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――― ドスッドスッドスッ
怒りではない、然りとて愉快な気分ではない、持て余した感情のままに黄の門を潜ると周囲にいた者達が潮が引くように道を開けた。最奥にある長の部屋を目指して一直線に進む。
しかし奥へ進めば進むほど勢いがなくなり、足枷でもついているかのように一歩踏み出す足が重くなった。
「あれ、今日はどうされたんですか?」
入口ほどの人混みはなくてもそれなりに往来はある。廊の中央で立ち止まる私を怪訝そうに避けていく黄色系のマントを纏った人々の中から見覚えのある顔がぺこりと会釈してきた。
「いや・・・野暮用のついでにちょっと・・・」
薄黄のマントの二人組が寄ってくる。どちらもウルズが重用している部下だ。特に片方は神殿にもよく連れて来ており、例の人間と手紙のやり取りをしていた相手だったはず。
あの熱烈な手紙について思考が及んだところで現在の感情の源となる出来事を思い出してしまい、つい尾で床を強く打ち据えてしまった。
――― ダンッ
目の前の二人の尾がびくりと震えたのが見え慌てて言い訳する。他の色彩の宮までわざわざ喧嘩を売りに来たわけではない。
「なんでもないのよ、気にしないで!・・・あいつ、今いるかしら?」
怒ってるわけではないと理解してくれたようで、ほっとしたように部下のうちの一人オセラが返事をした。
「ウルズ様はなにやら急用があるとかで、今朝から不在なんです」
俺達も今日は会っていないんですよ、と隣に立つニイドも口を挟む。
オセラやニイドを連れて外出していることが多い彼が、珍しく部下を一人も伴わずに出ていったらしい。いつもだったら出先での面倒なあれこれ、記録だったり荷物持ちだったりを押し付けるために最低でも一人は連れていることが多いのでよほどの火急の用があったのだろう。
(神殿かしら?)
一色の長の用事といえば殿下と関係がある可能性が高い。
今までは黒の宮殿にいることも多かった殿下だが最近はめっきり神殿に籠っているので、必然的にそちらに居るのではと推測できる。
「神殿に行くなら一緒に連れて行ってほしかったな。いつもお前ばかりなんだからずるくないか?」
私と同じ結論に辿り着いたのだろうニイドがオセラに向けて不満を零した。
確かに私が見た限りウルズが神殿へ行く際は大抵オセラを伴っていたが、それは恐らく温和で少し気弱なところがある彼のほうが人間を怯えさせず相性がいいと踏んだからだろう。基本的に我々は人間と比べると気性が荒く好戦的な性質が良しとされる傾向があり彼のような類は珍しいのだが、場合によっては貴重な人材だ。
殊に神殿で保護されているあの人間は警戒心が強かったし、少なくとも出会った初めの頃は我々の姿形に怯えもあったように思う。
「もう一度会いたいなあ、あの女神様に!」
「女神様って?」
目当ての人物は不在だったが折角ここまで来たのだし、雑談ついでにニイドへ水を向けると堰を切ったように話し始めたのでその勢いに押され少し後退った。
そんなに興奮して話すことか。話すスピードと五つの顎の開閉が噛み合わず何を言っているのかよく聞き取れない。
「いや、俺達が勝手に言っているだけなんですけどね。女神様の像にお顔が似ているなって」
見かねたオセラが口を挟む。彼はあの人間を指して似ていると言っているようだったので首を傾げた。
人類の存在が初めて公になった時、我々が想像する神とあまりにも近しい姿形だったために少なからず衝撃を受けたものだがあくまで基本的な造形が同じという認識だ。
あの人間も外見からは我々の個体区別がついていないようだが、同じように我々も人間の外見における違いなどわからない。せいぜい雌雄の区別ができる程度だ。あの人間の顔面の子細が女神像と酷似しているなど考えたこともなかった。
(言われてみれば似てなくもないかしら?)
第一印象としては諦念を含み伏せられた瞳と細すぎる手足、覇気のない態度しか記憶に残っていない。
しかし最近は全体的にふっくらしてきて目を伏せることも少なくなった。相変わらず筋肉量は少ないが代わりに柔らかな脂肪分を蓄え、白と濃色が混じる不思議な瞳をぱっちりと開けた様子を思い起こせば女神像に似ているような気もする。
「実は昨日声も聞けたんですが、そりゃもう女神・・・」
「あっ!」
まだ続いていたニイドの話を遮るように大きな声を上げたオセラの視線を追うと、遠くに濃い黄色が見えた。ひときわ目立つ筋骨隆々とした体躯は遠くからでも黄の長たる貫禄を放っている。
「ベルカナ様!よかったですね、ウルズ様が戻ってきましたよ」
「そう、ね」
自ら訪ねて来たくせに、いざ本人を目にすると全身の筋肉に緊張が走った。あの人間に後押しされてここまで来たものの、まだ迷いがある。
でも―――
ゆったりと歩いて来たウルズの前に立ち塞がると、尾をくいと持ち上げて奥の部屋へ誘う。周囲に聞かせるような話でもないので二人で話せるといいのだが。
気を利かせたオセラが未だに話し続けるニイドを引っ張って去っていった。