1 豪族の村
二人の男が、鋭い眼光を向け合っていた。
三十過ぎの、長身で大柄な男が、傭兵剣士・多々良。
初老の、屈強な体つきの男が、このあたりを治める豪族の長・宇嘉良。
そんな二人を、いかつい顔をした数十名の男──宇嘉良配下の猛者たちが、ぐるりと取り囲んでいる。
肝の小さい者なら震え上がるような状況。
だが多々良は、恐れた様子もなく、笑みすら浮かべてどっしりと構えていた。
「まったく……平然とした顔をしやがって」
ふう、と一つ息をつくと、宇嘉良は多々良の横に転がっている甕を指差した。
「大甕ひとつ飲み干してんだぞ。お前、化物か」
「お褒めの言葉と受け取ろう」
多々良が、にぃっ、と笑い、さらに杯を突き出すと、取り囲む男たちからどっと笑いが起こった。
「長ぁ、こいつは俺らの負けですぜ」
「そうそう、認めましょうや!」
「めでてぇことじゃないっすか!」
「だぁー、わかったよ、こんちくしょうが!」
悪態をつきつつ、宇嘉良は新たな甕を引き寄せた。
そして、中身をひしゃくですくい、多々良が突き出した杯に並々と注ぐと、それまでの仏頂面が嘘のように破顔した。
「ほらよ多々良。ここからは祝いの酒だ、心ゆくまで飲め!」
「ではありがたく」
多々良が杯に受けた酒を悠々と飲み干すと、男たちがやんやの喝采を送った。
「おめでとう、多々良!」
「うらやましいぜ、あんな美人と夫婦になるとはな!」
「俺たちもあやかりたいものだ!」
それまでの緊迫した空気はどこへやら。
あっはっはっはっは、と男たちは豪快に笑い、飲めや歌えやの宴会が始まった。
……そんな隣室に聞き耳を立てていたのは、二人の女。
一人は、二十代半ば、垂髪の美しい女。多々良とともに旅をする、巫女・玲。
もう一人は、先日二十歳になったばかりの、宇嘉良の娘、玉野。
隣室から聞こえて来る笑い声に、どうやら丸く収まったらしいと、玲が息をつく。すると、玉野が頬をほころばせた。
「お気を悪くなさらないでね」
楽しそうにコロコロと笑う玉野。対して玲は、困惑顔だ。
「父様、多々良様と私を夫婦にしたいと、ずっと言っていたから。でも、気が済んだようですね」
「あ……いや、まあ……うむ、大丈夫じゃ」
冷めた汁物を口に運びつつ、玲はこっそりとため息をついた。
──すまん、この村にいる間は、俺と夫婦ということにしてくれ。
村を目前にして、いきなり言われたとんでもない頼み。
理由を問えば、長の宇嘉良が、娘の玉野と多々良を夫婦にしようと、手ぐすね引いて待っているからだという。
十二年前、宇嘉良の下で傭兵として働いたとき、その目覚ましい戦果と多々良の人柄に「ぜひわが娘を娶ってほしい」と宇嘉良が惚れ込んだのが始まりらしい。
当時、玉野はまだ八歳。結婚相手としてまじめに考えられる歳ではなく、多々良も「まあ、大人になったらな」と冗談だと思って流していた。
だが、宇嘉良の方は大まじめだったようで、玉野が年頃になると、「夫婦になりに来い」と、ことあるごとに催促されていたという。
「何度断っても、諦めてくれんのだ」
そのため、この村に極力立ち寄らないようにしていたらしいのだが、先日看取った野盗夫婦の一件で借りができ、顔を出さざるを得なかったという。
「宇嘉良殿の村には腕の良い医者がいてな、巫女殿の腕を診てもらえる。頼む、この通りだ」
困ったものだと思いつつも、以前ケガをした右腕がなかなか完治せず、難儀していたところだ。治療代と引き換えということで、玲は多々良の頼みを引き受けた。
そして、「すまぬ、もう妻を娶った」と言って玲を紹介したところ、怒った宇嘉良が飲み比べを挑み、多々良が完勝してケリがついたのである。
「ふふ、そうですよね。多々良様ですもの、豪族の長に言われたからと、離縁なさるような方ではありませんね」
「うむ、まあ……信義に厚い男じゃから、の」
「ですよね」
乙女らしい好奇心に満ちた目で、にこにこしながら玲を見ている玉野。
さてどうしたものか、と玲は思う。
(これは……色々と聞かれるのかのう……)
隣の部屋がどっと沸いた。
目を向けると、多々良が再び飲み比べを始めていた。先ほど大甕一つを空にしたところだというのに、多々良のうわばみぶりにはあきれるばかりだった。
「あちらは長くなりそうですね」
「そうじゃの」
「変に巻き込まれても嫌ですね。玲様、湯浴みに行きませんか?」
ケガによく効く、温泉が湧いているんですよ。
にこにこと笑う玉野の提案を断る理由が思い浮かばず、玲は無言でうなずいた。