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蛇腹に折られた紙の端が、そよそよと吹く風に揺られている。
そう思ったら、風ではなくてそれを持つ者の手がぶるぶると震えているからだと気づいてぎょっとした。
「ベルカナさん?」
「・・・こ、こんな・・・こんな!!!」
表情はなくとも激情に駆られている事はわかる。
(なんか駄目な事書いたっけ!?)
あれだけ神殿内の皆がチェックしてくれた内容なのだから、恋人同士が送りあう普通の手紙になっているはずだ。変な疑いをかけられるような事はないと思っていた。
「ごめんなさい、書いてはいけないような内容がありました?それとも失礼にあたるような表現とか?」
「違うわよ!!そうじゃなくて・・・こんな・・・イチャイチャした手紙、見てるこっちが恥ずかしいと思っただけ!!」
「・・・あ、ハイ」
突き返された蛇腹の手紙は追記していく形式だから、これまでのやり取りが全て詰まっている。その全てを読んだベルカナの感想は至極もっともだった。
皆が解説してくれる独特な慣用句など勉強になるのだが、わたしだって意味がわかるようになればなるほど手紙のやり取りが恥ずかしくなってきている。言語の習熟度が上がるほどに羞恥心で潰されそうになるジレンマに陥っていた。
「でもこれ、言語習得を兼ねた一種の遊びですから」
「聞いたわよ!でも・・・恥ずかしすぎて手当たり次第何かを殴りたくなっちゃうわ」
思わず身を引いたわたしを見て、慌てて暴力は振るわないから安心して、とフォローが入る。殴るなら枕がいいですよ、と言うとやっと緊張が解けたように笑い声をあげてくれた。
豪傑と言って差し支えないベルカナだが、意外にもこういった方面は疎いらしい。他人の事なのに尾をいじいじとくねらせて本当に恥ずかしそうだ。
彼女にも打ち明けたのは、わたしが怪しい事をしていないという証人がいればいるほどいいと思ったからだったが、今後も見てくれるだろうか。
恥ずかしがって拒否されそうだ。
「そういえば、オセラの手紙を添削しているのはウルズさんだそうですよ」
「ええ!?あいつがコレを!?!?」
そんなに開くんだ、と驚くほど五つの顎を放射線状に開いたベルカナの状態は、人間ならば顎が外れそうと表現するのがぴったりだろう。
食い入るようにもう一度手紙へ視線を落としたベルカナの横顔を見ながら、ふと気になったことを聞いてみた。
「こちらでは結婚すると一緒に住むんですか?」
「えっ?あっ・・ええっ??」
不自然に黙ったベルカナの反応に首を傾げる。
口には出さないが、わたしはただ、先日会ったあの不思議な人も神殿で暮らすようになるのかと気になっただけだ。
「あなたたち人間は一緒に住むのが主流なんだったわね。私たちは、そうね、一緒に住む人もいるけど、そうじゃない人もいるわ。割合的には半分ずつくらいだと思うから、どちらが主流ってものでもないわね」
「それじゃあ、恋人と夫婦の違いは届け出の違いですか?」
人間は婚姻届けを出すはず。
だけどベルカナは首を振って、どう説明したものか悩むように首を傾げた。
「そういう契約の類はこっちにはないの。だから明確に定義の違いを言えないけど、強いて言うなら子ができたら夫婦ってところかしら」
コホンと咳払いして、ところで、と話を替えられる。
「どうしてそんな事が気になるの?」
本当はリュウが結婚したと聞いたから気になった事だけど、本人に聞いたわけじゃなくてただの又聞きだから、言いふらさないほうがいいだろう。
「こういう手紙を書いているから気になって。そういえばベルカナさんは結婚しているんですか?」
「し、してないわよ!!」
「恋人は?」
「何でそんな事気にするの!!い・・・いないわよ」
じゃあ好きな人は、と聞こうとしたけどプイッとそっぽを向かれてしまったのでこれ以上はやめておいた。好きな人がいるなら一緒に手紙を書きませんか、と誘ってみようと思ったのだが、この恥ずかしがり様だと断固拒否されそうだ。
「そういえば殿下やアルジズだけど、もう暫く神殿へ戻られないわ。でも山場は越えたから」
これ以上恋愛系の話題に耐えられなかったのか、話題が大きく飛んだ。
暫く戻らないという話は神殿の者たちからも、本人からも聞いていた。
実は、忙しいというのに偶にリュウだけが夜遅くにこっそり帰ってきている。少しだけ話してからわたしのベッドで休んで、明るくなる前に居なくなるのだ。
忙しいのなら無理して帰らなければいいのに、と思うが黒の宮殿には仮眠するような場所もないのだろうか。
「はい、お忙しいと聞いています。でも神殿の皆もいるし、オセラもいるから不自由も退屈もしてないです」
「それならよかった、私もまた来るわ。多分ウルズもね。それに殿下たちも近々戻るのだから、また皆で会いましょ」
綺麗に折りたたんだ手紙を渡しながら立ち上がったベルカナを追って見送りに立った。
*
「ウ・・・ウルズ様」
作業机に突っ伏したオセラを横目に見ながら手紙を読み進めていると、呻くようにもう一度呼ばれるので嫌々手を止めた。
「俺、だんだん恥ずかしくなってきました・・・」
前回までの手紙の内容を復習していたオセラが、羞恥心からか尾を丸めてしょげかえっている。前途有望な部下ではあるが、いざと言う時に気の弱さが見え隠れする所がまだまだだ。
「すごく厚かましい奴だと思われていないか心配で・・・その、内容が濃すぎませんか?最初はもっと節度を持った内容にしないと、もし彼女に引かれていたら・・・」
「何を馬鹿な事を!!向こうが始めたんだ、絶対に相手を上回る熱量で書かねば勝てんぞ!!」
「いや、これ戦いじゃないんで・・・」
ウルズ様の添削で大丈夫かな、と本人を前にしてブツブツと呟く失礼な部下に喝を入れながら再び読解に戻る。
「でも意外でした。ウルズ様でもこんな熱烈な文章書けるんですね」
「俺でもとはどういう意味だ!」
「だって恋愛とは一番縁遠そうな人だと思ってましたから。訓練に明け暮れて経験もなさそうというか」
戦闘方法、戦略の立て方、しきたりなど黄に属する者として必要な事柄を多岐に渡って教えてきたつもりだが、歯に衣を着せる方法は教え損ねてしまったらしい。
悪意のない辛辣なコメントを躱しながら、ぽつりと呟いた。
「・・・俺だって、あるぞ」
「え!?誰とですか!?俺も知ってる方ですか??」
聞こえていないかと思いきや、すごい勢いで喰いついてきたので少しのけ反った。
「一人で手紙を書けるようになったら教えてやる。さっさと復習を終えて返信の準備をしろ!」
わたわたと復習に戻るオセラを見ながら、昔の事を思い出しそうになって、しかし首を振って振り払った。
今自分が気にすべきなのは個人的な過去ではなく、今後の、それもこの星の行末だ。
(俺の推測が正しければ―――)
きっと彼自身もはっきりとした自覚はないまま突き進んでいる。
このままではいつか近いうちに禍乱がおきる。その前に友人として、部下として、打てる手は打っておかねばならない。
それが例え痛みを伴うものであってもだ。