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18


 速足でやってきたお母様は、並々ならぬ雰囲気を醸し出し、頬を膨らませて私の隣に座った。

 椅子ごとこちらに体を向け、怒りを露わに――ただし、全く怖くない――腰に手を当て口を開く。


 「もう、どうして旦那様も教えて下さらなったのかしら? 確かに、すぐどうにかできるような状態ではないとは理解していても、どうして、と思うのは仕方のない事でしょう? ねぇ、リナリアもそう思うでしょう?」


 「……そうですわね」


 私はお母様の言葉に顔を伏せながら答えた。


 「私だって、理解のない妻だと思われたくはありませんのよ。でも、物事には順序というものがあるでしょう? 昨晩は私もただ驚いてしまって、ほとんど話を聞くだけで終わってしまったのよ。私としたことが、恥ずかしいわ」


 「そうですか。それは……不測の事態でさぞ大変でしたわね」


 顔をふせたまま、答えれば、お母様の言葉はまだ続く。


 ……おかしい。


 私は顔を伏せたまま、上目遣いでお母様の様子を伺いみるようにそっと視線を上げた。

 お母様は私の適当な反応に「そうなのよ。それでね――」と頬に手を当てたり、頬を膨らませたり、腰に手を当てて怒りを露わにしたりしながら昨晩からお母様に起きた出来事――全く話の本筋がみえてこない――を話し続けていた。


 私の想定では、お母様の普段とはいささか違う登場を受け、知らず内にこの食事室で説教が始まる事を予想していたのだ。だから、朝食のパンをお皿に戻し、しおらしく座っていた。


 顔を伏せ、自らドレスが小花を散らしてある事に一安心してからさぁ、いくらでもお説教をしてくださいと構えていたのだ。

 だというのに、開口一番に聞いた言葉は、私に対してではなく、昨晩から続く何事かに対する感想だった。


 どうやら説教を受ける間、暇をつぶすために小花の数を数える必要も無さそうである。


 「もう、本当に驚いてしまって、言葉にならないというのはこういう事をいうのね。今でも胸がどきどき言っているのよ? 信じられて?」


 お母様はそういうと胸に手をあて、わざとらしく深呼吸してみせる。

 深呼吸を繰り返すお母様を繁々と観察したあと、伺うような視線を向けゆっくりと口を開く。


 「それは、……大変ですわね」


 「リナリア、貴女もデビューした事で大人になったのね。いつの間にか母の気持ちを察せてくれるようになったなんて、私嬉しいわ」


 お母様は、私の言葉に目元を緩ませ、私の手を挟み込むようにして手をとった。

 ぱちぱちと何度か瞬きをして、握られた私の手を見る。社交界デビューしたての私の手――お母様より小さく子供のようだ――を取ったお母様は頭をなでるように私の手の甲を撫でてくれていた。


 「……いえ、そんな事はありませんわ。でも、ありがとうございます」


 胸の高鳴りなどこれっぽっちも聞こえてこない上に、話の本題というものが全く見えないお母様との会話だったが。

 適当に相槌を打っただけとはいえ、手を取られ、私を認めてくれるような言葉を頂けたのは、こそばゆくも嬉しくあった。

 しかし、未だ目的の見えないお母様の行動にすぐさま何かしらの不穏な空気を感じ取った私は、握られた手からお母様に再び視線を向けた。


 「それで、お母様、いったい何があって朝からこちらに?」


 私がいつも通り笑みを向けて尋ねれば、お母様は、思い出したとでもいうように握っていた両手を離し、胸の前で合掌をした。


 「そうなの。リナリア、分かってると思いますけれど、ロイス殿下はいけませんからね?」


 お母様は、うふふ、という笑い声と共に首を少しだけ傾けていた。笑い声と共に放たれた、いつにないはっきりとした口調で伝えられた言葉はやけに高圧的に感じる。

 それを感じ取ったのは私一人だけではないらしく、テーブルを挟んで向かいで朝食を始めていたステファニーが、動揺してかカトラリーを食器にぶつけてしまっていた。

 その音にすぐさま反応したお母様はステファニーと目を合わせて微笑んだ。


 「気おつけなさいね」


 短くステファニーに告げると表情を固くしたステファニーが「はい、お母様」とだけ返事をする。そして、頷いたお母様が私の方を再び見て、また同じ言葉を仰った。


 「何があったかなどという事は聞かずともわかりますが、ロイス殿下だけはいけませんよ」


 目を見開き驚いた表情のまま、お母様を見つめる。

 私は、悪い事など一切していないというのに、思わず口元を抑え、息を止めた。

 いろいろ言いたいところであるが、ここで下手に何か言ったところで良い結果が見えないのは経験から明白だ。


 お母様のブラッドオレンジのルージュを塗った唇が引き上がり、垂れ目が優しそうに下がる。


 それだけで、言外にわかりましたね? きちんとしなさいね。と脅されているような気持ちになる。これは、もはや教育と言う名の洗脳の賜物だと思う。

 思わず私は高速で頷く赤べこになってしまった。そして、すぐさまお母様の「リナリア」というお言葉を受け、笑みを作ったお母様に合わせるように押さえていた口から手をはなした。

 落ち着きを取り戻すように笑みを向け、ヘラリといつものように締まりのない愛想笑いを浮かべる。


 お母様、ロイスがよろしくない相手だというのは、私も理解できます。


 それを伝えようと気を引き締めるように喉を鳴らした後、頷きながらお母様の言葉に答えた。


 「はい、お母様、言われずともわかっております。昨晩お父様からもリベリオ殿下の婚約者候補に選ばれたと……「え!? それは本当ですの!?」」


 すると、ガタリと椅子を押し出す音とステファニーの言葉が私の言葉にかさなった。笑みを浮かべたままのお母様は、再びステファニーへ顔を向けていた。


 「ステファニー、お食事は?」


 「あの、……まだです」


 「そう、でしたらきちんとお座りなさいね」


 微笑みを浮かべたままお母様はステファニーの行動を窘める。


 「はい。わかりました、お母様。――それで、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 椅子に座り直し、顔を伏せたステファニーがおずおずと確かめるようにお母様に向け声をかけた。

 お母様は、私の方へ向いていた顔を再びステファニーに戻した。


 「えぇ、かまわないけれど、それは今必要な事なの?」


 ステファニーは少し気まずそうに眉を寄せ小さく頷いた。

 言い出しにくい事なのか、顔を下に向けた状態で珍しく私に懇願するような視線まで向けてきていた。


 なんだ、その潤んだ瞳は。フォローをしてくれと、姉にそう言いたいのか、そうなのか?


 私はこちらにチラチラと視線を向けるステファニーの言外の要請に仕方なく、助けに回る事にした。

 物理的に小さき姉とはいえ、妹を前にした時くらいは寛大な姉でありたい。


 「お母様、ステファニーは昨晩まで熱で寝込んでいたのですから、少しくらい大目にみてもいいのではないでしょうか?」


 私の言葉にお母様は瞼を閉じて何か考えた後、笑みを浮かべて頷いた。


 「そうね――。では、手短にお願いね」


 お母様の言葉にステファニーは嬉しそうに目を輝かせる。


 「あの、それではお尋ねいたしますが先ほどお姉さまが、リベリオ殿下の婚約者に選ばれたとおっしゃられたように聞こえたのですが、それは本当の事ですの?」


 ステファニーは、先ほど、私にロイスとの事について問いかけてきたようにワクワクが抑えられないという体で、お母様の言葉を待っていた。


 「えぇ、今のところ、”候補”というお話を頂いておりますよ」


 「で、ではお姉さまは将来この国の王太子妃、という事ですの?」


 ステファニーは優しく微笑んだお母様から驚きを乗せた顔で私を見た。


 いつも揶揄いのために私を上から下まで見る事はあれど、今のその視線には揶揄いなど一切含まれてはおらず、驚きの表情しか読み取れなかった。


 ぽっかりと開いた口から、お姉様が未来の国母……。そんな……まさか。それでは私は……などというつぶやきが聞こえる事から、驚きと共にろくでもない事を考えている様でもある。

 そのろくでもない事が何なのかは見当もつかないが。


 私は口をあけて、ぶつぶつ呟くステファニーの思考をぶった切るように言葉をかけた。


 「ステフが心配しているような事は絶対にあり得ませんから、心配には及ばなくてよ」


 私の言葉を聞いたステファニーが、うろたえるように視線を泳がした。


 「お、お姉さまはわたくしのお心が読めるのですか!?」


 「読めるわけないでしょう。その可愛らしいお口から色々と駄々洩れで聞こえてきただけですわ」


 「で、では、お姉さまは王家に嫁ぐ気はないのですか?」


 「ええ。大声では言えないけれど、わたくしには荷が勝ちすぎると思うのよ」


 私が哀愁を帯びたため息をつけば、ステファニーが、一瞬嬉しそうな顔をし、直後に何かに気づいたらしく鼻息を荒く抗議してくる。


 「お姉さま、何をおっしゃっているの!? 荷が勝ちすぎるなんて、そんな事、あるわけありませんわ!!

 お姉さまはちょっと人より小さく、すぐ自分の世界に入ってしまって斜めに解釈する天然なところがありますけど、それは欠点というよりちょっとした個性の一つですし、それ以外は見た目も美しいです。……――そ、そこそこですけど!

 他には、前衛的な――柔軟な考えの持ち主ですし、なにより、貴族の令嬢として必要な教養だけはほとんど完璧ではないですか!」


 ふんすっと鼻息荒く、拳を握ったステファニーが、珍しく私を褒めていた。

 私はそのステファニーの普段聞かない言葉に手を口元にあて、言葉にらない驚きを浮かべる。


 当然ではあるが御年八歳の妹が、前衛的だとか性格が天然だとか、そういった言葉を使って褒めたから私は驚いているのではない。

 おそらく、ステファニーはそれらの言葉の意味を本当に理解して使ってはいないだろう。


 私が驚いている理由はただ一つだった。


 「ステフ貴女、いつもわたくしを子供っぽいだとか言って揶揄っていたのは、もしかして照れ隠しでしたの? 本当は……この姉の事を……」


 おそるおそる紡ぐ私にステファニーがしまったとばかりに眉を上げ、口に手を当てる。


 「この、姉の事を……「ち、違います。私はお姉さまの事が大好きなわけではありません!!」――美しいと思っていてくださったの?」」


 かぶった言葉のせいで、ステファニーが伝えようとしている言葉の半分も聞き取れなかった。しかし、ステファニーの言葉を聞き取れたらしい、お母様は詰めていた息を吐き出すように小さな笑い声を上げた。

 驚く私を見るステファニーは、お母様をちらりと見てから、頬を赤くして私を再び見た。ゆっくりと目を細め憮然とした表情を浮かべている。


 はて、私をほめたのは間違いだったと、そう言いたいのだろうか?


 「お姉さまはすぐ、わたくしを揶揄うから嫌ですわ」


 頬を膨らまして怒ったステファニーが、フンッ! と怒りを顕に鼻を鳴らし、再び食事に手を付け始めた。そこへすっかり変わった話題を遮るように、お母様が一枚の手紙を私に差し出した。


 「仲のいい事は良いことですよ。そうそう。リナリア、それからこれが王城からとどきましたよ」


 雰囲気を変えようと手渡された手紙を受け取り、その場で中身を確認する。それは、王妃様が開くという茶会への参加を知らせるものだった。

 手紙を読み終わった私と顔を合わせたお母様が、最後にニコリと笑う。


 「いいですか。ロイス殿下はいけませんからね」


 私は笑みを向けられたお母様の言葉に神妙にうなずいた。


 ……お母様は一体何を知っているというのだろうか。


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