134話
翌日。パリ郊外にあるサミーの暮らすアパート。
驚くほど彼の書斎には物が少ない。映画に関する本などは、壁の本棚に数冊存在するが、それ以外にはソファ。今も横になりながら、タブレットPCで思いついたこと、やりたいこと、その他連絡。これひとつで全てできる。
基本的に家で映画は観ない。観る時は映画館で観るし、誰かと観たいから。終わった後に意見の交換。この時間がとても贅沢。このアパートを選んだ理由は、近くに古本屋や古き良き映画館があるから。ネット配信で映画を観る気にはなれない。寄り道や面倒が楽しい、と感じられないと、自身の監督感とズレる気がする。
《なにかいいことあったの?》
携帯電話の向こうのプロデューサー、オーレリアン・エルナンデスは、サミーに違和感を感じた。だいたい映画制作の初期段階は、なかなか方向性が定まらず、怒るわけではないが、ムスッとしている。それが今日は珍しく会話が弾む弾む。知り合って長いだけに、些細な違いに気づける。
「ん? なんで?」
なにか違いがあったのか自分では気づけず、サミーは聞き返した。いいこと……なにかあったか。時計をふと見たら一二時三四分五六秒だった、程度。特に思いつきはしない。なんだろう。
先のやり取りを、オーレリアンは回顧する。
《考えてる時、鼻歌歌ってたよ》
スケジュールについて話し合っている際、なにかアップテンポな曲が聴こえた気がした。最初はテレビかなにかの音か、もしくは気のせいかと思っていたが、その後も口ずさんでいるのを確認し、何事かと。こんなベタな男だとは。
しかし、それについてはサミーも反論する。
「そりゃ歌う時もあるだろ。つい——」
なにかいいことがあった時は。そう言いかけて、やっと自身がほんの少し幸せ気分でいることに気づく。知らず知らずのうちに気持ちが上向きになっていた。
《その『つい』は、だいたいいいことがあった時だよ》
オーレリアンにも追い討ちをかけられ、恥ずかしさが込み上げてきたところで、サミーは話題を変更する。
「……そういえば、キミは紅茶について詳しくなかったか?」
ふと、本棚に飾ってあるアレンジメントを目にやって、宿題と称された疑問を思い出した。ティーカップ。それでオーレリアンがなんとなく詳しかったと、繋がってきた。
それについてオーレリアンは肯定する。
《まあね。一時期イギリスでティーテイスターになろうかと思ってたくらい。でもそれがどうかした?》
かつての記憶が呼び戻されるオーレリアン。まさか映画は紅茶の話になるのか? と冗談混じりに少しワクワクしだす。しかし急にどうした。




