117話
こっちから言っていいのか迷っていると、ベアトリスのほうから肯定。
「娘です。あまり一緒に生活した記憶はありませんが」
静かにコーヒーを口にしたベアトリスは、数秒、目を閉じた。父親、ねぇ。
どことなくそれ以上触れないほうがいいと察したサミーは、もう一度笑顔を作り、ここに来た目的に戻る。
「気を悪くしないでほしい、すまないね。それで手紙に話を戻そうか」
どこに地雷が潜んでいるかわからない。慎重に歩を進めるより、撤退して再度作戦を練る。
その心遣いに感謝しつつ、ベアトリスは内外共に平常心に戻る。
「お気になさらず。友好な関係は築いていますから」
そうは思えなかったが、という言葉は胸にしまい、サミーは思考を完全に切り替える。監督業でも切替は大事だ。
「気になるのは、なぜ手紙を花で、というのと、リオネルはきみを推薦してきたのかな」
手紙の意味がわかる人がいるなら、ストレートに教えてほしい。いや、いないだろうけど。
それに対して、自分なりの理論をもつベアトリス。
「花は、見えないものを伝える役割もありますから。無言の方が伝わることもあります。映画にもありますよね、無言のカットを撮るシーンなど」
外の喧騒が、ほんの少しだけ聞こえる。
そこでサミーは合点がいった。空気感を演出するために無言の、無音のシーンは存在する。
「たしかにね。何を撮るか、あえて撮るか、撮らないか。イーストウッドなんかがそのあたりは素晴らしい。『ペイルライダー』のラストなんか圧巻だったよ、ってまた脱線してしまったね」
出されたままになっていたコーヒーを味わいつつ、サミーはひとつの考えが浮かんできた。
「死者からの手紙……次の作品に使えるかも。いやいや、なに言ってんだ俺」
どんな時も、映画と結びつけてしまう。頭を振って否定するが、ベアトリスは笑みを浮かべて同調した。
「それがある意味供養になるかもしれませんね」
楽しみにしてます、とベアトリスはコーヒーを口にした。テーブルに置かれた黄色のゼラニウムのアレンジメント。その花言葉は『予期せぬ出会い』。こういうことなのかもな、とひとり考えた。
「妻に悪いと思う反面、職業病なんだろうね。諦めている」
そんなところを、妻は好きになってくれたのか。生前、聞いておけばよかった、と軽くサミーは後悔する。
吹っ切れている、というのは本当なのかも。前向きな雰囲気を感じ取り、ベアトリスは私見を述べた。
「もし次の作品のテーマになっても、奥様も後ろからフライパンで殴るほど怒りはしないと思いますよ」




