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公式においては主が黄の宮殿に足を踏み入れることはない。臣下の元へ訪問するのではなく、臣下が主の元を訪ねるのが筋だからだ。
もちろんプライベートで訪ねた事は何度もあるが、集められた臣下達が居並ぶ中で大広間の壇上へ上がるということは公式なものだと見做されるだろう。臣下達から発せられた驚きと動揺の声を聞きながら自問自答する。
(何故こんな事に・・・)
主がこの事態を打開するために究極の策を取ろうとしていることは知っていた。でもそれは大きな変化をもたらすもので、より大きな混乱を招きかねない。
一方でウルズやベルカナが独自に動き始めた事も知った。主と違い彼らは正当で地道な試みによって事態を収拾しようとしていたため、彼らの策に乗るほうが支払う代償を抑えられると思ったのだ。
国家の安寧と、そして何より主の事を考え後者に手を貸すことにしたのだが、結果がこれだ。和平交渉時のトラブルでも自身に頓着がないとは思っていたが、あの捕虜がここまで破れかぶれな行動をとるなど予想できなかった。
そしてそれを知った主は―――
(そうまでしてあの捕虜を)
並々ならぬ関心を抱いているとは知っていたがこれほどとは。
捕虜を得る前夜、彼女とその父親とは面識があるのだと、嘗て彼女が幼い頃にこの星へ招いた事があるのだと主より内内に知らされた時は驚いた。公にはこの星に人類を友好的に招いたことなどないはずだから、どういった経緯なのか、何を目的としたものか、それは果たされたのか疑問に思ったが、平時と様子の違う主にそれ以上は追及しなかった。もっと聞いておけばこんなことにはならなかったかもしれない。
主の思いの丈、捕虜の性質、ウルズやベルカナの行動など全てを読み間違えてしまった事を今更ながら悔いていた。
「白を司るイサを罷免します」
手を挙げた主の行動によって一瞬の静寂が広がって、そして一転。その言葉に大きなざわめきが広がる。壇上に居るウルズとベルカナも主の顔を凝視しているからやはり驚いているのだろう。何よりイサ本人が驚きのあまり大きく顎を開くのが見えた。彼女としても寝耳に水だったはずだ。主との関係性を考慮すればここまで重い処罰を受けるとは思っていなかっただろう。
ここまで来たらもう戻れない。
「罷免など・・・!!できるはずがありません!!!全ての色彩の同意が―――」
「青は決断を私に委任したのですよ。黄と赤は?」
一人称が公人のそれになっている。
イサの絶叫でもう一度大広間が静寂が広がったのを意にも介さず、ああ、と思い出したように主はウルズとベルカナに光り輝く記憶媒体を投げて寄越した。罷免の理由も正当性もそれだと告げて。
あの中には捕虜が引き渡されてから今日までの全ての監視記録が入っているはず。間諜も他の如何なる罪も疑う余地のない完璧な記録だ。
主は最初からあの捕虜の無実を証明する証拠を持っていたのに、それを正当な反論には使用しなかった。一時的に黙らせるのでは腹の虫が治まらなかったのだ。
わざと問題が大きくなるまで水面下での調整に留めて表面上は静観し、最後の最後で叩く。事由は虚偽の主張により国家の混乱を招いた、といったところか。
(全てはあの捕虜に仇為す者を消すため)
誤算はウルズとベルカナの行動と、捕虜自身が予想外の行動に出た事くらいだ。
確かに根本的な解決ではあるが、五つの色彩の内一色を消すなど遣り過ぎだ。だからウルズとベルカナのほうに手を貸そうとしたのに。あの監視記録の中からわざわざ彼らと捕虜の接触だけは省いたのだが、こうなってしまうと後で私にも何らかの処罰はあるかもしれない。
今後の事を考えると頭が痛くなる。
「さあ、黄と赤の答えは?」
「・・・罷免に同意致します」
「・・・右に同じく」
慈悲深く穏健な為政者だと思う。それは今でも変わらないが、今回の行動は明らかに暴走だ。
「あなたが始めた事。責任はとってもらいます」
*
滲んだインクのようにぼやける天井を見ながらぼうっと考えた。
さっきのは―――
(あれは、お母さんのお墓参りにお父さんと出掛けた時の夢・・・だと思うんだけど、そういえばお墓はどこだったっけ)
家族の思い出の大部分は物心がつくかつかないかという小さな頃のものだったし、長く幽閉されるにつれ目の前の苦しみに囚われ父や母を思い出すと辛くなるのでなるべく蓋をしてきた。なのに最近よく夢に見るのは心身共に安定してきたからだろうか。
夢には必ず男の子が出て来たような気がするが、その顔がどうしても思い出せない。母の親戚の子か、実家の近所の子か。
局所的な記憶の断片しか拾い上げられておらず、前後がわからないので関係性も朧気だ。
(もう一回目を瞑れば続きが見られないかな)
焦点の合わない目を閉じてもう一度夢を見ようとした時、乱暴に体を揺さぶられた。
「っ!?」
驚いて一度閉じた瞼をカッと開くと、眼前に夢で見た夜空のような真っ黒で綺羅綺羅したものが浮かんでいる。一瞬夢の続きかと混乱したが、それが少し離れたのでリュウの両目だと気づいた。
「よかった・・・気分はいかがですか?」
「・・・う・・・ん?わた・・し・・・あれ?」
寝惚けた頭をフル回転させて考えるが、今どんな状況なのか把握できない。
きょろきょろと辺りを見回すと、思ったより人がいる。わたしが横たわるベッドの縁に腰掛け体を捩じって覆いかぶさるように顔を覗き込むリュウと、その黒いマントの向こう側に濃灰色、黄色、赤色のマントが見えた。
纏う色からしてアルジズ、ウルズ、ベルカナのようだが皆頭を垂れており、まるで先生に怒られて廊下に立たされた小学生みたいだ。
(そうだ、思い出した。わたしカプセルで眠ってたはず)
だけど、どう見てもここは神殿内の自室だ。
こうして起こされたということは、きっと地球政府と何かがあってわたしが必要になったのだろう。
「わたし、どのくらい寝てたんですか?」
「半日程度です」
耳を疑った。
そんなに短時間だとコールドスリープではなくてただの昼寝だ。よほどの火急の用事があるのだろうと、まだ重い体に鞭打って半身を起こす。
リュウの大きな手が背に添えられ、しっかりと支えてくれたので何とか起き上がれたが、その後の会話が不可解だった。
「あの、ご用は?」
「・・・用・・・用、ですか?」
低く重い音が内臓を震わせる。
――― グルルルルル
聞き慣れつつあるノイズ音の一種だとは思うが、低く唸るような声が振動となって心臓を直接鷲掴みされているような錯覚に陥った。多分、これはリュウの喉から発せられている。
普通ではないリュウの様子に不安を覚え、助けを求めるように後ろの三人に視線を移した。
「わたしに用事ができるまでは寝ていようって皆さんと相談して決めたから・・・用があると、思って」
険しい目をしているわけでも、怒気を含んだ罵声を浴びせられたわけでもないけど、リュウから得体の知れないプレッシャーを感じてどんどん声が小さくなる。
やっぱり状況がよくわからない。
向こうの三人、特にウルズとベルカナにも何か言ってほしいが、全員頭を下げたままなのでフォローは期待できそうになかった。
「この際だからはっきりさせておきましょう。この星でのあなたの取り扱いについて」
背に回る手に力が篭ったことに気付き、こちらの身も強張る。
「あなたの身を管理するのは僕です。今後、僕の許可なく出歩くのも、他者との交流するのも、眠りにつくことも、全て禁止します」
「・・・わたしが自分で考えて行動することはできないってことですか?」
「ええ、その通りです。あなたは僕に囚われているのですから、全ては僕の管理下にあります」
色々と遠回しに言っているが、リュウの許可なく行動したことを怒られている事はわかる。
面倒なものを手放せて、問題も解決できるからきっと喜んでもらえると思ったのに。
「皆さんにご迷惑をかけるつもりはなかったんです。わたしが眠れば全て収―――」
「あなたはそんな事を考える必要はありません。眠ってくれと僕が言いましたか?」
相変わらず凪いだ声とは裏腹に厳しく言われ、体が硬直する。幽閉されている間は絶え間なく理不尽な怒声や罵声に晒されてきたものの、こんな風に理路整然と怒られたのはずっと幼い頃、父や小学校の先生くらいだったと思う。
答えに窮して下を向きかけたが、わたしの頬に添えられたリュウの手がそれを許さなかった。
「これは特殊な立場であるあなたの身の安全を考えての事だとわかって頂けますよね」
諭すような優しく穏やかな声に何故か背筋が震えた。
光源に背を向けているために、わたしのほうへ屈んだリュウの目にはさっきまであった瞬く光が全く無い。
いつもなら表情はなくとも目に浮かぶ様々な感情が汲み取れたのに、今は虚無しか感じない。
「あなたは捕虜なのですから」
穏やかな口調だったし内容も全くその通りなのに、この言葉は深く重く胸に刺さった。
何故そう感じるのかその理由はどれだけ考えてもわからなかった。