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龍の棲む星  作者: 青丹柳
星食
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5

――― かちゃかちゃ


 目の前には重厚感のある木製の扉。その先にある控えの扉の方から茶の準備をしている小気味よい音が聞こえる。更に出汁のような良い匂いも漂ってくるので食事の用意もあるらしい。さすがに人類側の艦の中だから食事も人間用だろう。遠路遥々この星に来てまでしっかりとした食事をとれるあたり、お偉いさんの乗る艦なのだとわかる。

 ついにまともな食事にありつけるかもしれない。


(お腹がはち切れるほど食べてやるんだから)


 震える手首を腹に抑えつけて、無理矢理食事のことを考えた。

 今更何も怖くなんかなかったはずなのに冷や汗が出て手が震えるのは何故だろう。地球政府側から誰が出て来るのか考えただけで喉がカラカラに乾いた。


 隣に立つリュウは背筋を伸ばしていつもと変わらない様子だが、挙動不審のわたしに気づいて一度だけゆっくり目を瞬かせた。

 ざらりと硬い感触がして足首を見るとリュウの尾がくるぶしの辺りを摩っている。まるで大丈夫だと言っているようだが、真意はわからなかった。

 五つの顎が放射線状に開いて何かを言おうとする。


――― ウィーン


 同時に目の前の扉がその重厚感に似つかわしくないモーター音を立てて開いたので、結局言葉を交わす事なく交渉が行われる部屋へ足を踏み入れた。


「本日はどうぞよろしくお願い致します」


 長い卓が部屋の中央に伸びており、卓上には大きな花瓶が置かれ溢れんばかりの花が生けられている。卓の片側にはずらりと人間が並び立ち、その中央に立っていた男がこちらへ寄って来てリュウの方へ手を差し出した。


「私は和平交渉の責任者を務めます、元帥の宇垣と申します」


 その声を聞いた途端、目の前が真っ暗になった。

 頭の奥がカッと熱くなって、色んな思いが綯交ぜになる。はっきりとわかるのは、父の帰る場所はなくなったということ、その跡を継いだのはわたしを幽閉した男だということだけだ。


(お父さんが帰って来た可能性は低いとわかっていたけど)


 その後どのような会話が交わされたのか全く覚えていない。水の中に潜っているように周囲の音がくぐもって聞こえ、対面に居並ぶ顔は全て歪んでぼんやりとしか認識できない。ここしばらくの安定した生活で凪いでいた心があっという間に沈み、何もかもがどうでもよくなった。


 そうして暫くただ人形のように座っていると、かちゃかちゃという陶器同士が触れ合う音が近づいてくる。開いた扉の向こうからワゴンに載った食事が運ばれてきたが、どう見ても人間用だった。わたしの目には美味しそうに映るがリュウ達はこういう類の物を食べられるのだろうか。


「我々の捕虜にしっかり食事を与えてくださっているようですから、本日はその礼も兼ねて我々の食事を振舞おうと思いまして」


 にやつくその顔に見覚えがある。看守達にわたしを打たせる時に浮かべていた表情だ。毒でも盛っているんじゃないかと不安になってきた。和平交渉の場でそんな事をしようものなら折角纏まりかけた束の間の平和があっという間に霧散してしまうと馬鹿でもわかるのだから、おかしな真似はしないと信じたいが。


(仮に人間にとっては毒じゃなくても、彼らに害がないとは限らないじゃない)


 そこまで考えたところでふと気になる。

 わたしはこちらに来てからの日々の食事で体調を崩したことなどなかったが、もしかしてあれは奇跡的なものだったのだろうか。同じように彼らに無害であっても人間には有害な成分があってもよさそうだが、把握した上で避けてくれていたのか、偶然有害な成分が混じっていない食事だったのか。


「失礼ながら、何が含まれているのか把握できない食事は頂けません」


 アルジズの淡々とした声が響く。


「和平を結んだのですよ。毒でも盛って事をひっくり返しては元も子もないですし、おかしな物が入っていないことを証明するために我々が先に食べて見せましょう」


(だから、わたしたちにはそれを証明できないでしょ。体の造りが違うんだから)


 随分無茶を通す、と眉を顰めたわたしの二つ向こうに座るアルジズの声が少しだけ刺々しくなった。ちょっと聞いただけでは淡々とした語り口に揺らぎは無いように聞こえるが、注意して聞けば苛立ちが感じ取れる。


「結構です。調印を済ませたのですから本日の目的は達成出来たと見做せるでしょう」

「おや、貴方がたは軍人としての誇りが高く、退く事を良しとしないとお聞きしましたが」


 やたら突っかかる。あの反吐が出るような表情が一層濃くなった。

 ここで揉める事に何の利があるのかわたしには想像もつかないが、この男はどうしてもリュウ達に食事を摂らせたい、リュウ達は人類を信用できないから食べたくない、という状況は理解できる。何か思惑があるのは間違いない。


 ガラス製で縁に金細工が施された豪奢な器には美味しそうな前菜が盛り付けられていた。


(・・・だったら)


 ごくんと生唾を飲むのは食欲か、緊張か。

 唯一わたしが取れる効果的な対処を実行するには羞恥心を捨てねばならないが、どうせすぐ消えると思っていた命だ。


――― がしゃん!!!


 元より粗野で乱暴で知能のない野生児みたいな振る舞いを心掛けてきたのだから、今更恥も外聞もない。あの男の思い通りになる事だけは我慢ならなかった。


「何をする!!!」


 無視してリュウ達の前に配膳されたばかりの前菜を手掴みで次々に口の中に放り込む。もし懸念した通り毒でも入っていたら死んでしまうだろうが、そうなったらなったで好都合だ。

 あの男もまさかわたしがこんな行動を取ると思わなかったのか、最初に叫んだ後二の句が継げないようで口を開けたり閉めたりしているのが面白い。

 リュウ達も戸惑っているのか何も言ってこなかった。

 誰にも止められない勢いでほとんど平らげることができそうだと思った時。


――― ドゴッ


 頭部への鈍い衝撃で椅子から転げ落ちた。


「お前はどこまで私の邪魔をすれば済むんだ!!!この糞餓鬼め!!!」


 視界の左側から人間の数倍はある大きな四本指の手がぬっと伸びて大きな花瓶を鷲掴んでいるが、勢いよく飛んできたので上に長く伸びた部分がその勢いのまま傾いてわたしの額を打ち付けたようだ。むせかえるような花の香りと肌を濡らす水分が頭を混乱させる。

 テーブルの中央にあった重そうな花瓶を投げつけられたのだと気づいた直後に意識がぷっつり途切れた。







「え?え??」


 目の前に横たわる人間の青い顔に、只事ではないことは察せる。でも父様から簡単に事情を説明されても何でこうなったのか理解できなかった。

 さわさわと前方の四本の脚で腕を突いたが、いつもならちょっと嫌そうな顔をして振り向く人間はぴくりともせず目を閉じたまま。

 

(なんで人間が人間を攻撃したの?)


 今まで戦争状態にあったこちらの星の種族に害を生すなら理解できるのに、仲間を攻撃して何になると言うのだろう。


「彼女のあの行動はあの場での最善でした。結果的にあの場のトラブルは人間側での内輪揉めということで収めることができたのですから」


 アルジズ様の声は心なしかいつもより刺々しい。内容は難しくてよくわからないけど何かあったのかな。


「・・・まさか公式な場でありながらあれ程までの扱いを見せるとは」


 主様の声はとっても冷たい感じがした。

 身動きひとつしない人間の手をご自分の手で包んでじっとその顔を見つめている。


「私共の調査が甘かったのです。申し訳ございません。ただ彼女は―――」


 アルジズ様は彼女の顔を覗き込んで言った。


「我々を助けたと言うよりも、敵味方の判断無く捨て鉢になって大暴れしたように見えたのが気掛かりですね」


 よくわからないけど、この人間は良い人間だ。獲物を取る練習に付き合ってくれるし、面白い話をたくさんしてくれるし、意地悪しない。一緒にいると楽しいから、早く元気になってほしい。

 主様が握るのとは逆側の腕にしがみついていると、後ろから父様に引き剥がされた。


「無事に調印が済んだとはいえきな臭いです。今日のあの地球政府側の態度は明らかに何らかの思惑がありました」

「・・・調査する必要があるな」


 そう言いながら、お二人とも既に同じ考えがあるかのようにアイコンタクトをして頷き合っている。こういう時はほとんど答えが出ている時だ。


 表向き戦争は終わったはずなのに、何だかまだ戦時下のような空気だった。



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