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庭の方を見ながら、半ば無意識にここを出たら寄って行こうと考え―――そして面白くて笑い声を上げてしまう。
「いかがされました?」
訝し気なアルジズに視線を移して、ただ首を横に振った。
(結局殿下だけでなく、俺達全員があの捕虜を気にせずにはいられないようだな)
腑に落ちないと言った様子のアルジズの横で、報告データを見た殿下が考え込んでいる。無理もない、思ったよりも深刻な事態になりつつあるのだから。
先日殿下より渡されていたレコーダーをテーブルの上に投げ置いた。
「その証拠を解読した結果、現在判明している事実は大きく三つある。一つ、黄の中に人間側へ通じている裏切り者がいる。二つ、その者は我々の弱点とも言うべき機密を既に渡していると思われる。三つ、機密の他にかなり詳細な捕虜の動向も共有されている」
前の二点は、俺にレコーダーが共有された時点で殿下も予期していたようだ。
しかし問題は三点目だった。
「何故人間があの捕虜を気にするのか、理解できませんね」
アルジズが首を傾げて呟くので間髪入れずに同意した。
彼の言葉の裏には、彼女を取り巻く環境からすると、という意味が含まれている。家畜以下の扱いを受けた末にちょうど良い贄として厄介払いされた経緯を踏まえると、今更何を気にするのか確かに不可解だった。
彼女自身はこの星へ来る前の話をほとんどしない。本人としても語るのも辛いのか、それともやっとまともな扱いを受けるようになった事で、かつての経験を恥じているのかもしれない。
(あの捕虜は兎も角、人間とは神のような顔した獣だからな。何を企んでいるのやら)
初めて人間という生命体が公になった時、最初は皆友好的に捉えていた。我々が想像する神に近しい姿形をしているのだから必然的にそうなる。しかし実際は非友好的で、粗野で、愚かで、我々よりも数段劣っていたものだから大変に失望した。
とは言え、いくら宗教の色が薄まった我々でも、神と認識する姿形をした生命体を完膚なきまでに叩き潰すには抵抗があり、戦争を経ても彼らを殲滅することは終ぞなかったのだ。
あの捕虜を迎え入れた時ですら、皆遠巻きにして距離を置きながらもほとんど彼女に危害を加えようなどと考える者はいなかったはず。それは何よりも古代から心の奥底に根付いた文化によるところが大きい。
「まず一点目と二点目については、何を置いても裏切り者を特定しなければならん。もう少し時間がほしい」
この言葉には、殿下からもアルジズからも異論は出なかった。
「三点目については、暫く捕虜をどこかへ隠しておくのがいいだろう。神殿に居ることは既に広く知られてしまっているからな」
続く提案には、二人それぞれが勢いよく反応する。
アルジズはのけ反って殿下の様子を確認し、殿下は―――
「どこへ隠すと言うのですか」
暗に拒否の姿勢がにじみ出る不機嫌なその声に、思わず額を掌で覆ってしまった。
まるで俺が二人を引き離す悪役のようではないか。
(こいつ、これでも認めない気か)
以前に白の長が空席となった際にしつこく任命を迫ったのは、伴侶など条件だけを見てアルジズが適切に選別すればすぐに決められると思っていたからだ。そこに殿下の意思はなく、条件さえ合致すればきっと誰でも良いと考えているだろうと想像していた。
だが、彼自身の意思で伴侶を選びたいと望むならそのほうが良いと思っている。他の者たちは違う考えかも知れないが、少なくとも俺は。
強い感情というものは、例え本人であれ自由に操れるものではないはずだ。俺にも覚えがあるから同情的になっているのかもしれない。
「どこへ隠すかは俺に一任してほしいが、何よりできるだけ早くに移動させるべきだろう」
静寂が横たわった。アルジズは気配を消し、俺達に全てを委ねたようだ。
肝心の殿下のほうは、ただ静かに俯いていた。
*
(結果はどうだったのかなぁ・・・)
庭でウルズ達と話し終えた後、急いでベルカナが隠れている辺りに向かったら地面に蹲っているから驚いた。
ダンゴムシみたいに丸まったまま微動だにしないので具合でも悪いのかと駆け寄るとぬらりと立ち上がる。
『・・・・・・なんでもないのよ。ちょっと、丸まってみただけ』
そうは言っても様子が変だ。
神殿の中で休んでいったらどうかと提案してみたもののベルカナは頷かなかった。何かから逃げるようにあっという間に帰ってしまったので心配だ。
(あくまで人間のやり方だったから、彼らには合わなかったのかも)
彼らと交流する中で、他者への情という面では人間とそう変わらないものを持っていると思っていたが、やはり似ているとはいえ少し違うのかもしれない。
それとも、本当に―――
こんな時に手紙を禁止されていなければよかったのに。
オセラはウルズの部下だから、わたしと二人で協力すればウルズとベルカナの仲を取り持てただろう。
(やっぱり手紙を送らせてもらえないか、リュウにお願いしてみようか?)
ウルズとベルカナのためだと言えば許してくれないかと淡い期待を抱く。
リュウだって結婚したばかりなのだから二人の気持ちがわかるんじゃないか。そこまで考えた時、しなやかで美しい獣のようなスリサズの姿が脳裏に蘇った。
結婚したと言うのにスリサズがリュウに会うために神殿へ来たのは一度だけだ。リュウとスリサズは、ウルズ達とどう違うのか気になった。地位がある人は好きじゃなくても結婚するのだろうか、それともわたしから見えないだけで神殿外ではきちんと夫婦として過ごしているのだろうか。
昔、父と結婚について話した事がある。
父と母はお見合い結婚だったそうだが、お見合いしてからすぐに結婚したわけではなくお互い好きになってから結婚したのだと照れながら話す父の顔を思い出した。
だからリュウも好きな人と結ばれているといいなと思うのに、どうしてお祝いの言葉が出てこないのだろう。
「お祝いのプレゼントは何がいいか、明日誰かに相談してみよう」
決意を声に出した時、部屋の外の呼び鈴が鳴った。