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「何やってるの?」
「ぅわっ!!」
急に後ろから声を掛けられたので飛び上がるほど驚いたら、声の主はその反応に驚いたようだ。
気まずそうに後退った。
「何よ、そ、そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「ごめんなさい、ぼーっとしてたから・・・」
捕虜としてこちらに来る前も、来た後も、わたしを取り巻く周囲に対してこんなに色々気を揉んだことがあっただろうか、というくらい毎日考え込んでしまっている。至近距離から声を掛けられるまで来客に気付かないくらいに。
リュウのおかしな態度への途惑い、オセラとの手紙のやり取りを禁止された理由、像の秘密、それから―――未だに本人に聞けていない結婚の事。
どれも一人で考えても仕方ない事だとは思う。
だけど気にせずにはいられない。すぐに何もかも忘れて殻に閉じ籠るわたしはどこへ行ったのだろう。
また意識せずにため息を吐いてしまうのを見たベルカナは、どうやらオセラとの手紙の件で落ち込んでいると思ったらしい。
間違っていないけどそれだけじゃない。
「・・・聞いたわ、手紙の事。その、元気出して・・・って言うのもおかしいけど。悪いのは殿下よ!」
(そう、かなぁ?)
悪いか悪くないかで言えば、無理矢理命令したわけじゃないし、わたしの立場を考えれば破格の扱いだと思う。だけどすっきりしない。このもやもやをわかってくれる人はいないだろうか。
黙りこくるわたしの心情が相当に荒れていると察したのか、ベルカナが妙な話を始めたので今日初めて意識がそちらへ向いた。
「私もね、昔ああいう手紙もらったことあるわよ」
彼らの美醜の基準はわからないが、ベルカナは偉い人だし部下にも慕われていると聞く。きっと異性にも人気があるのだろうな、と思って頷いたが続いた言葉に思わず目を見開く。
「それが・・・ウルズに・・・もらったのよ」
さっきまで気になっていた周囲のあれこれが、一瞬で頭の中から消え去った。
*
「ウルズさん」
庭へ下りてきた二人に声をかけた時、二人ともわたしがオセラに用があると思ったようだ。だからウルズの名前を呼ぶと、立ち去ろうとしたウルズは驚いたように尾を上げ、対照的にオセラがしょんぼりと尾を垂らすので申し訳なくなった。
ここ最近は二人とも毎日のように仕事で神殿へ来ているが、確かにいつもオセラを捕まえてばかりだったから仕方のない反応だ。
(仲間はずれにするつもりじゃ・・・)
慌てて二人を日が当たる暖かい場所へ誘うと、半ば無理矢理座らせる。
ウルズもオセラもわたしの奇妙な行動を訝しんでいるようだが、わたしはそれどころじゃない。二人の周囲をうろうろと猛獣のようにうろつくので、二人はますます戸惑っているようだった。
「何だ、どうした!お前も座ればいい」
いつも通りの威勢のいいウルズの声を聞いて、それから茂みの向こうをちらりと見る。
少し前のベルカナとの会話を思い出していた。
『だから・・・私、自分の気持ちがわからなくて、それで・・・・』
『わたしもそういう経験がないから良いアドバイスができないですけど、でもドラマとか漫画でいい方法を見ました』
わたしが言い出したんだから、責任をとらなきゃ。
「ウルズさん、あの、触ってもいいですか?」
「・・・何だと?」
そろりと腕を伸ばすと、じり、と後退されたのでわたしの問いかけは屈強なウルズにもかなりの衝撃を与えたらしい。
話し方に勢いと声量があるから最初の内は怯む事もあったけど、ウルズはリュウに負けないくらい良い人だ。本当は困らせたくないが、同じくらい良い人だと思っているベルカナのためだから許してほしい。
「悪い事はしません、ただ抱っこするだけ」
ウルズの隣で、何故かオセラがうるうると輝く黒曜石の瞳を見開いている。
少し後退したウルズは、しかしそれ以上は逃げなかった。
――― ぎゅっ
人間のそれよりもずっと太くごつごつした首に抱きつきながら、茂みの向こうを伺った。そこに居るはずのベルカナの姿は見えないが、結果は出ただろうか。
『好きな人に、自分以外の異性が親しく接していると腹が立ったり悲しくなるって。と言うことは、ベルカナさんがウルズさんを本当に好きだった場合、わたしがウルズさんにくっつくとすごく嫌な気持ちになるんじゃないですか?』
所謂やきもち。この知識を得たのは小学生の頃だったから、いまいち信じられなかった。
だって小学生のやきもちと言えば異性相手ではない。誰とどれだけ仲がいいのかとか、休日にどこそこへ遊びに行ったらしいのに誘われなかったとか、同性の友人相手に発露する感情だったと思う。
だからうまくいくのかちょっと不安だった。
(二人の手伝いができればいいんだけど)
「・・・おい、何時まで続くんだ?」
密着しているからか、心持ち声量を落としたウルズの声にハッとする。さすがに馴れ馴れしすぎたか。
わたしから身を離す前に、ウルズによって肩を掴まれ引き剝がされた。
(怒らせちゃった?)
慌てていると、ウルズがおもむろに隣を指さすので視線をずらす。
「俺ハ、ナイですか?」
「う・・・」
子犬のような目をしたオセラに見つめられて、よろけそうになるのをウルズが支えてくれたが変な事を提案された。
「ちょっと待て!二十秒ほど待ってから、オセラに同じようにしてみろ」
「?」
ドラマでも漫画でもそんな話は出てこなかったけど。
そう思いつつ、きっと考えがあるのだろうと素直に従ってからオセラの首に抱き着いた。やっぱり太いけどウルズの首に比べると幾分細めかもしれない。
苦しくない程度にぎゅうっと縋ると、オセラの体がびくんと震えるので慌てて少し緩めた。
「やらわカイデス」
「柔らかい、ね」
「やわカラ・・・??」
随分上達したのに柔らかいが言えないオセラにくすくすと笑う。ウルズも大きな声で笑う。
ベルカナも早く出て来て一緒に笑ってくれればいいのに。
久しぶりに純粋な楽しい気持ちで笑っている時、神殿の柱の陰に誰かが居たことなど全く気付かなかった。