13
冷たく硬質な床の上をコツン、コツン、と音を立てて歩く。
星の無い夜のような漆黒のマントが微かな衣擦れの音を発する。
それ以外には何も聞こえない。
鏡のように磨かれた暗い石に、闇色の布地がぼんやりと映る。いつ来てもここは来訪者を拒絶するような空気があった。
用がなければ積極的に訪れたい場所ではない。
「お久しぶりです」
そう声を掛けると玉座に収まる男が頬杖をついたまま緩々と顔を上げた。玉座も床材と同じ艶のある黒色の石でできているため座り心地は悪そうだ。
このエリアだけは遠い昔から構造が変わっておらず、当然内部も時代遅れな設備しかない。
「父上」
何の返答も無いのはいつもの事だ。億劫そうに少しだけ顎を開閉した以外に反応らしい反応はなかった。
老いたということもあるし、生来の気質もある。とにかく昔から父子らしい会話などあったためしがない。父の昔を知る者たちは昔は素晴らしい方だったと口を揃えて言うので、為政者としての能力はあったのだろうが自分にとっては遠い存在だった。
「地球政府との和平交渉は無事に終わりましたのでご報告致します」
本当は無事とは言い難かったが、最終的には丸く収まったのだから無事と言ってよいだろう。一々細かい話をするつもりはなかった。
やはり反応はない。
「それから、人間の捕虜を」
――― ぴくり
頬杖とは逆側、肘掛けにのせた逞しい腕が僅かに動いた。
本来ならば事後報告など有り得ないが、父は既に隠居の身だ。あらゆる決定事項は事後報告となっていた。
地位を譲っておきながら今更文句でもあるのかと思えば、おかしなことを呟く。
「・・・会えるか?」
近年はあらゆる物事から距離を置いているはずの父が見せた珍しい反応に内心驚いた。しかし次に湧いてくる感情は苛立ちだ。
尾を大きく振った遠心力で勢いよく背を向けると素気無く却下した。
「捕虜は僕の管理下に置いています。会う機会はないでしょう」
誰も彼も彼女に群がるので心底鬱陶しい。
神殿の庭から出す気も、他者に会わせる気もないと言っているのに何故わからないのか。
父はそれ以上言い募ることはなかった。
来た時と同じように暗い廊下をなぞり、足早に出口へ向かう。
モーターすら設置されていない古い押し扉を開くと外の光が流れ込んできて思わず目を細めた。
(ああ、早く彼女に会いたい)
*
「エオー!」
木漏れ日に目を細めながら木々を見上げるが、エオーは全く見当たらない。
狩りはあんなに苦手なくせに隠密能力は高いらしい。
(かくれんぼしようなんて言わなきゃよかった)
夕食の時間までに見つけられる自信は全くなかった。
木登りが得意だから樹上にいるはずだと踏んでさっきから上を見ているのだが、もしかしたら草むらの合間に潜んでいるのだろうか。膝まで伸びた草の間をかき分けるのは骨が折れる。
仕方なく四つん這いで虱潰しに探そうとした時、背後から声がかかって飛び上がるほど驚いた。
「こんにちは」
「うわっ!?」
声のほうを振り向くと目に入るのは深紅のマント。先日一度だけ言葉を交わしたベルカナと名乗る、おそらく女性だった。
(しまった、今周りに誰もいない)
タイミングが悪い。
エオーはどこかに隠れているし、ちょうど死角に入ってしまったのか今日に限って見張りの姿も見えない。
こくりと生唾をのんでから、ゆっくりと立ち上がった。
「こ、んにちは」
あまりにも返事がぎこちなさ過ぎて動揺が伝わったのだろう。
尾を揺らして逡巡するようなそぶりを見せた後、何故か後ろに目配せしてからどすんと座り込んだ。話し方から女性だと思い込んでいたが、動作の一つ一つがワイルドなのでもしかして男性かもという考えが脳裏を過る。
ベルカナは自分の横をぼすぼすと叩いており、そこに座れと言いたいらしい。
表情の無い黒々とした目がじっとこちらを見る。観察されている、というのはわかるのだけど、どう振舞うのが正解なのかがわからない。
考えていてもきっと答えにはたどり着けないので、仕方なくそうっと指定の場所に座り込んだ。
「今日はどんなふうに過ごすの?」
「庭でのんびりするつもりです」
今日は、ではなく今日も、なのだけど。
当り障りのない会話が続いていく。
「いい天気だものね」
「ええと・・・そうですね」
異星人も話題に困ると天気の話題を出すのか。それとも天気の話題に深淵なる意図が隠されているのか。
「・・・」
「・・・」
話は広がらない。わたしが話下手だということもあるし、明らかに彼女も話題に困っている。
何を思ってわたしに話しかけたのか見当もつかなかった。
「こちらの生活はどう?」
「どう・・・と言われても・・・そうですね、地球にいるよりはずっと安心して暮らしています」
「え??」
思わず口をついて出たのは本心だ。
あの底辺みたいな生活を思えばこの星は天国だった。でも事情を知らない彼女には不可解なコメントに聞こえただろう。
人として成長すべき時期のほとんどを幽閉されて過ごしたせいで、身に付くはずの一般的なコミュニケーション能力を欠片も持ち合わせていないことを思い出して失敗したなと思った。
なんでもないです、とはぐらかすと目の端に映る尾の先がゆらゆらと揺れる。
「ねえ、外に出てみたいとは思わない?」
差し込む光を遮って覆いかぶさるように、長身のベルカナが顔を覗き込んできた。肩が触れるほどに近くに居るとより威圧感を覚える体格の良さだ。
(何しに?)
昔は人並みの好奇心を持ち合わせていた気もするが、辛く苦しい経験の末に詮の無いのないことは考えないようにする性質になった。外に出ようなどと考えたこともない。首を横に振ると、彼女は少しだけ首を傾げた。こういう仕草はとても人間っぽい。
「でもここにずっと居ても楽しくないでしょ」
何が言いたいんだろう。
外に出たいという言葉を引き出そうとしているようにも思えた。
「いえ・・・ああ、それはどこか遠くへ消えてほしいっていうことですか?」
「え!?違うわよ!!私はそんな遠回しな嫌味は言わな・・・もしかして、誰かに言われたの?」
尾がぴんっと上向くのはどういう感情なのか。
「そういうわけではないですけど」
また沈黙が広がる。
ふうとため息をつきながら、やれやれといった様子で彼女が立ち上がったので少し身構えた。ため息の勢いが強すぎてわたしの髪が揺れる。
「・・・何もないこんな場所に閉じ込められていれば退屈かと思っただけよ」
何も無いから安心できる、という感覚は彼女には伝わらないかもしれない。
「外への興味がないのなら、退屈しのぎに今度わたしの友達を連れて来てもいいかしら」
エオーが居れば退屈なんてしないけど、わざわざ拒否することでもなさそうだ。
こくりと頷くと、彼女もまた満足そうに頷き手を挙げて去って行こうとしたが、途中で振り返って不可解な言葉を残していった。
「あ!今日私に会ったことは絶対に誰にも言っては駄目よ」
(・・・なんで?)