130話
オアシスに変えれば、水がこぼれる心配もない。水だけならよりラフに仕上がる。好みの問題だ。
バラをまず挿し、そこにグリーンとしてへデラベリーを添える。こうすることでより、バラの真紅が引き締まる。さらにナチュラルな印象を足すためにナズナを二本だけ追加する。これだけ。そして気になっていたバラの名前を、ベアトリスは公開する。
「こちらのバラ、名前は『イングリッド・バーグマン』です」
完成したアレンジメントを差し出す。赤と緑がお互いに引き立てあい、網膜に突き刺さる。
そしてその名前に聞き覚えのあったサミーは、興奮してアレンジメントに顔を近づける。
「イングリッド・バーグマン? あの女優の?」
映画監督で、いや、映画好きなら知らない者はいない大女優。イングリッド・バーグマン。まさかバラの名前になっている、ということは知らなかった。
首肯するベアトリスは、さらに追加で補足。
「そうです、二〇世紀を代表するスウェーデンの名女優。アカデミー賞なども獲得した彼女の名前が冠されたバラを選んでみました」
花には、人の名前が冠されたものは、多々ある。ダヴィンチやモーツァルト、ゴーギャンなど、数えきれないほど存在する。そのうちのひとつがイングリッド・バーグマンだ。
口を開けてサミーは顔を変化させる。バラには種類は色々ある、というのはなんとなく知ってはいたが、人の名前まであるとは、という新鮮な驚き。
「そんなものが……私が映画監督だからと、そこまで気をきかせてくれたのかな?」
だとしたら憎い演出だ。そういえば昨日、ここにない花、と言っていたのを思い出す。ということは、わざわざ取り寄せてくれた、ということだろうか。なんだか悪いなぁ、と照れ臭い。
だが、そのバラの元になった名前の女優の言葉を、ベアトリスは拝借する。
「それもありますが、彼女の名言で『幸福の鍵は、健康と健忘』というものがあります。体の健康と、忘れることが幸せへの第一歩だと」
健忘。そこにピクリ、とサミーの皮膚が粟立つ。つまり。
「……妻を忘れろ、ってこと……?」
まさかそんな。友人や家族ならともかく、昨日会ったばかりの子にそんなこと言われるなんて。手紙から読み取った、ってこと? 様々な要素が絡み合い、思考停止する。
「奥様を思い続けて立ち止まる、それも私はいいことだとは思いますが、おそらく奥様はそうではなかった。のかもしれません」
もちろん私見であるため、それはわからないことはベアトリスも重々承知の上。
どの感情を出せばいいのか迷っているサミーだが、じっくりと熟考して、静かに口を開く。
「……しかしなぜ、妻が忘れてほしいと思っている、と考えたんだい?」
手紙にどういった意味が? 五年という年月。再度思い出してみるが、なにも手がかりがない。どんな気持ちで書いたんだ。




