11話
扉を開いたシャルルの手にはトレー。その上にはフルート型のシャンパングラス。その中には泡が立つシードル。
お客として扱われているとはいえ、その至れり尽くせりな状況に、逆にベルは少し居心地の悪さを覚える。そのせいかもじもじと体を圧縮していた。
「グラスも冷やしてある。私はシードルにはちとうるさくてな。日々色々な飲み方を研究している」
「キーパーって、本当は花を冷やすためなのに……」
「ついでに冷やしてなにが悪い。そもそも、キーパーを保持している花屋など、そう多いものでもないだろう。あるなら存分に使うのが礼儀だ」
黒に近い茶褐色の扉の先には、暖炉や四方四人掛けのテーブルやインテリアなど、一般家庭と大差ないリビング。二階に通じているらしい階段も見受けられる。インテリアに使っているのは、空になった空き瓶や木製の箱に入った雑貨などだが、それがリビングに味を生み出す。だいたいは勘でベアトリスが飾り付けているのだが、そうとは知らないベルは入った瞬間に、店内に入ったときとは違う人工的な感動を覚えた。この部屋だけでもお金が取れるのではないか、と商人な感想も添えて。
「悪くはないけどさ。はい、ベル先輩もどうぞ。よく冷えてますよ」
そう微笑みかけて、シャルルは音をたてないようグラスをテーブルの中心に置き、ゆっくりと地面を滑らせ、俯くベルの前に差し出す。
深いグラスから林檎の清々しいトップノートがベルの鼻腔をついた。人間の嗅覚の何万倍も鋭いと言われる犬は、逆によすぎて人間の感じる香りには鼻はバカになるというが、この香りはどう捉えるのだろうか。
「うん、ありがと」
微笑返し、礼を述べると恐る恐る一口運んだ。久しぶりの命の水。
透明度低く、自分の顔が表面に写る。酷い顔、それが正直な感想だった。それも含めてごくり、と一度大きく鳴らして飲むと、ヴァイオレットの瞳が光る。
「どうだ?」
頬杖をついて、あくまで上の立場からベアトリスは問う。しかし答えはわかっていた。
「美味しい……!」
目を輝かせたベルはそう言うと、残りを一気に飲み干す。ごくごくと健康的に連続して喉が鳴り、中身がなくなりテーブルにグラスを置く。干からびた砂漠に雨が降るような充足感。それはただ単に体が欲していただけではなく、心も求めていたアクアヴィテ。
その満足気な光景を確認したベアトリスが「ふん」と鼻を鳴らして笑む。
「だろう? シードルも花も、この店は選りすぐりのやつを発注しているからな。不味かったらリオネルをぶん殴ってるところだ」
初めての単語『リオネル』というのは人の名前だということはわかり、おそらく仲卸の人なのだとベルは判断した。が、今はそれよりも重要な事がある。
「あの……シャルル君……」
控えめな声量でベルに名前を呼ばれたシャルルは「はい」と返事のみで応じるが、その言わんとしていることを状況から察し、継ぐ言葉を連想するのは簡単であった。
「もう一杯、ですね。すぐにお持ちします」
軽やかに踵を返し、シャルルは扉から出て行く。
それを見届け扉の閉まる音を聞き届け、ベルは視線をベアトリスに転じた。
「ベアトリスさん」
「なんだ?」
「あの、ありがとうございます」
「なに、シードルならいくらでも仕入れるさ。好きなだけ飲め」
「いえ、そうではなくて、痛いところを突いてくださって、という意味です」
手に乗せていた顔をゆっくり上げ、ベアトリスはその童顔の青い瞳と驚いた表情をベルを移す。
「……まさかお前……いやすまん、悪いが私はそういうのはないんでな。他を当たれ」
「そうではなくて!」
おそらくなにか卑猥なことをベアトリスは妄想したのだろう。声を荒げて否定し、会話のバトンを再度渡したら、また話が変な方向に向かうと決め付け、ベルはそのまま続ける。
「……ズバズバ言い当てられて、なんで初対面なのにこんなこと言われなくちゃならないんだろう、って最初思いました。あたしのなにがわかるんだ、って」
ヒザに乗せて軽く握っていた両手に、自然と力が加わり強く握る。爪が掌に数ミリ食い込み、その部分が薄く変色する。
「でももし……あの時言ってくださらなかったら、またあたしは逃げてしまったと思んです。たぶん、何事もなかったかのように帰ってました」
俯きつつも、口元には微笑を浮かべて、テーブルを遠い目で見つめるベル。ひとつ吹っ切れたような、快活さも受け取れる笑みだった。
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