベルのその表情は、自分に呆れるように侮蔑の色を加えていた。すっかり気の抜けたシードルを口に含み、喉を潤す。まるでこのシードルは自分のようだ、と心の中で囁いた。一番輝く瞬間を捨てた残り物。それが今の自分にお似合いのように見えたのだ。
喋り通され、やっと発言を許されたベアトリスが、ベルの言わなかった心の奥底を引きずり出す。どことなく呆れを身ごもっているようにも見える。
「でも、それでもお前は未練がある、と。それは優しいパパやママに対しての負い目か? それとも十年以上もピアノ漬けだった、というもったいなさか? 違うな、お前はまたピアノが弾きたくてたまらなくなってるんだろ? 挫折したピアニストの性として一般的だな」
「……」
無言で切り通すが、それは肯定を示唆していた。耳が痛い。そして心も。しかしベルは言い終えて胸の荷が下りたのか、自分自身を見つめた。
「たぶん、いえ、間違いなくそうなんです。敵わないとわかっても、細胞が演奏したがる感覚……わかりますか?」
「たぶんな」
返すベアトリスはあっさりしていた。
「ええ、僕達も花をアレンジしたい病、みたいなものですからね。常に無限にある花の組み合わせを考え、頭の中で描く。すべて作り上げるなんて不可能だとわかってるのに、作らずにはいられない。似たようなものですね」
傍らから諧声を混ぜ、シャルルは室内を見回すと、どうやら見つけたらしく微笑を浮かべて棚の上の籠をテーブルの上に移した。その花は鮮やかではあるが、奇妙な整合性を持つバラだった。
「たとえばこれなんかは、生花とは違って『プリザーブドフラワー』といいます。染料を吸わせて加工した花なんです。生花とは違い、長期間保存できるのでアレンジメントなんかには向いています」
「こんなのも……あるんだ、綺麗……」
ベルが表面を撫でるようにさする。
シャルルは言葉を続けた。
「これはまだフラワーアレンジの歴史の中では比較的最近発明された技術で、おそらく、まだまだ花の楽しみ方は今後も増えていくでしょう。花とは不思議なものです。どれだけ花を知っているか、と問われても、僕達でも三パーセント程ではないでしょうか」
「四くらいは知ってるぞ。私を一緒にまとめるな」
眉根を寄せてベアトリスが反論する。なぜだか、とても微笑ましいように見えて、ノックアウト寸前のはずのベルは「くすり」と笑った。
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