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――― クルルル
猫が喉を鳴らすような声だけどややノイズ掛かっており、かなりの低音なのでどちらかというと虎やライオンを髣髴とさせる。
「・・・もう一回」
人差し指をぴんっと立てて見せると、これは伝わったのかもう一度言ってくれた。
――― クルルル
「・・・・・・・イエス?」
右の石を指してごくりと喉を鳴らし見上げると、黒橡のごつごつした肌を持つ筋骨隆々の、人のような姿形の生き物が首を傾げた。薄黄色のマントを揺らし、ゆっくりと瞬きをする様子は少し困っているようだ。わずかに開閉する五つの顎は明らかに人間のものではない。
大昔の人間が空想の中で作り上げた異星人がそのまま表れたかのようなその見た目にはもうすっかり慣れた。
「はずれ~!!残念!」
隣の石の上に寝転んでいた大蜘蛛がぴょんと飛び跳ねて声を出すので頬を膨らませる。
(なんで嬉しそうなの!!!)
腹を立てて唇を噛んで下を向くと、目の前の薄黄色のマントがふわりと浮いた。
わざわざ地面に膝をついて目線を合わせた上で、独特な顎がもう一度ゆっくりと開閉する。
――― クゥ・・・ルゥ・・・
ぱっと顔を上げると黒曜石のような瞳。誰にも言ったことはないけど、彼らのこの綺麗な瞳が好きだ。
「イエス!今度こそイエスですね!!」
「あっずるい!!今のはゆっくり過ぎるからわかって当然だよー!!やり直し!」
小躍りして喜ぶわたしのワンピースの裾にしがみ付いた大蜘蛛、エオーが意地悪く叫ぶ。地球人のわたしから見れば有り得ないサイズの大蜘蛛だが、これでもまだ子供だ。
何を言おうと正解したんだから文句は言わせない。むにぃと顔を伸ばすとぎゃいぎゃい叫んでいる。そんなわたしたちを見て、薄黄色のマントの異星人は満足そうに頷いた。そこに表情はない。
そういった機能が備わっていないからだが、代わりに―――
(しっぽ揺れてる)
彼らは目と尾、それから声で感情を豊かに表現しているようだ。今その尾が楽し気に、踊るように左右に振られているので悪い感情は持たれていない、と思う。
回廊の向こうの方から黄橡色のマントが向かってくるのが見えたので、そろそろお開きのようだと悟った。
「あ、り、が、と、う」
口を大きく開けて、ゆっくりと一音ずつ発声する。
お互いに相手の言語がほとんどわからないからちゃんと伝わったかどうかは怪しいところだけど、わたしの口を凝視していた彼が小さく頷いた。
黄橡色のマントのほうへ向かい歩いて行ったものの、何度も何度もこちらを振り向くので小さく右手を振ってみる。そしたらちょっと首を傾げて左手を同じように振るので胸がきゅんとした。
通りすがりの赤ん坊に手を振ったら反応してくれたと時と同じ気持ちだ。
(なんか、ちゃんと交流してる感じ)
人間なんかよりもずっと―――
思い出したくもない地球での長く辛い幽閉生活に比べれば、遠く離れたこの星で異星人に囚われているほうがずっと穏やかに過ごせている。
こちらで過ごした時間はまだ少なくても、既にここは我が家だと言っていいほど馴染み始めていた。
「聞いたぞ、お前たち会話の練習をしていたのだな!!」
「はい。あ、いや・・・会話っていうより単語の練習ですけど」
さっきの彼と合流した黄橡色のマントはそのまま神殿を去るのかと思ったが、回廊から庭へ出てくるので傍へ寄る。
鼓膜が痺れるほどの声量で話しかけてきたのは、黄色、軍事を司るウルズだ。
後ろにはさっきの彼の姿もある。名前も知らない彼はウルズの部下だそうで、実は初めてこの神殿へ来た時に護衛として同行していたうちの一人だ。それに、先日黄の宮殿で一悶着起こしてしまった際にも近くに居たので一応お互いに面識がある。もっともわたしが彼らの顔を見分けられないので、そう言っていいのかは微妙なところだけども。
「オセラ、彼の名前だが――全くセンスが無くてお前たちの言語を習得できなくてな。目下勉強中だから、良ければまた話してやってほしい」
こちらの言語で話しているので後ろにいる彼、オセラには伝わっていないはずだが、ウルズからバシバシと肩を叩かれて何を言われているかを察しているようだ。大きな体を縮こまらせて肩をしょぼんと落としている。
「わたしもあなた達の言葉がわからないから、一緒に教え合いができるといいですね」
「それはいい考えだ!!」
表情筋の伸縮を伴わずに豪胆な笑い声を轟かせるウルズが、ふと顔を近づけて言った。
「あれから異常は無いか?」
「・・・大丈夫です。何も変な事はありません」
「殿下には、その、ベルカナ共々叱責されたよ・・・悪かった」
「違います、あれはわたしが決めたことです」
わたしが先走ったばかりにウルズまで怒られたのかと眉を下げる。ウルズもベルカナも、わたしの考えに協力してくれただけなのに申し訳ない。
でもちょうどあの騒動の話題が出たので、この機会に誰も教えてくれなくて気になっていることを聞いてみようと口に出した。
「それよりもあの白の人・・・ なんであんな事をして、結局どうなったんですか?」
イサの行動の理由を知りたくて、その後の処遇を含めて聞いたけどもリュウもアルジズもはぐらかして教えてくれない。
ウルズは知らないだろうか。
「イサは罰を受けるべき事をしたのだから気に病む必要はない。もう忘れろ」
やっぱり微妙にベクトルの違う答えが返ってきてがっかりした。
(罰を受けて・・・どうなったんだろう)
彼らのルールに従って処罰されたのだからわたしがどうこう言う権利はないけど、気になってしまう。それは、どうしてあんな事をしたのかという疑問と繋がっていた。
面識もない異星人であるわたしに異常な負の感情を持っているようだったが思い当たることはひとつもない。
真相は気になるが、きっと誰も教えてくれないだろう。
そっと目を伏せるとくるりとうねるように持ち上がったウルズの尾が、わたしの足首をぽんと叩いて離れていった。
「じゃあな。近々ベルカナと一緒にまた来る」
肩で風を切って去って行くウルズの後ろでオセラが小さく手を振るので、思わずにっこり笑って振り返した。
*
「可動域が広いですね。全体的に柔軟性もある」
「皆さんとあんまり変わらないように見えますけど」
窓の外に見える星の輝きを横目に見て、円を描くように足首を回しながらあくびを嚙み殺した。
穏やかないつもの夜。
相変わらず夜はリュウによる体調確認の時間が設けられていた。今日は足だ。
人間の数倍はある大きな手がわたしの左足首を持ち上げてしげしげと眺めている。一通り眺めたら膝の上に乗せて猫でも撫でるように手を滑らせていた。
一度勝手な行動を咎められ叱責された時は接し方がわからなくなってぎくしゃくしてしまったが、それも解消されて今は元通りだ。いつまでこの生活が続くかわからないが、普通に話せるようになって本当によかった。
「ちょっと僕の掌を蹴ってみてもらえませんか?」
「え゛っ」
思わず変な声が出て、ベッドの縁に腰かけたリュウの顔を凝視する。眠気が一気に吹き飛んだ。
もちろんそこに表情は無いが、わずかに見える尾の先が楽し気に跳ねているのが見えて訝し気な顔になってしまう。
(やっぱりリュウってかなり変・・・)
就いている地位からしてこんな事をしに毎晩訪ねてくるのだっておかしいのに、変な事を言う。悩んだ結果お断りした。こっちはどうだか知らないが、自分がやられて嫌な事をしてはいけないという教育を受けた身としては意味もなく蹴っ飛ばしたりできない。
「・・・暴力は、いやです」
「残念です」
大して残念そうではないように言いながら、指の腹を使って足の裏を調べているがその動きはまるでマッサージだ。
適度な力での揉み解しによって、一度どこかへ行ってしまった眠気が戻ってきた。
「気持ちいいですか?」
「ん、はい」
体調記録のついでにマッサージされるのもいつものこと。
一度寝付けなかった時にマッサージをお願いしたらすごく嫌そうな反応だったのでわたしから頼むことはしていないが、体調を診るついでにするのは嫌ではないらしい。
「明日は僕の番ですから、忘れないでくださいね」
「ええと、まあ、はい」
いつからだったか、リュウが自分だけ情報を得るのは不公平だと言い始めて、そこからお互いに同じ位置の体の構造を交互に確認している。
今日はわたしの足だったから、明日はリュウの足だ。
(わたしは不公平だなんて思ってないんだけど・・・)
うとうとしていると背に手が回されて横たえられた。いつもの、もう寝なさいの合図だ。
一心不乱に足を触っているリュウを薄目で見ながら今日も眠りについた。