明日の辛さを知る僕は
「昨日より今日、今日より明日」
そんな言葉がある。変わり続けることが大切。今日は昨日よりもいい日で、明日はもっと素敵な一日になる。
嘘だ。
そんなのは、幸せな人間だけが言える戯言、綺麗事だ。
不幸な人間にとって、明日は恐怖でしかない。
誰しも、一番幸せな記憶は過去にある。幸せな人間は、それよりも幸せな日が来るのだと信じていられる。心の底から、これから来るかもしれない最高の一日に期待できる。
でも、不幸な人間、例えば私のような人間にとって、幸福というのは過去の記憶にだけ存在するもので、未来に対する希望なんてものは全く持ち合わせていない。
多分、あなたに不幸な人間の気持ちはわからない。きっとあなたは、少なくとも私よりは幸福だから。不幸な人間の気持ちは、不幸な人間にしかわからないから。
だから、私は死にます。死んでしまえば、明日は来ません。どんどん不幸になっていく、この辛くて苦しい毎日から解放されることができます。昨日よりも苦しい今日に、今日よりもっと辛い明日に、私の心はもう限界なんです。
これでも、必死に頑張ってきました。明日を信じて努力したことだって、もちろんあります。
でも、全部無駄だった。
私が藻掻くことをやめたのは、もうずいぶんと前のことです。苦しみの連鎖から抜け出そうと懸命に抗った日々が、今は本当に懐かしい。
あの時の私には、まだ抗うだけの気力があった。必死に努力しさえすれば、いつか報われるんだと、本気で信じていられた。
五年前、私はひき逃げの容疑者になりました。いえ、容疑者という言い方は性格ではないかもしれない。重要参考人として、警察に取り調べを受けた。ただ、それだけのことですから。
ある日、私は友人に車を貸しました。高校時代からの親友。同じ大学に通い、所属するサークルも同じ。私にとって、本当に大切な友達でした。それまでにも車を貸したことがありました。私自身も彼に助けられたことが何度もあります。だから、私は彼に、なんのためらいもなく車を貸したのです。
そして、不幸にも、彼は私の車で人をひいてしまったのです。しかも、すぐに通報せず、救急車も呼ばず、ひいてしまった人の血と肉がこびりついたタイヤで、そのまま走り去ってしまった。きっと、彼は自分がしたことに気付いていたのでしょう。なぜ、その日に限って人をひいてしまったのか。なぜ、すぐに車を止めて通報しなかったのか。今となっては知るよしもありません。もしかしたらお酒でも飲んでいたのかもしれないし、何かに追われていたのかもしれない。人をひいたことに気付かなかったのかもしれないし、気付いたうえで逃げることを選んだのかもしれない。
人をひいた彼は、数キロ走った後に私の車を乗り捨てました。自分が何をしてしまったのか気付いたのでしょう。そのまま、彼はどこかへ逃げて行ってしまいました。それから私は、一度も彼に会っていません。今思えば、その日が私と彼の人生にとっての分岐点だったのでしょう。彼が通報するか、通報しないか。私には何の責任もないのに、私の人生はその時確かに彼の手の中にあったのです。
翌日。私の家に警察が来ました。前日の夜、何をしていたのかと聞かれました。車はどこにあるのかと聞かれました。前日にあったひき逃げ事件について知っているかと聞かれました。
その日の朝、車が帰ってきていないことや友人から何の連絡もないことを不思議に思っていました。でも私は彼を信じていましたし、大切な友人を疑う、そんなことはしたくありませんでした。
でも、警察が訪ねてきたとき、私はすぐに何が起きたのか理解しました。彼が私の車で何をしてしまったのか、どうして警察が私を疑っているのか、手に取るようにわかりました。
私はそれを警察に伝えるべきか迷いました。人として、友として、私は彼の過ちを警察に伝えるべきでした。でも、それと同時に、私はそれをして彼に恨まれたりはしないか、と思いました。彼はどこかで、自分のしてしまったことの愚かさに気付いて、後悔しているはずだ。ニュースを見て、で、ひき逃げがばれていることに気付いているはずだ。警察が自分を探していることに気付いているはずだ。そう思いました。
自分がここで彼の名前を出せば、彼は卑劣なひき逃げ犯になってしまう。でも、ここで私が我慢して、その間に彼が自首しさえすれば、彼は少なくとも、「卑劣な」ひき逃げ犯ではなくなる。良心のある、運が悪かっただけの平凡な青年だとわかってもらえる。
私は迷い、結局、彼のことを話すことはできませんでした。
警察だってプロです。私が嘘をついていることなんて、すぐに見抜いていました。だから、私はその事件の重要参考人として、任意同行を求められたのです。
動揺しなかったといえば嘘になります。でも、自分はその事件とは本質的になんのかかわりもないのだから大丈夫だと高をくくっていました。
私は黙秘を貫きました。そうしているうちに、私の考えた通りに、彼が名乗り出てきてくれたのです。私は晴れて自由の身に、彼はひき逃げ犯になりました。
そうして私は家に帰り、自分のしてしまったことの愚かさに気が付きました。
私の住むアパートのある部屋の扉には、たくさんの落書きがされていました。「人殺し」「卑怯者」「お前が死ね」「社会のゴミ」…。それが、私の部屋だと気づくのに、そう時間はかかりませんでした。
窓は割られていました。家の中には、投げ込まれたと思われる石と割れたガラスの破片が散らばっていました。
その時初めて、私が世間でどのように扱われていたのかを知りました。
世間にとって、「卑劣なひき逃げ犯」とは私のことだったのです。
そこからは、もうよくある話ですよ。絵にかいたような転落人生。何をしてもうまくいかない。努力しても何も実らない。どう頑張っても報われない。どこに行っても、どれだけ時間がたっても、彼の裁判が終わっても、彼から謝罪の手紙が送られてきても、私は「卑劣なひき逃げ犯」なんです。
もう、私は疲れました。
今日よりも辛くなるだけの明日が来ることに、耐えられなくなりました。
報われない日々に、何も実らない努力に、どうしようもないこの孤独に、やり場のない怒りに、誰も慰めてくれない悲しみに、幸せだった昔の自分に、救いようのない今の自分に、私は、絶望しました。
だから、僕は死にます。自ら命を絶ちます。
さようなら