6
最短ルートで、庭園に辿りついた私は、辺りを見回した。
このチュートリアルで登場するのは宰相補佐で次期宰相ともくされている『アーノルド・ローベル』だ。
アーノルドの見た目は、暗めの茶髪に眼鏡をかけ、髪色と対象に明度の高い水色の瞳を持っている、知的な雰囲気を持つインテリ眼鏡である。
そのアーノルドが現れ、チュートリアルのイベントが終盤にかかったころで、攻略対象可能なキャラクターが現れるのである。
ここで、誰が現れるかによってゲーム中の私の進捗を測れるので、このチュートリアルを見る事で、攻略対象が誰であるかも簡単にわかってしまう。
もし、誰も現れなければ、攻略対象はアーノルド、もしくは王子という事になる。
その二人以外であれば、最後に庭園に現れた人物が攻略対象となるので、一目でわかるだろう。
その事を思い出した私は、もし王子が攻略対象だったら、という可能性を考え少し嫌そうに眉を寄せると、「うへぇ」という令嬢らしからぬ奇妙な声を漏らした。
庭園とは名ばかりの何の花も植えられていない芝生だけが管理された状態の庭園は、前世と変わらず姿を隠せるものが庭園を――正確には城を――取り囲むように生えている木々とその足元に生えている伸び放題の雑草くらいで、ほとんど何もない殺風景具合だった。
「ここは本当ずっと何もないままよねぇ」
前世の記憶を思い出しつつ、変わらぬ庭園をぐるりと見まわす。
この庭園は、ゲーム中のイベントや密会こそ目撃すれど、目を楽しまるような草花を新たに植えられる事も、剪定された木を植えられる事もなく、私が転生してからもずっとこのままだった。
その殺風景な庭園にはまだ誰も来ておらず、静寂そのものが庭園に広がっている。
そのあまりの静けさに、もしや、すでにチュートリアルイベントが終了したのだろうかという焦りを覚えたが、念のため少し離れた場所にある茂みに姿を隠しあたりを注意深く見まわした。
すると、遠目からも分かるピンクの髪の毛とデビュタントのそれだとわかる白いドレスを着た女の子が、能天気にフワンフワンと髪の毛を揺らしながらやってくる。
「よかった! まだチュートリアル始まってなかったわ!!」
小声で喜びを上げ両手を強くにぎる。
注意深くピンクの髪の彼女を凝視すれば、遠目にも美少女とわかるゲーム中の主人公(私)の近くに光る玉が見えた。
確か、アレは進行役の妖精だったはず。それを確認した私の目は驚きに丸くなっていく。
「今世で妖精なんて幻かおとぎの話でしか存在しないものの扱いだったけれど、やっぱりいるのね」
彼女はゲームの進行役で、主にイベント発生時と自室に戻った時に『今日は何をする?』といって訪ねてくるお助け役みたいなキャラクターだった。
愛らしい顔と四枚の七色に光る羽をもち、攻略対象の好感度上げのポイントだとか、攻略対象との現在の様子をバロメーター代わりに客観的に伝えてきてくれるキャラクターで、重宝した。って。
それは今はどうでもいい。
私は草陰にかくれながら、ゲーム時の記憶を振り払うように首を左右にふり、再び草陰から主人公と妖精を凝視し息をひそめた。
距離があるとはいえ、お助けキャラクターとピンクの髪の女の子が登場したという事はこれからチュートリアルが始まるという事だ。
しばらく短い呼吸を繰り返し二人を観察していると、主人公の後ろから派手に着飾った令嬢が三人歩いてくるのが見える。
そして、想定通りに貴族女性らしいすこし高めの甘ったるい声が響いた。
「――――!!」
響いた声は想像以上に聞き取りづらく、私は自然と眉をよせた。
「仕方ないわね。前世の記憶には頼らない予定だったけれど、背に腹は代えられないわ。ちょっと使わせてもらおうかしら」
つぶやくと私は王妃時代に多用しまくった身体強化の魔法を起動する。
この国では、魔法理論の十分な理解だとか、詠唱が必要なものである魔法だが、この異世界に二回目の転生となれば、その魔法を行使するのにそこまでの苦はない。
イメージが大切なこの世界の魔法は、想像さえ出来てい仕舞えば無詠唱でも行使できるのだ。
――まぁ、基本的には魔法は使わないに越したことないのだが。
私はその魔法を指を鳴らして発動させ、魔法を実行する。
すると全く聞き取れなかった音や視界が、望遠鏡をつかったように拡大され、遠くの音をしっかり拾ってくれた。
「これでよし」
私の確認の言葉とともに、強化した目と耳はさっそく令嬢たちと主人公のやりとりをさきほどよりも鮮明に見せてくれる。
「ちょっと、そこの貴女」
ぶしつけにゲームの主人公(私)を睨みつけた茶色の髪をした令嬢が扇で口元を隠し、たずねた。
主人公は突然かけられた声の方に振り替えり、呼び止められた人々の姿をその視界に映す。
お助けキャラクターの妖精はいつの間にか姿を消し、殺風景な庭園には主人公一人となっていた。
主人公が呼び止められ振り返った先には金髪の豪奢な髪の毛をした気の強そうな顔の令嬢が一人。
私よりも黒味ががった青い髪にしたたかな顔をした令嬢が一人。
最後に幾分か褐色まじりの肌に優し気なヘーゼルの瞳をきつそうにアイメイクで誤魔化した茶色の髪の令嬢が立っていた。
三人とも、色がかぶらぬように気をつかったのかドレスの色はそれぞれ、金髪の令嬢は赤に近いピンク、青い髪の令嬢は青、茶髪の令嬢は黄色と、信号のようなドレスに身を包み、三人とも不機嫌そうな雰囲気を醸し出す為か、眉をよせたり、目を顰めたりしていた。
その見知らぬ他人に呼び止めれた主人公はその長い白に近いピンクのまつげを何度か上下に動かした後、眉をよせて少しばかり申し訳なさそうに尋ねた。
「えっと……どちらさまでしょうか?」
主人公の言葉に茶色の髪の令嬢が驚いたように目を見広げ、小さくポカンと口を開けていた。
そして、すぐさまその表情を取り繕うように、バサリとわざとらしく扇を広げると、器用に目を眇め見下ろすように主人公を見た。
「まぁ、貴女。このお方がどこのどなたかご存じないとおっしゃるの?」
主人公は申し訳なさそうに眉を下げ、その大きな翡翠色の目で令嬢を視線だけで見上げ、なんと返してよいのかわからず言いよどむ。
「すみません。私、突然……」
主人公のその動作を見て何かを悟ったらしい茶色の髪の令嬢が、主人公の言葉など興味もないと言いたげに口を開いた。
「貴女、そんな事もしらないで一体どこの田舎からいらっしゃったの?」
眉を寄せ不快に顔を歪ませた茶色の令嬢は、さらに追い打ちをかけようと口を開きかけ、それを止めるように金髪の豪奢な巻き髪をした令嬢が茶色の髪の令嬢に手で静止をかけた。
令嬢たちから一歩前に出て、主人公に近づいた。
「スザンナ様、地方の貴族にとって、父の名や顔を知っていても私の事をしらないという事は仕方のない事。そんな風におっしゃっられては、こちらの方がお可哀そうですわ」
金の髪の令嬢は、初めこそ茶色の髪の令嬢の方を向け目元を緩ませ優しそうに微笑んでいた。
言い終わると同時に持っていた扇を閉じたままの状態で口元にあてると、少しだけ首をかしげ、先ほどよりもさらに笑みを強めて主人公を見た。
「わたくしとした事がご挨拶がまだでしたわね。私、ヴィスコンティ侯爵家の娘でエリザと申しますの。どうぞお見知りおきを」
流れるような動作で口元に当てていた扇を片手に持ち、優雅に挨拶をしたエリザ様は、目を少しだけ伏せ、嫋やかに挨拶してみせる。
挨拶と同時に作られたエリザ様の顔は、知的に吊り上がった目を優しく緩め弧を描き、派手すぎないオレンジのルージュを乗せた艶のある唇は友好に引き上げられている。
それはまるで慈愛の聖母様のような表情である。
彼女の所作一つ一つが完璧で優雅な挨拶は、その動作も表情もどれ一つとして乱れはなく、とても友好的で攻撃性の欠片など皆無だ。
というのに、生まれて16年という令嬢生活のせいか、これが、いわゆる令嬢風ドヤ顔というやつだろうか。などと、斜めに解釈してしまう私は、思わず目を細めエリザ様を見つめ返した。
私の視線になど誰一人として気づかない令嬢集団は、エリザ様の挨拶が終わると、それに倣うように青髪の令嬢と茶色の髪の令嬢が順々に挨拶をしていく。
金髪の髪の令嬢が、エリザ様、褐色気味の肌に茶色の髪の毛の令嬢がスザンナ様、そして、濃い青の髪の令嬢がマリサ様というお名前らしかった。
令嬢それぞれの挨拶がおわり、主人公を見ると彼女はギュッとドレスを手で握っていた。
何か答えようと力を込めたのがわかるその状態で、主人公の動きが突然停止し、主人公の止まった動きに連鎖するような形で、周りにいる令嬢もその場で動かなくなった。
何が起こっているのか訳が分からず、ただ、目を開くばかりの私は、理解できそうにない目のまえの現象について、瞬きを何度か繰り返した後、一生懸命考えた。
何故転生を繰り返しているのか、とい根本問題すら解決できないその頭で、現状を確かめるべく一度しっかりと呼吸を落ち着ける。
その後、目の前の状況に一部の隙も無いほどしっかりと見つめてから、現状を再び確認する。
草陰から見る彼女たちはみんな精工なビスクドールのようにまったく動かない。
先ほどまで人間らしく話して動いていたにも関わらず、その会話や呼吸すらもしていないように見受けられ、なんだか奇妙で不気味な姿だった。
私はその不気味な状態の彼女たちから視線を逸らすと、どうしたものかと、考える。
答えがわからないまま、う~ん、うう~んと「う」の数だけを無駄に増やした語彙力で10分ほどたっぷりと時間を置いたあと、主人公の口が動くと同時に止まっていたすべてのものも動き始めた。
「えっと、私は、レイナ・サクラガワです」
主人公はそういうと日本に住んでいた時の挨拶である腰から上半身を倒して頭を下げた挨拶をした。
それを見た令嬢が嘲笑うかのように、慣れた手つきで扇をつかい、口元を隠した。
私はその姿を見て愕然とする。
「ま、まさか、まさかと思うけど、選択を決定するまで停止しているとか?」
口にした言葉の恐怖に自然と体が寒くなるのを感じ、私は両腕をかかえこむようにして、体を小さくし、手のひらで腕をさすった。
しかし、私が感じた異様さは誰一人気づく事なく、ゲームのチュートリアルと同じ展開が再び目の前で繰り広げられていくのだった。