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「これはすごい・・・」
静かに顎を開閉させ、水色のマントを後ろへやると食い入るように前傾姿勢になる。彼がかじりついているのは空中に投影された異星の文字の羅列だ。全く読めないので何が面白いのかさっぱり分からないが、彼がこの情報を心から求めていた事は知っている。だからこれは良い事なのだ。
彼の黒々とした眼球の上を、光り輝く文字がするすると流れていく。尾はだらりと垂れ、瞬きもせずに一心不乱に読み込む姿に満足感を覚えたのも束の間、手持無沙汰故に退屈してきた。
「だろ?俺ってすごいだろ?」
返事はない。
(ちぇっ!もっと驚いてくれたっていいのに)
勝手にやった事だが、想像していたよりも友人の反応が薄かったため心の中で悪態をついた。我々の種の存続危機だ、などと日々訴えていたのに、いざ解決の糸口が見えたところでこの反応か。
友人ではなく、彼の上司に持ち掛けたほうがよかったか。
(・・・いや、さすがに無理だあ)
所属している色の長ならばともかく、他色の長においそれと気軽に接触することはできない。それも疑われずに。
自他ともに顔の広さを認めていても、所詮その範囲は自色内の同僚か他色の同じ階級程度だった。その中で今自分にできる精一杯の事、みんなが幸せになれる事はできたはずだ。
友人はゆっくりと振り返ると、やっと絞り出すように声をだした。
「お前・・・これ、どうやって?だっておかしいだろ・・・このデータは求めていたものにぴったり過ぎる・・・」
垂れた尾がゆっくり持ち上がりピンと上を向く。不安そうな声色を反映してゆらゆら揺れている。
不安に思う事なんかない。だって良い事をしてるんだから。きっと俺達褒められるぞ、という気持ちを込めてバシバシと彼の背を叩いた。
「秘密~!でも、そうだな。ヒントはギブアンドテイクさ」
てっきり喜びのあまりハグでもしてくれると思った友人は、しかし真逆の反応を示した。
ずり、と半歩後退る。敵対的生物にでも会ったかのような警戒態勢を見て、首を傾げた。なるほど、嬉しすぎて混乱してるんだな。
「まさか・・・いや、言わなくていい!聞きたくない!」
ぶんぶんと尾を振ると踵を返して出て行こうとする。
(おっと!)
――― パシッ
「大事な物、忘れてるよ~」
先ほどまで光り輝いていた小型の記憶媒体を友人のほうへ投げると、思わずといった様子で受け取ったのが確認できたので安心する。この情報は彼のところ、つまり青の宮殿でなくては利用できない。
記憶媒体を握りしめたまま逡巡している素振りを見せたが、彼はそれ以上何も言わず、フードを目深にかぶるとそそくさと出て行ってしまった。
「ちゃ~んと役立ててよね~」
その背中に激励の言葉を投げかけてやるが、やはり返事はない。それが気にかかったが、こちらにもまだやる事がある。
みんなが幸せになるために頑張るのだと気合を入れなおした。
「さ~て、ウルズ様はどこかな~」
*
――― ピピッ
データ送信完了の表示と同時に、データ本体と操作ログ、ネットワークログを含むあらゆる痕跡の自動削除を開始したメッセージと進捗バーが現れる。徐々にバーが伸びていき、100%を示したところで無機質な電子音が響いた。
ふう、と一息つく。
隣で一連の流れを一緒に見守っていた部下が不満そうに声を上げた。
「本当によかったんですか?あいつ、信用できますかね」
もちろん踊らされている可能性はある。
最近まで戦っていた相手だ。和平交渉に合意できたからといって、急に親密になれるはずはない。何らかの罠があってもおかしくはなかった。
「・・・わからない。でもいいのよ。問題が起きれば、その時はまた考えるわ」
ちらりと机上に置いたフレームに浮かぶ動画に目を遣った。
ぶかぶかのワンピースを不格好に着た若い娘が、嬉しそうにカメラの向こう側へ手招きしている場面が何度も繰り返し再生されている。遠い星系からリアルタイムで送られてきたために画質が荒いが、にっこり笑う頬は薄桃に染まり血色が良いことはわかる。全体的に健全な丸みを帯びた輪郭とリラックスした表情は、彼女の待遇の良さを示していた。
その笑みは、遠い昔に彼女の家で行われたお泊り会の思い出を想起させる。あの時も彼女は動画のような笑みを浮かべていた。普段は日中にしか会うことがなかったから、不思議な高揚感に包まれてベッドの上で夜通しお喋りしたものだ。彼女が着ていたのは不格好なワンピースではなく、可愛らしい花柄のパジャマだったけれど。
私が最後に見た絶望的な彼女の姿からかけ離れており、心の底から安堵した。
(少なくとも丁重に扱ってくれているようだから)
「ギブアンドテイク、ってやつよ」
彼らには誠実さがある。それが高等な文明を擁するが故の優越感から来るものであっても、人間相手に尊厳を持ってコミュニケーションを取ることができている。
同じ種族でありながら、罪のない彼女に長年畜生にも劣る扱いを続けた糞野郎とは雲泥の差だ。
だから、彼女の身に日々起きている事や健康状態を確認するのと引き換えに、彼らが欲しがる人間の生体情報を少しだけ与えてあげても良いと判断した。
それに可能な限り余分なデータはフィルターしてある。彼らがすすめている研究における課題、その解決策になり得るデータだけを最低限だけ抽出して、更に部分的に送ったに過ぎない。お互いに完全な情報は隠し、小出しにしながら今後も拮抗した関係を続けていくことになるだろう。
しかも、彼らが送ってきた研究内容は驚くべきものだった。
向こうから話を持ち掛けられた当初、和平交渉は済んでいるのだから正式なルートから依頼すれば良いのにと思っていたが、なるほど、彼らの弱点とも言うべき内容を含んでいたので個人的な接触を図ってきたのも頷ける。
これもまた交渉のカードに使えるかもしれない。
この駆け引きはこれからが正念場だ。
まだ真の目的は達成できていないが、正式な、つまり表のルートの他に裏のルートとして内通者を得ることができたのは大きい。
「あともう少し、待っててね」
手招きする少女に向かって微笑む。
そういえば、この重厚感のあるクラシックな机は先日までその糞野郎が座っていた席だったか。
動画の少女が汚される気がして、慌てて机の上からフレームを取り上げると胸の前で大事に抱え、部下を引き連れて部屋を出た。