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正門を潜り抜ける時から変だとは思っていた。
例の決定があっという間に広がったことにより、私がここに居てもおかしくないとはっきりしているはずなのに門番が通過を渋ったからだ。
向こうが今後について詳細を詰めたいと言うから出向いてやったというのに、部下への調整一つできないのだろうか。
「アルジズ様とは本当に調整済み、なのですね?」
「そうだ。何度も言わせるな」
念押しするように同じことを確認してくる門番に苛ついたために、普段は使わない権力の笠を着るしかなくなる。何もかもが腹立たしい。
白いマントを大仰に翻すと言ってやった。
「未来の為政者の母を門前で追い返すつもりか?いい度胸だ」
「ッ!・・・申し訳ございません、お通りください。神殿内に入ればすぐ案内の者が付くはずです」
こんな事を言うのは私だって気が進まないが、また出直してくるのも面倒だ。
白の宮殿内ももはや居心地がいいものとは言えず、絶えず好奇と羨望と嫉妬の目に晒されている。それ自体は無視すればいいが、外出の度に突っかかられるのでいつか手がでそうだった。
(本当に、余計な事に巻き込んでくれる)
さっさと用事を終わらせて帰ろう。
「誰か居ないか!」
大きな扉を開けて入った神殿内には自分の声があちこち反響するだけで、誰も出てこない。
(案内の者が付くのではなかったのか)
これは本格的に約束を忘れられているかもしれない。
どこまで他人を馬鹿にすれば気が済むのか、と思いながら闇雲に歩いていると遠くからさざめく様な声が聞こえてくる事に気付いた。
誰でもいいからさっさと取次を頼みたい。
薄明るい神殿内を声の方へ進んでいくと、急に視界が開けて光溢れる庭へ出た。そこには神殿中の者が集まっているのではないかと思えるほど賑わっていて、何かを取り囲んで議論しているようだ。
「この返事、向こうも手練れですね」
「中々、良い。脈、有る。」
「もっとぎゃふんと言わせられる返事を書かなきゃー!」
この神殿の中心といえばあの大うつけだろう。
人垣を無理矢理かき分けて輪の中心に向かうが、かき分けてもかき分けても姿が見えない。彼は背は高いほうなので屈んでいるのかもしれない。
「他人を呼びつけておいてふざけ・・・!」
怒りを込めた声を出しかけて、思わず口を噤んだ。
まるで枝のように華奢な手足が付いた小動物が中心に座り込んでおり、眼球が零れ落ちるのではと思うほど目を見開いて見上げている。
よくよく見知ったその顔にどう言葉を紡いでいいのかわからず、黙って見つめあった。
人間は感情が顔面に出る生き物だと聞くが、彼女の顔には驚きと怯え、戸惑いがはっきりと張り付けてあったから。
*
「なんだ、ちゃんと伝わってたんですね」
「ニンゲンはこういう遊びをロールプレイングって言うんでしょ」
エヘヘと笑うエオーに悪気がないのはわかっているから怒るに怒れない。
最初の手紙を送ったのはつい先日だが、オセラからはすぐに返事が返ってきた。
一通目は勝手がわからず皆に言われるままの文字をただ清書しただけで送ってしまい、多分内容はわたしとオセラの関係にそぐわないおかしな内容になっていたはずだ。折角できた友達と気まずくなるのは嫌だから二通目を書く前に皆の認識を正さなければ。
そう思って、オセラからの手紙を紐解く手を止め真剣に説明し始めたら、皆の反応は呆気なかった。
「ニンゲン、言う。言語の習得、近道、恋人作る。我ら、同じ。」
「恋人に送る、という体で文章を作ると、背景の文化も含めて理解が捗るでしょう?」
「早く二通目書こうよー!」
彼らの言語は統一されているようだがそれでもいくつか方言があり、そういったものを理解するにはネイティブの恋人を作るのが近道だと言われているそうだ。人間が暮らす地球上にもたくさんの言語があって、そういえば昔々小学校の先生が同じようなことを言っていたっけ。
(皆本気でラブレターだと思ってたわけじゃなかったんだ)
へなへなと力が抜けそうな体を何とか支えて、改めて皆でオセラからの手紙を読解していく。
「最初は・・・えーと、こんにちは?」
周りからボスボスと重めの拍手が聞こえる。正解らしい。
でもその後はさっぱりわからなかったので、結局一文節毎に解説をお願いすることになってしまった。
「この人黄の宮殿の所属でしょ?意外に紳士的な手紙書くじゃん!」
エオーが根拠のない上から目線で評価するが、意外にも周囲は同調している。
この言い方からすると、黄の人たちは相当気性の荒い者達だと認識されているようだ。
「この返事、向こうも手練れですね」
「中々、良い。脈、有る。」
「もっとぎゃふんと言わせられる返事を書かなきゃー!」
オセラは最初の手紙を受け取った時、内容に相当戸惑ったはずだ。だけど彼もこのロールプレイングに気付いたのか、それらしい内容で返してきたから驚いた。
(できた人だなあ)
そんな人にぎゃふんなんて言わせたくないんだけどと頬を掻いていると、視界の端に白い何かがふわりと流れた。
なんだろう、と目を向けて理解する前に体が硬直して動かなくなる。目の前で揺れるのは微光沢を持つ真っ白なマント。
白いマントを纏う者は一人しか知らない。
(え!?)
わたしを殺しに来たのだろうか。処分されたのではなかったのか。
何であろうと良い用事ではないはず。
目を見開いたまましばし固まっていたが、何故か向こうも動きを止めてわたしを凝視している、ような。
「・・・あ、の?」
はじめは何をされるのかと怯えが走ったが、あまりにも向こうに動きがないので訝しさが増してくる。
一時的に止まった時間が再び動き出したかのように、周囲が慌ただしく動いたので却ってそちらに驚いた。
「スリサズ様、今殿下は神殿にはいらっしゃいません」
「ずっと、黒の宮殿。神殿、来ない、しばらく。」
白マントとは彼らの言語で話せるだろうに、おそらくわたしが不安気な顔をしているのでわざわざ人間の言葉を使って話してくれたようだ。
(スリサズ?ってことはイサじゃない?)
イサは罷免されたと聞いたから、じゃあ目の前に居るのは後継者ということか。
顔の造りが判別できずマントの色で見分けるしかないわたしにとっては同じ人に見えたが、そういえばイサよりも少し体格が良いような気もする。
「・・・」
別人だとは言え、前任のイサと同じようにわたしに悪意を持っているかもしれないと思うと動けない。
品定めするようにわたしを見下ろしたまま、しっぽを八の字に揺らしているのも気掛かりだ。
どうしようか、このまま黙ってようか。それとも素知らぬ様子で挨拶したほうがいいか。
ぐるぐると悩んでいると、ぬっと大きな手が伸びてきて―――
「スリサズ様!!おやめください!!!」
唸るような制止の声が響いた。