3 巫女姫の祭具
翌日、玲は医者に右腕を診てもらった。
医者には「無理をして」と小言を言われ、たっぷりと薬を塗られた上に、「しばらく動かさないように」と右腕を布でがんじがらめにされた。
おかげで何もできず、まるで貴人のような数日──何もせずのんびりしている数日を送ることになってしまった。
「このまま立ち去っては、申し訳ないのう」
「宇嘉良殿は、気にせぬと思うがな」
「妾の気持ちの問題じゃよ」
多々良は色々と頼まれて、忙しなく働いていた。それを横目に何もしないというのは落ち着かず、玲は奉納の舞を引き受けることにした。
「それにしても……人気者じゃな」
嫌な顔ひとつせず頼みに応じ、笑顔の絶えない多々良。多々良を見ると誰もが声をかけ、いつも大勢の人に囲まれていた。
たいした男だと、素直に思う。
「玲様も鼻高々でしょう?」
玲の言葉をのろけとでも思ったのか、玉野は楽しそうに笑う。
「以前、父様が言っておりました。多々良様は、やがて王となる方だと」
「それはまた、すごい評価じゃの」
「私が結婚を決めたことで、ならば自分が多々良様の妻に、と思っていた方もいまして。玲様のことが知れ渡り、ちょっとした騒ぎになっていましたよ」
「それ、先に言うてほしかったのう……」
そんな女たちも見守る中で舞うと思うと、玲は少々気が重くなった。
だが、いまさら断れない。腹をくくるしかなかった。
腕の布は四日ほどで外された。嘘のように痛みが消えており、これならしっかりと舞うことができそうだった。
「では、舞の練習をしましょうか。日があまりありませんが、大丈夫ですか?」
「引き受けた以上、なんとかせねばの」
玲は玉野に社へと案内してもらい、まずは舞に使う祭具を改めた。
「立派じゃのう。これほどの祭具、なかなかお目にかかれぬぞ」
「元は大王の都にあったものだそうです」
「都? もしやこの祭具……」
「はい。巫女姫様がお使いになっていたものです」
驚く玲に、玉野がうなずいた。
「十年前の大戦のとき、危うく焼けてしまうところだったのを祖父が持ち出し、この地へ運びました」
玉野の祖父は、この地を息子である宇嘉良に任せ、大王の側に仕えていたという。
しかし、世継ぎ争いに端を発した小競り合いが、ついには国中を巻き込む大戦となった。大戦の果てに大王の血筋は途絶え、今も国は戦火が絶えぬ地のままだ。
「祭祀を司っていた巫女姫も亡くなり、一族は散り散りに。後継の三姫も行方知れずです。祖父は三姫の無事を信じ、お返ししたいと願っておりました」
玉野の祖父は五年前に亡くなった。今際の際に、「祭具は大切に手入れし、必ずお返しするように」と言い残したという。
「……そうか」
「眠らせていては朽ちるのみと、父様はこの地の祭りで使っていますが。ちょっと畏れ多いですよね」
「そうじゃの……じゃが、道具は使ってこそじゃ」
玲は神楽鈴を手に取り、ゆるやかに振った。
シャラン、と美しい音が響く。
澄んだ音色が心地よい。鈴にはくすみひとつなく、大切に保管されているのが見て取れた。
「これほどの祭具を使うのじゃ。しっかり舞わねばな」
「はい、よろしくお願いします。では、舞の手順をご説明しますね」
◇ ◇ ◇
りん。
部屋に入ろうとしたところで、多々良の耳は小さな鈴の音をとらえた。
(この鈴の音……玲の瓢箪か?)
玲が持つ大きな瓢箪。その中身は荒ぶる神すら鎮め、結びつけられた鈴は玲の身に何かが起こると音を鳴らす。ただの瓢箪ではないことは明白だが、では何なのかというとよくわからない。
(さて……危険が迫っているとも思えぬが……)
多々良は気を引き締め、そっと扉を開いた。
月の光が差し込む中、玲がぼんやりと座っていた。多々良にちらりと視線を向け、かすかに微笑んだその姿、ドキリとするほど美しかった。
だが、何やら様子がおかしい。
「おや多々良殿。今日はお早いお帰りじゃの」
「祭りの本番は明日だ。さすがに今日はな」
「祭りを取り仕切る長が二日酔いでは、格好がつかぬか」
「そういうことだ」
玲の傍らには鈴のついた瓢箪、その手には椀があった。
「その瓢箪のもの、飲んでも平気なのか?」
椀に残る透明な液体を見つつ、多々良はどかりと腰を下ろした。
「ただの水じゃよ。何の差し支えもない」
「前から気になっていたのだが……その瓢箪、何なのだ?」
「言えぬよ」
突き放すような物言いに多々良は面食らったが、玲も自身の口調に気づいたのか、ばつが悪そうに笑った。
「すまぬ……」
「いや、よい」
椀の中身を飲み干し、背中を向けた玲。
話題を変えるかと、多々良は玲の背中に話しかけた。
「腕はどうだ?」
「もう痛みはない。たいした腕の医者じゃ」
「それはよかった。舞の方はなかなかの仕上がりらしいな。玉野が目を輝かせて吹聴しておった。みな、楽しみにしているぞ」
「あまり期待されすぎても、荷が重いのじゃが……」
ため息と共に、玲が少々うなだれた。
「舞を引き受けて、よかったのかのう……」
「いまさらではないか」
「そうじゃな、いまさらじゃな……しかしのう……」
これまで鎮魂の舞は数多く舞ってきたが、寿ぎの場で舞を披露したことはない。
戦場を渡り、死者のためにしか祈ったことがない自分が、本当に舞ってよいのか。
「寿ぎの舞は……妾の役目ではなかったからのう……」
最後の一言は、多々良に聞かせるものではなく、思わず漏れた言葉のようだった。
それきり沈黙した玲。
その背中は、何かを思い出して泣いているようだった。
「巫女殿」
ややあって、多々良は玲に呼びかけた。
「なんじゃ?」
振り向かずに返事をした玲。しかし多々良は言葉を続けず、沈黙したままだった。
「……多々良殿?」
不思議に思い、玲が振り向くと。
多々良のごつい手がすっと伸びてきて、むに、と玲の両頬をつまんだ。
「笑われよ、巫女殿」
突然のことに目を丸くする玲に、多々良はニカッと破顔した。
「寿ぎの舞に、沈んだ顔は似合わぬ」
「た……たひゃらどの……」
「ほれ、こうして口をあげて、目を細めて。物憂げな巫女殿は見惚れるほど美しいが、楽しげに笑う顔はもっと美しいと思うぞ」
多々良が臆面もなく言い放った、口説き文句のような言葉に、玲はみるみる顔を赤くした。
「え……ええい、離さんか!」
ぴしり、と多々良の手を打って離させると、玲は両頬に手を当てながら、多々良に抗議した。
「お、女子の顔に、気安く触れるでない!」
「いやすまん、ついな」
「つい、でないわ。まったく……」
「うむ、元気が出たようで何よりだ」
「おぬし……その調子で、女を口説き回っているのであろう?」
「心外な。これでも身持ちは固いのだぞ」
「その割には、さらりと口説き文句が出ておったが?」
「口説き文句?」
玲の言葉に首を傾げた多々良だが、すぐに笑い声をあげた。
「いやいや、口説き文句ではない。心からの言葉だ」
「……は?」
「下心はないぞ。素直な賛辞として受け取っておいてくれ」
ぽかんとしている、玲に気づいているのかいないのか。
「さて、明日は早いのだ、さっさと寝ようではないか」
多々良はそう言うと、ふわっ、と大あくびをして夜具にもぐりこんだ。
そして、ものの数秒で、寝息を立て始めてしまう。
「こ……この男は……」
頰を火照らせたまま、一人残された玲。
そんな玲をからかうように、瓢箪の鈴が、りん、と小さく鳴った。