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右にウルズ、左にリュウがぴったりと座るので、神殿に護送されて来た日の事を思い出していた。
ごわごわと硬い彼らの肌が布越しに接しているので体に力が入る。できるだけどちらにも寄り掛からないように全力で背筋を伸ばすが、独特の浮遊感をもって空中を滑るように進む車の中に居ると、まるでボールの上に座っているかのように真っすぐ座るだけで難しい。
暫くは微かなモーター音が響くだけだった車内で、ウルズがぽつりと呟いた。
「漸く自覚したようで何より」
「・・・余計な事は言わなくていいですから」
何の話かわからないので、手持無沙汰に窓の外を伺う。
(真っ暗)
何も見えないのは夜明け前だからだが、明るくてもきっとどこへ向かっているかはわからなかっただろう。数時間前に急に連れ出された時から今の今まで、いまいち事情が飲み込めていないのが正直なところだった。
『神殿の環境が少し危険だとわかったのでな、少しの間別の場所で生活してもらう』
部屋へ突然現れたウルズがそう言うのをぽかんと聞いていたら、あっという間にリュウに抱きかかえられ神殿から連れ出された。
(危険って?)
神殿外から訪ねてくる者は滅多におらず、来たとしてもウルズやベルカナなど顔見知りのごく一部だけだし、怪しい者が訪ねて来た記憶もない。
神殿内で働く者たちとは随分親しくなったと思う。顔の判別はできないまでも、声や着ているもので誰が誰なのかわかるようになって久しい。最近新たに働くようになった、素性の知れない者もいない。
つまり神殿内外を問わず身の回りで不穏な空気は全く感じないので、危険だと言われてもいまいちピンとこなかった。
だけど、草木も眠る時間帯とはいえ誰とも接触せずにするすると神殿を抜け出した彼らの様子を見ていれば、今回の移動は綿密に計画されたものだと伺える。
それだけ根が深い問題だとも思えた。
――― ぎゅっ
ワンピースの裾を握り締め、ちらりとリュウの顔を盗み見る。
(・・・ちょうどいいのかも)
『あなたは捕虜なのですから』
あの虚ろな視線が頭から離れない。
思い出すたびに暗く重い気持ちになった。
彼らとの交流が深くなる度に、捕虜という立場を再認識させるようにリュウはこの言葉を使う。まるで仲良くなるのを咎めるように、罰するように。
いつも親切だし人間のように酷い事はしないけれど、本当は、心の底ではわたしの事が嫌いなのかもしれない。イサとの騒動の時も、口では何も気にしなくて良いと言っていたけれど、やはり立場を弁えないわたしに苛々してたのではないだろうか。
一時的な生活の場所がどこなのかは知らないが、ウルズの口振りではわたし一人が別の場所に行くようだったからおそらくリュウとはしばらく顔を合わせないだろう。
それを喜ぶなんて、ひっそりと後ろめたく感じた。
「あ・・・」
微かに上体が前へ傾ぐので停車したのだろうと顔を上げる。降りる準備を、と体に力を入れるが、そこでリュウが低く唸っていることに気付いた。
「何故・・・何故ここで停まるのですか」
「お前が一任すると言っただろう。適切な場所を選んだまでだ」
そんなに特殊な場所へ来たのかと、薄く明るみ始めた周囲をなんと伺ってみる。
朧げに見えたのは薄暗がりの中で真っ白に輝く建造物だった。蜘蛛の巣にも似た独特の曲線は他の建物でも見たことがあるが、何もかもが白いので神殿と雰囲気が似ている。
「ここは・・・?」
顔を見合わせたままぴくりとも動かなくなった二人の顔を交互に見上げると、ウルズのほうが説明してくれた。曰く、ここは白の宮殿だという。ということは―――
「ほら見ろ、既にスリサズが出迎えに来ているぞ」
ふいと顔を逸らしてウルズが降りたので慌てて続こうとすると、大きな手がそれを阻むので反動で車内へ引き戻された。
「いいですか、健やかに過ごす事だけを考えて、周りの―――白の者たちの言葉には取り合わないで耳を塞いでください」
以前も似たような事を言われた気がする。
その際にも思ったのだが、具体的にどういった内容を聞き流せばいいのかわからないから困った顔をしてしまったら、密やかなため息が前髪を揺らした。
――― ヌロッ
蛇のような長い舌が口内の闇の中から伸びてくる。
反射的にわたしも唇を半開きにして舌を僅かに外へ出すと、それが絡みついてきて引きずり出すように巻き付いた。
(心配してる、のかな?)
これは親しい者同士の挨拶のはずだ。少なくともリュウは人間の文化としてそう認識しているようだ。
湧き上がる違和感を抑え、しばらく離れる事になるから別れの挨拶をしたいのだろうと理解した。
自身の喉奥から聞こえる水音に心がざわつく。
それでも大人しくされるがままに舌を絡めていると、突然背後からウルズではない声が聞こえてきたので驚いてリュウから身を離した。
真っ白なマントが視界に入るので瞬時に背後に立つ者の素性を悟る。
なんとなく居心地が悪くて、ごく自然にリュウとは距離を置いた。
「いつまで降りて来ないつもりだ」
腕を組んで仁王立ちするスリサズに、わたしはこれからしばらく世話になるのだ。慌てて車外へ出て挨拶すると、軽く会釈を返してくれたのできっと悪辣な対応はされないだろうと感じた。
神殿で会った時から不思議だったが、彼女は最初からわたしに好意的だったような気がする。
(何でだろう?)
普段より幾分緩慢な動作で後から降りて来たリュウが、低い声でよろしく頼みますと言う。それを聞いてスリサズが雑に頷いたので、リュウの尾が忙しなく揺れた。
(夫婦なのに、あまり仲は良くないのかな)
あの揺れ方は苛々している時の動きだ。
早くこの場を解散しようと、リュウとウルズに簡単な別れの挨拶をしてスリサズの後ろに隠れた。
「すぐに迎えに来ますから」
スリサズに誘われながら離れる背に掛けられた言葉を噛み締め、白の宮殿に足を踏み入れた。
*
「う、嘘だ!!!こんな・・・こんな・・・」
男の汚い掠れ声が耳に入ったので思わず顔を顰めた。こんなものと同じ人間というだけで反吐が出る。
答えてやる代わりに靴裏で、ご自慢の大層な勲章をぐりぐりと踏みつけてやった。
「あんたの自業自得でしょ。もう決着は着いた、今からじゃ逆転もない」
これ以上ないほど顔面を歪め必死に這い蹲って縋る男を眺めながら、私の目は過去を見ている。
あの輝かしい日々を、懐かしい彼女の顔を、そしてその後の地獄を。
(こんなんじゃ足りない)
――― ゴリッ
鼻っ面につま先を引っかけるとにっこりと微笑む。
「これ、どこか適当な部屋にブチ込んでおいて」
死ななきゃどんな扱いでも良いわよ、と付け加えると、後ろに控えていた部下たちが寄って集って手足の関節を外す音が響いた。絶叫と重い物を引き摺る音。軍人のくせになんと軟弱な事か。
不協和音にうっとりと聞き入りながら踊るようにくるりと振り向く。
「ねえ、楽には死ねないってわかってるんでしょ」
男の顔から血の気が引くのを満足げに眺める。
邪魔なものは片づけた。あとは―――
(待っててね、すぐに迎えに行くから)