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龍の棲む星  作者: 青丹柳
星食
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4

 蔦に覆われた朽ちかけのコンクリートの建物から顔を出すと、きらりと夏の日差しが直撃するので目を瞑る。思わず手をついた壁がぽろぽろと崩れていった。

 こんな建物でも雨風を凌げるだけマシだ。

 できるだけ日陰を選んで門まで移動すると、いつもの台の上に今日の食事が載せられていた。


(今日はまた一段と酷い)


 季節柄もあってパンもスープも痛んでいる。饐えた臭いが鼻をついた。

 顔を顰めていると少し離れた場所から看守達がにやにやとこちらを見ていることに気づく。乱暴にパンとスープを引っ掴むと建物の影に飛び込んだ。

 追いかけてくる笑い声が腹立たしい。


(さっさと殺せば良いのに)


 がつがつとパンとスープ食べる。こんな食べ方をしたら父も母も叱るだろう。

 だけど何処から誰が見ているかわからない。馬鹿で粗野な振る舞いをしていなければ、もっと酷い生殺し状態になることはわかっていた。


(お父さん・・・何でいなくなっちゃったの?)


 目から溢れる塩水でひどくしょっぱくなってしまったスープを無理やり飲み干すと、咽せている振りをして下を向いてどうにかやり過ごした。

 父がそのうちリフォームしようと言って所有していたこの土地に幽閉されてからもう随分経つ。最初は与えられる食事の鮮度が悪過ぎてほぼ毎回嘔吐と下痢を繰り返していたが、今では多少腐っていてもどうってことない。こうなったことで良かったと思える数少ないものの一つが、毎日与えられる残飯のような食事で鍛えられたこの頑強な消化器だった。


 正直、今でも何が起きたのか正確には把握できていない。


 もうすぐ初等教育を終えるという春に、軍人の父が乗っていた艦ごと行方不明になったという報せが入った。

 既に母は鬼籍に入っていたから、唯一の家族の身を案じて続報を心細く待っていたことをよく覚えている。

 だから翌日軍部の人間が家を訪ねて来た時、父が見つかったのだと信じて疑わなかった。軍人であるが故に突然の別れもあり得ると常々父は言っていたから良い報せも悪い報せも受け止めようとは覚悟していたつもりだった。


 その結果がこれだ。

 父にはクーデターの嫌疑がかけられており、わたしを保護すると言ったその男の目は確かに笑っていた。


 それからは坂道を転がり落ちるようだった。

 父が所有していた土地のうちの一つに保護という名目で幽閉され、緩やかに死んでいくことを期待されている。

 最初は父が戻ってくるまで絶対生きていよう思っていたけど、一年経ち、二年経ち、五年経つ頃にはその可能性が限りなく低いと理解せざるを得ず何で生きているのかわからなくなった。

 彼らも何故わたしを生かしておくのだろうと不思議だったが、一度この場所に侵入者が忍び込もうとしたことで思惑を知る。看守達の噂話によれば、元帥だった父の支持者達が現在軍部で実権を握るかつての父の部下に不満を募らせてわたしを担ぎ上げようと侵入したらしい。

 つまり父の部下は不満を抑え込むために、わたしを保護下に置いている。生かしも殺しもせず死の一歩手前に切り札として留め置かれているのだ。


(わたしの人生を何だと思ってるの)


 父がいないのであれば、こんな世界など未練はない。

 十八歳の誕生日を迎えたら父や母の元へ向かうことを心に決めた。幸いにも、彼らはわたしには自ら道を選ぶ勇気などないと決めつけているから幽閉されている土地の中では自由だ。朽ちたコンクリートの天辺から飛び降りるなど簡単に違いない。

 その計画を思いついてからは、遠足を待つ子供のようなわくわくと希望に満ち溢れた日々を送ることができた。


 心待ちにしていた十八歳の誕生日の朝、捕虜として無理矢理連れ出されるまでは。










――― ざらっ


 ゴツゴツした硬い何かが慎重に頬を撫ぜる。

 看守の持つ警棒かと思った次の瞬間、目を見開いて対象者から距離を取った。熟睡しないように気をつけていたのに、失敗した。


「どうしてこんなところで寝ているんですか?」


 わたしの方に屈んだことで目の前の者が身に付けた黒いマントがするりと流れる。

 二、三回、目を瞬かせてからやっと状況を理解した。


(さっきのは夢、か)


 周りをよく見回せば足元でエオーがあわあわとリュウとわたしの顔を交互に見ているし、その後ろには宰相と呼ばれている者も立っている。

 全員がわたしの唐突で機敏な動きに目を丸くしているようだ。いや、それだけではない。リュウがアルジズと呼んでいた宰相は明らかに懐から何かを取り出そうとしていた。何なのか、考えるまでもない。


 夢に惑わされて危うく自分の立場を忘れてしまうところだった。

 いくら丁重に扱われているからといっても捕虜は捕虜。それに相応しい振る舞いをしなくては。


「失礼しました。木陰が心地よくて昼寝をしていたのですが、寝惚けていたようです」


 謝罪を述べれば張り詰めていた空気が解けたのがわかった。アルジズも懐から手を離したのを見てから、はたと思い至る。


(いや、むしろここで殺されたほうがよかった?)


 もしかしてわたしは大きなチャンスを逃してしまったのだろうか。知らず、物欲しげにアルジズを見つめていると真っ黒なマントが視界いっぱいに広がってその姿はかき消された。


「もう夕食の時間です。なかなか食堂に姿を見せないので心配していたんですよ」


 いつもはゆったり開閉している五つの顎の動きが少しだけ早い。尾の先が僅かに、でも忙しなく床を叩く。

 その行動が示すのはどんな感情なのだろうとぼーっと見ていたが、脳内でその言葉を数回反芻してから昼寝にしてはかなり寝過ぎたことに気づいた。







「地球政府が和平交渉に来ます」


 相変わらず素材の味すらしない錠剤をぽいぽい口に放り込んでいると、リュウが重々しく告げた。わたしはと言えば既にエオーから聞いていたので特段なんの反応も返さなかった。


「誰が来るのか気になりませんか?」


 興味ない。明日の天気の方がよっぽど気になる。

 そう思ってゼリーに手を伸ばした時。


「軍部からは元帥殿がいらっしゃると」


 スプーンが手から滑り落ちた。


「嘘・・・」


 父が行方不明になってから元帥は長く空席だった。元帥が来るということはつまり。


「一緒に行きますか?」

「・・・行きます」


 そこまで言って少し気になった。

 リュウはどこまでわたしを取り巻く状況を把握しているのだろう。捕虜とされるにあたりもちろん素性については知らされているだろうが、それは捕虜としての価値があるかどうかを判断する情報だけではないか。

 それよりも、わたしを連れて行くことで彼にはどんな利益があるのだろう。捕虜なのだから、使えるとしたら地球政府への脅しくらいか。


(効果無いと思うんだけど)


 彼らは地球でのわたしの扱いを知らないだろうから分からなくても仕方がないが。

 思惑を読み取ろうと食事を取るリュウをじっと観察していると、しばらくの沈黙。それから、大きな四本の指で器用に操っていたスプーンを置いて静かに見返してくる。


「良いですね、その目」

「え?」

「さっきアルジズを見つめていた時よりも真剣なので」

「・・・はぁ?」


 丁重な扱いを受けているのだから彼らとの受け答えはできるだけ丁寧にしようと心掛けていたのだけど、素が出た。

 呆然としているわたしを尻目にスプーンを持ち上げて食事を再開したリュウは、それ以上は何も言わなかった。ちらりと食堂の端に控えるアルジズの様子を窺う。

 彼は小さな声でコホンと一度、咳払いしたのみだった。


(異星人もお茶を濁すんだ)


 どうでもいい事に逸れた意識を無理矢理に和平交渉へ向ける。

 誰が来るのか、何が起きるのか、何も起きないのか、只々不安だった。





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