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ガタガタと石畳の上を走る馬車の中で、私はその乗り心地の悪さに眉をよせていた。
もっと、クッション突っ込めばよかった!! と心底後悔を乗せ、揺れる馬車で無言を貫く。
私は王城で開催される15歳の社交界デビューを祝うデビュタントに参加する為、王城へ向かっていた。
馬車の中は、私とお父様のみ。
お父様は揺られる馬車の中で私と同様に眉を寄せ、私と同じネオンブルーの瞳で、不愉快そうに私の額を睨みつけている。
「……お父様、わたくしの額に何かついておりますか?」
「いいや、問題ない」
表情を変えないままお父様は短く答えた。お父様はこの顔がデフォルトだとは知ってはいたが、ずっと睨みつけられているのも気になるのだ。
そういえば、あの夢見るお母様の話を聞いた夜に、私は前世と前々世を思い出した。
便宜上、前世だとか前々世とは言っているが、思い出した記憶と現実に齟齬があったり、一つの人格で転生とループを繰り返している意味不明な状況だったりした事で私には理解不可能だと、早々に思い出した事実を理解する事を諦めた。
そういうもの、それですべて片がつくのだし、わざわざ藪蛇をつく気にはなれない。
ただ、この現象を思い出したに当たり、気に入らない事があるにはあるが、過去を改変するなどという非凡極まりない事を私が願う筈もなく、思い出した過去は記憶のかなたに放りなげる事にしたのだった。
経験は財産だとか聞いた事があるけれど、私の前世においてその言葉は不要だ。
時に人生には、財になる事もなく炭と化し、何の生産性も向上心も利になるものを得られないまま黒歴史という過去になっていくものだって存在するのだ。
そもそも、前世の記憶を思い出す事にどんな理由や理屈があろうが、関係などないのだが。
今の私に求められるのは『普通の令嬢』である事だし、私自身もそうでありたいと、強く望んでいる。
だからこそ、忘れていた時と同じく『普通』の令嬢と過ごすのが一番だ。
平凡こそ最強。人生に起こるイベントは『ありきたり』こそ最強のイベントなのだ。
暗示のように内心で繰り返し呟いた言葉に安堵の息を短く吐く。同時に動いていた馬車が止まり、流れるように馬車から降りた。
馬車から降りると、目の前には庭園から何度も見たあの王城が視界一杯に映し出される。
我が家の庭から見えていた城の一部は、現在見上げるほど高く聳え立ち、その荘厳なたたずまいに圧倒されそうになる。
私はその圧倒的な存在感を放つ王城に圧されないよう、短く吐息をはいた。
そういえば、前世の私はお城の奥の王族の居室となっている離宮に引きこもっていた事を思い出す。
こんな風に気負いながら、貴族や王城使えの人々が利用するこちらの方にあまり足をむける事はなかったなぁ、と今更になって王城前の馬車付き場をぐるりと見まわした。
四頭立てのキャリッジが少なく見積もっても三台は止められそうなほど広くとられた馬車付き場は、それだけで王家の力が理解できる。
その少し馬車付き場から視線をそらせば、小さな噴水と季節の花々が花壇に並び、一つの通過地点に過ぎない場所にも女性の目にも耐えうる配慮がなされている。
この広く荘厳な王城の入り口ですら隙などというものは存在せず、男女誰もが一目で完璧だと理解できるほどの、力と資産を伺わせるには十分で。
あぁ、だから多くの貴族令嬢はこぞって王城や王子に憧れるのか、とその壮観な馬車付き場を見て納得しつつ、隣に立つお父様へ視線を向けた。
私の視線にお父様が気づくと、厳つい眉を緩めやさし気に目元を綻ばせる。
「さぁ、行こうか」
差し出された腕に手をかさね、私はお父様にエスコートされて王城へ歩み出した。
馬車寄せから少し進んだ先にある白い階段を上り始め数段のところで、目の前に聳え立つ塔と、王城の警備をしている衛兵が遠くに見える。
二人の衛兵は入り口を守るように扉の両脇に帯刀して立っていた。
城を守る衛兵はその仕事が当然であるかのように目深に帽子を被り、表情を見る事はできない。しかし、真一文字に結ばれた口元や、服の上からも鍛えられているであろうと推察出来る肉体を見てこれが、大人だと言われているような気持ちになり、その遠くおよびもつかなそうな姿に不安と緊張を覚える。
それと同時に、私もこの人のように一人前の大人として恥ずかしくないデビューを飾ろうと意気込みつつ、お父様をみれば、普段は私と同じネオンブルーの瞳に気難しい表情をのせているお父様の姿が、今日ばかりは幾分か頼もしく見えた。
いつもと変わらないお父様の姿の頼もしさを改めて実感すると、やはり、ふつうこそ最強ワードなのだと、心の中でもやもやとした不安や緊張を払拭するようにその言葉を何度もとなえた。
改稿(6/15)