105話
呆然とするベル。
「そもそもブラッケンファーンは切って使ってないし、そんなところに乗るはずありません、それに肩なら僕でも手くらい届きます、せ、先輩のほうがずっと隙があります! 人のこと……言えません」
自分も相手も考える時間を与えない、とでも言わんばかりにシャルルはそのまま喋り倒す。
「そもそも、先輩は僕よりも背が高くて力があるんですから隙以前の問題で、というか女性なんですからもっと慎みを持って、ことあるごとにすぐ異性に抱きつくのはどうかと――」
「シャルル……君」
「……はい」
ようやく意識が再生の途を辿りだしたベルがかろうじて言えたのは、少年の名前だけだった。感情が込められていない薄い声。なにが起きたのかを噛み締めているのだろう、目も虚ろに思える。
場が静まり返る。そのサイレントと〈ソノラ〉の片側のみ開いた扉から漏れる程度の電気の明るさ。考えを巡らせるのには申し分ない。そしてようやくシャルルは気が動転し、頭に血が昇っていたとはいえ、自分がやったことの大きさを知った。火照った全身が一瞬で冷却される。それは挨拶や感謝といったものとは違うタイプのキス。とんでもないことをしてしまった、と胸中で嘆いた。
以前に彼女からしてきたことはあったが、それはそれ。怒っている可能性のあるベルにひたすら謝る、それしか道を見出せずに腰を折り口を開きかけたその時、
「――――」
「うわあ!」
またも抱きしめられ、その唐突ぶりに大きな声をシャルルは上げた。今度は引き離そうとして、躊躇う。してはいけない気がした。空気がそう伝えたのだ。
「……あの」
謝ろうと思っていたのに、続くベルの言葉がシャルルを遮った。
「好き。すごく。シャルル君が」
突然の告白。
「……先……輩?」
「ママもパパもベアトリスさんもレティシアもシルヴィも、皆大好き」
「あの――」
「でもね、シャルル君は違った意味で好き。ちっちゃくて、ふかふかしてて、目がクリクリしてて可愛くて、そんなシャルル君が好き、なの……」
終盤に細るベルの声に感情がこもる。
服と薄皮一枚を挟んだ、ベルの心臓のソノラが激しいビートを刻んでいるのが骨伝導でシャルルにはわかる。切れ切れに酸素を吸い二酸化炭素を吐く口。甘く香る体臭。それらが艶かしくシャルルの五感を刺激し、正常な判断を狂わせかねない。それでも意識を保ち、短く訊ねる。
「な、なにを?」
この行動の意味、発言、それらを結びつければおのずと答えは出てくる。しかしそれをあえて問う形にしたのは、動揺する自分の脳で濾過しただけではどこか確信には足らなかった、ということだけではない。
「ダメ、かな?」
まだシャルルは答えていない。
だが長い沈黙が流れると、不安が一秒ごとに倍になってくる気がし、時間を使ってベルは自分から引き離す。少年の肩を掴む力は弱く、掌が多少の面積を持って押し戻しただけでは必然と言える。




