131話
折り畳まれた手紙を開き、ある一点をベアトリスは指差す。
「名前の最後、イグレックに一度止まってインクが滲んだ箇所があります。おそらく悩み、迷ったのかと」
Samy の『y』の書き始め、その部分がほんのわずかに、押し付けたように太くなっている。時間にして数秒にも満たないであろう、その時間。頭の中に思い浮かんだものがあったのかもしれない。そのまま続ける。
「しかし、最後の、いわゆる『はらい』の部分は鋭く、迷いがなくなったかのようです。きっと決心がついたのではないでしょうか」
打ち込んで印刷、では伝わらない、言葉にならない想い。手紙はたしかに届くまでも時間もかかるし、書き直しもできない。フランスでは本当に届くのかもわからない。しかし、だからこそ伝わるものがある。ベアトリスはそう信じたい。
不思議だ。サミーはクリアな視界を手に入れたような、そんな晴々とした気持ちと、鬱屈としたモヤモヤした気持ちの中間にいる。でも、なんとなく心地いい。この数年忘れようと、そして思い出そうとしたり色々あったが、つっかえていたものがとれたような。言葉にしづらい。
「……まいったな、そうきたか」
どうするべきか。正解がわからずそのままズルズルときてしまった。今が間違っているとは思わないが、もし亡き妻が自分の立場だったら、どうしていただろうか。
イスに座り直し、ベアトリスは姿勢を正す。
「今すぐ決める必要はないんじゃないか、と思います。悩んで悩んで、その結果どんな答えになっても、その答えを出す監督のことをを奥様は好きになったんでしょうから」
サミーのエスプレッソがまもなく空になるのに気づき、キッチンへ。エスプレッソを淹れ直すが、その機械音が店内でやけに響き渡る、そんな気がする。自身のやったことは正しかったのか。わからないけど、なにかのきっかけになれば。
新しいエスプレッソのカップをソーサーの上へ。ティーカップのアレンジと、新しいエスプレッソ。どちらも苦い。人生のようだ、とサミーは眉を開く。シュガーやミルクを入れて甘く、飲みやすくもいいし、そのまま味わっても。
「いや、もう答えは出てるんだ。たぶん最初から」
ここに来たのは、最後に誰かに聞いてほしかっただけなんだと思う。それがたまたまフローリストだった。だが、それでよかった。
声色に安堵し、ベアトリスは嘘偽りのない気持ちをシンプルに伝える。
「それはよかったです」
「聞きたい?」
はい、と言ってほしそうな顔でサミーは問うてくる。ここまできたら、全部ぶっちゃけようか。
だが、あくまで裏方である、という考えを貫くベアトリスは、首を横に振った。
「私の出番はもう終わってますから」
これにて終了。あとはご自身で。
「そんなもんなのかね」
どちらかといえば主役だよ、と認めつつ、サミーは残った謎の解明に走る。
「ていうか、なんでティーカップ? それと五年経った今っていうのは?」




