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初めて会った時は奇妙な生命体だとしか思わなかった。
父が極秘で招いた異星人。既に彼らの言語は習得はしていたが、当時はその複雑な事情は教えてもらえずにただ同じ年頃の子の相手を命じられただけ。
(同胞の子とすら遊んだりしないのに)
この星では子が生まれると国が同年代を集めて育てる。そこで各々の適正を見極め、伸ばすべき能力に見合った教育を受けて成人するまで養育されるが、そこに家族の関与はない。あくまで国が所有するリソースとして養育される。
成長に際して両親を始めとする家族との関りがないため家族関係は希薄な上、軍隊式の生活が基礎となるため同年代同士でも気楽な付き合いはなかった。
だから相手をしろと言われても扱い方がわからないので困る。
『ばぁっ!!!!』
まさか隠れているつもりなのか、高度な罠かと逆に勘繰りたくなるような稚拙な悪戯に何度頭を抱えたくなったことか。同年代にしては思慮が浅く、随分幼く見える。
人間という生命体はなんと愚かなのか、対等に付き合うに値しないと最初は思っていた。
『いやだ!!まだ戻んない!!』
相手をしろと言われた以上は放っておくこともできず、常時周囲を転げ回る人間の子を適当にあしらっていたものの、彼女には無意味な反抗が多かった。
理性的なコミュニケーションを捨て反抗することに主眼を置いた、理解不能で非合理的な反応の連続。僕の事が気に喰わないのかと思えば、何故か傍から離れない。
どうやらこちらの気を惹きたいのだと気づいた頃、これほどいじらしくて愛い生命体があるだろうかと思うようになっていた。
ストレートに感情をぶつけられる機会などこれまで無かったから、眩しくもこそばゆい。
『名前が無いなんて不便だよ、わたしが付けてあげる』
父達が会話をしている間中一緒に居る事になるから、じきに呼び名について言及する流れになったのも自然だった。名はないと言うと、まるで自分の事のように眉間に皺を寄せて一生懸命に頭を悩ませている。彼女の百面相がとても興味深かった。我々には無いものだ。
『リュウ、にしよう』
不便はしていないのだから必要ないと思いながらも、内緒話を打ち明けるような彼女の囁き声に耳を欹てた。
すごくいい響きだ。
『小さい頃読んでもらった本にそっくりな生き物が出て来たんだよ。そこから付けたの』
にこっと笑う彼女の小さな唇から、リュウ、と聞こえる度に胸が高鳴った。
『リュウ、遊ぼう』
『リュウ、あの木の実を取りたいから踏み台になって』
『リュウはわたしよりも年下だから、わたしの子分だよ』
集団で養育されるとはいっても、為政者たる父の子は最初から特別に扱われる。僕にこんな口を利く者などこの星に一人もいなかったのに、彼女は容赦ない。
だが子分として、探検という名の散歩に付き従うのは嫌ではなかった。
『うっ・・・ひっく・・・リュ・・・ウッ・・・うぐ』
そんな彼女が人知れず宗廟の前で泣きじゃくるのを見つけた時、どうにかして慰めたいと切望する自分に驚いた。彼等の言語が操れるといっても気の利いた言葉は出てこなくて、抱き締めることしかできないのが歯痒い。
一方で彼女の目からぽろぽろと零れる透明な水分からも目が離せなかった。他者の感情の昂ぶりを美しいと思うなんて今まで一度もなかった事だ。
『元気でいないとお父さんが心配するから・・・泣いてたことは誰にも言わないで』
少し過剰なほどに元気を振り撒く姿は、てっきり社会性を身に着ける前の幼体特有の無垢さから来るものだと思っていたが、彼女なりの配慮と葛藤があることも知る。親という存在はそれほど気を配るべき特別なものではないと認識していたが、人間の養育方法は我々と違うために親に持つ情も違うようだ。
彼女を取り巻く全ての憂いから守ってやりたい。僕にだけはもっと心の内を曝け出してほしい。
二人だけの秘密だという言葉に、彼女の特別な存在になれたようで心が満たされた。
この時に交わしたずっと一緒にいようという約束を今日まで忘れたことはない。
彼女はもう忘れてしまったかもしれないが、今でも鮮やかに思い出せる。それに別れ際にも―――
想定外の望まぬ戦争が始まっても、きっとすぐに会えると思っていた。
父は初めから折を見て彼女とその父をこの星に招致するつもりだったようなので、こちら側に受け入れの問題はない。それに戦うということは良くも悪くも深く関わりあう。人類を根絶やしにすることは避けた上で彼女の行方を探り続け、仮に敵として相見えたとしても捕虜として連れ去れば良いと考えていたが、事態は思いもよらない方向へ転がっていく。
長い捜索の末、彼女が父と言う庇護者を失い目を覆いたくなるような扱いを受けていると知った時の怒りたるや。
捕虜として連れて来られた彼女が、昔のような天真爛漫さを失い全てを諦めた顔をしていることに心を痛めた。
今後は自分の庇護の下、何の憂いもなく過ごしてほしい。父にはまた別の思惑があったとしても守ればいいだけだ。
それ以上は何も望まないと思っていたのに。
*
「それで、一晩良く考えてみた結果はどうだ!」
威勢のいい幼馴染は同じ集団で養育されていた時からの縁だ。
肉体的強さ、軍事的能力に重きを置くこの星で彼もまた無類の強さを持っているが、能力だけでなく時に耳の痛い事を平気で言ってくるからこそ重用している。
彼の問いに答えるために、自身の思考を分析して、慎重に言葉を選んだ。
「彼女に恋人がいると仮定して」
「仮定でいいのか?」
耳の痛い言葉だけでなく、苛つかせる言葉選びも上手い。
タンッと尾を床に叩きつけると気づいたアルジズが飛び出して来て、ウルズに最後まで聞けと諭した。
「・・・嫌だと思いました」
ウルズもアルジズもじっとこちらの言葉に耳を傾けている。
「彼女がオセラを褒めるのを聞いて・・・苦しくて、腹立たしくて、焦燥感を覚えて・・・最後まで聞けませんでした」
彼女の隣で横になった後も、ずっと耳から離れないくらいに。
誰よりも近くにいるはずなのに遠く離れてしまったようで、辛くて苦しい。
全く違う種でありながら異性として彼女に興味を示す者が現れるなんて、そして彼女自身も興味を持つなんて想像もしなかった。盗られたくない、誰も彼女を見ないでほしい、そして彼女は自分だけを見ていてほしい、色々な想いが綯い交ぜになる。
「ふむ、それは何故だろうか」
静まり返るのを見計らったように、ゴホンとウルズが咳払いする。
その問いへの答えは―――
彼女のものとは大きく異なる四本指の手を、何度も閉じたり開いたりして心を落ち着けた。その問いへ答えを出すにはきっとまだ早い。
ことん、とレコーダーをウルズの前に置くと、二人の視線がそちらに集まる。
「・・・今はまだそれを議論すべき時ではないでしょう。他にすべきことがたくさんありますから」
「おい!!一晩で良く考えろとあれだけ言ったのに・・・これは、なんだ??」
空気を入れ替えるようにばさりとマントを翻すと、意識的に為政者の声色に切り替えた。
「そこに記録している通信の発信者を調べてください。恐らく黄の者のはずです」
暗に言いたいことが伝わったようだ。
ウルズが纏う空気がピリピリとしたものに変わった。
「もちろん急ぎです。余計な事を気にする前にまずはそちらをお願いしますね―――ああ、それと今後は彼女との手紙のやり取りは禁じます」
昨日と同じく反論しようとしたウルズを制し、努めて冷静に見えるよう言葉を紡いだ。
「彼女自身がやめると言ったのです」
「!」
周囲をぐるぐると回りながら真意を探るように見てくるウルズが言いたいことはわかっている。
きっと無理矢理言い包めてその言葉を引き出したのだと疑っているのだろう。間違ってはいないがわざわざ明かす必要もない。
これ以上は話すことはないと背を向ければ、後ろからウルズとアルジズが声を潜めて会話する声が聞こえる。
「・・・我らの主は相当な強情者だ!!」
「既に自覚された上でスリサズ様の件を進められていると思っていたんですが、今更過ぎて眩暈がします」
何も聞こえない振りをした。