12
『そなたを捕らえるつもりは今のところないという事だ』
その言葉を聞いた時、私は心の緊張が緩みそうになった。
あぁ、これで一安心できる、そう思って息をはいた。
しかし、事態はそう簡単に収まるはずはない、と非凡なロイスはいつも前世で教えてくれていたのだった。――それは今世でも同じらしい。
私は現在、ロイスにの腕に自らの手を乗せエスコートされている。もちろん、当然ながら私の意思ではない。
これだけでも運の悪さを呪う事態だというのに、さらに最悪な事に、ロイスの腕に添えた私の手をロイスが反対の手で包み込むように押さえている。
それはもう、そっと添えられたようにみせて、がっちりと押さえこまれていた。
これで、微笑みながら話しなんてするものだから、それこそ王族のエスコートを受ける令嬢という見た目が完成してしまう。
傍目からみればウラヤマっ! となる事請け合いだが、私の中では、完全に監獄へ連行される気分とそう変わらない。
そもそも何故このような状況におちいったのかというと、少し前にさかのぼる。
捕らえるつもりがないというロイスの言葉に、その場で素直に喜ぼうとした。しかし次の瞬間、前世の経験が蘇った。
一瞬沈黙した後、念押しのようにロイスに「本当に捕まえませんよね?」と丁寧に確認をとった。
このあたりに前世の私に比べ成長がうかがえるが、その時はそれどころではなかった。とにかく、ロイスとの悪縁を断ち切ろうと必死だったのだ。
確認した言葉に無言のまま頷くロイス。しかし、未だ残る一抹の不安をかき消すように最後のダメ押しとして、同じ言葉を尋ねた。
「本当の、本当にわたくしを罰さないと?」
おずおずと確かめるように下から視線をロイスにむければ、ロイスは眉を一瞬寄せ、訝しそうに見ていた。
「そんなに何度も確かめるという事は、そなたは何かやましい事でもしようとしていたというのか?」
尋ねられた言葉に私は首を勢いよく左右に振った。ついでに両手も車のワイパーのように勢いよく振り回す。
「と、と、とんでもありません!!」
答えながら、髪が乱れるのも気にしないで首を左右に振り続ける。
その様がさぞ滑稽で面白かったのか、何かに耐えられなくなったとでもいうようにロイスは小さく、「ふっ」と笑い声をこぼした。
ロイスの笑った声が耳を通り抜けていく。首を振るのを止めてロイスの様子をうかがえば、ロイスは口元を手で押さえ顔を背けていた。
静かに様子を伺う私にロイスは視線だけ一度こちらに向ける。しかし、再び笑いの波が込み上げてきたのか、「くっ」という小さな声を出して私から視線を外していた。
どうせ目のまえで笑うなら、大笑いしてもらったほうがいっそすがすがしい。
笑われた事で不快に眉をよせつつ、視界に映るロイスの様子から本当に罪に問われる事は無さそうだという確信が得られる。
あらためて、安堵が私に押し寄せ、こわばっていた眉を下げた。そして、すぐさまロイスから離れようと行動に移した。
いつの間にか私より先に立ち上がったロイスに、心の広い対応をしてくれた感謝を伝えようと立ち上がる。
「ロイス殿下の広いお心に感謝もうしあげます。ありがとうございます」
深々と頭をさげ、心の中で「さんきゅー」「シェイシェイ」「カムサハムニダ」「メルシー」と思い出せる限りのありがとうを告げ、最後の極めつけに「グラシアス!」と最大限の感謝の気持ちを込め、深々と頭を下げた。
腰を折った姿勢のまま顔を上げロイスをみれば、ロイスはまだ口元に手を抑え、私から視線を外し空を見ていた。
「あぁ、問題ない」
私の感謝の気持ちとは別にロイスの素っ気ない返事が返ってくる。
あれだけの気持ちを込めたというのにロイスは未だに笑いの波と戦っているようだった。ちょっと、なんだか肩透かしだ。
とはいえ素っ気ない言葉も態度もゲームと同じくロイスにとっては通常運転なので、私はその言葉にさして気にする事もなく。
ロイスの言葉を聞くと私は、足早にその場を辞去へ向け行動を開始した。
挨拶をし、そのままロイスに背を向け前進しようとすれば、手首をガシリとつかまれた。
掴まれた手首を見るべく顔を後ろにゆっくりと振り向かせれば、私の手首にはロイスの手と思わしき白いグローブをまとった手が見えた。
ジッとその状況を確認した後、ゆっくりと私の手首をつかんでいる手を辿って顔をあげる。あげた視線の先には、優しさを滲ませたロイスが私の顔を見て目じりを下げたのだった。
なんですか、その笑顔は。私を捕まえないって言ったのは嘘ですか。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ロイスにおずおずと尋ねた。
「あの……これは?」
視線でロイスの手を示すと、微笑みを浮かべたロイスが私の手首から手のひらへと手を動かしていた。
驚き露わに只管繋がれた手とロイスを交互に見る。しかし、ロイスは私の行動など気にした様子もなく、改めて笑みを向け尋ねてきたのだった。
「どこに行く?」
「……どこといわれましても、このまま会場に戻ろうかと考えておりました」
繋がれた私の手が離される様子はなく、ゆっくりとロイスへ顔をむけながら、深く考えずに答えた。
「そうか。しかし、そなたは迷っているという話だったな?」
ロイスの慈愛に満ちた素晴らしいバリトンボイスが、幻のブロックとなって帰ってきた。
ゴンっ、とい幻聴とともにロイスのその言葉が幻のブロックとなって額にデコピンを食らわせてくれる。
「はぅっ」という小さなうめき声がもれ、ぶつかるはずのない言葉のブロックに打たれ、スコーンと顔が空を向いた。
な、何故、私はその事を忘れていたのか。
自分の言葉を後悔しつつ、物理的に何かに当たったわけではない額をさすりながら顔を戻した。
「えぇ、はい。そうでしたわね」
渋々といった声を滲ませ答えれば、ロイスは嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
ロイスのその微笑みに恐怖を覚え、一歩あとずさりする。しかし、私の片方の手のひらはロイスに繋がれ、一歩足を下げただけでそれ以上離れる事を許さないと理性と繋がれた手が語っていた。
ロイスは私の繋いだ手のひらをごく自然に腕に乗せると、私の隣に立った。
「では、会場までエスコートしよう」
ロイスのその言葉を聞いた次の瞬間、二ヘラとしまりのない笑みを浮かべた私が「いやいや、結構です」と、ゆっくりとロイスの腕から手を引き抜こうとする。
しかし、何故だかロイスは断っているというのに嬉しそうに顔を綻ばせた。
「結構だと? では、早速いこうではないか」
エスコートの姿勢をとっていたロイスは、反対の手で私の手が抜けないようそっと重ね、私の手を強い力で固定した。う、うごかない……。
まったく抜けそうになくなった自分の手を見て眉をよせる。
「結構というのは、そういう事ではないですわ」
往生際悪く手を引き抜こうと背面に全体重をかけて答えた。
「また迷われていらぬ危険に飛び込む虫になってはこまるだろう?」
ロイスは、私の力など意に返さないというようにただ微笑んでいるだけだった。
そのようなやりとりを何度か繰り返し、最終的にロイスに言い負かされた私はロイスにエスコートされ、現在に至るのだ。
顔を俯け「ぐぐぐっ」と小さな唸り声をあげつつ、ロイスの前腕に手を添える。
何故こんな事に。という悲しみをのせた疑問は、声になる事なく消えていく。
ロイスと一緒にいる時間を長くするだけ不幸に見舞われる私は、逃げだす事の出来ない状況に陥った事をただ只管悔やんでいた。しかし、悔やんでもどうしようも出来ない事もあると、気持ちを早々に切り替える。
こうなったのは大人の男に力で負けたのだと己を説き伏せ、なんとか、ロイスのエスコートを許している……されている状況になったのだった。
渋々という体を出したいものの、王族≒国家を前にそんな態度をとれるはずもなく、顔を俯かせた状態でとぼとぼと虚しさを背負い、俯きがちに歩いている私に、ロイスが気を利かせて話をふってくれた。
「そなたは、初めて城にまいったのか?」と尋ねられ、仕方なしにロイスの方を見上げ「えぇ」と短く答えた。
そんなやりとりから始まった会話は、その後もロイスの機転のおかげで会話が途切れる事もなく道中ずっと会話を繰り返す事になった。とはいえ、会話の内容のほとんどが、
「今日はいいお天気ですね」
「そうですか? 今日は曇りのようですが」
「おや、ほんとうですね。はははは」
というほどの差しさわりのない内容ばかりではあったが。
ただ、返答するにあたり、唯一の抵抗としてロイスの向こうにうつる壁に視線を固定しておく事は忘れなかった。
ロイスの横顔に見惚れていると思われるのだけは癪だったのだ。
壁紙の色が変わっていく様を見て、エスコートしてくれるロイスの道のチョイスに無駄が無い事に不思議と感心する。
現在、会場へ続く大理石の廊下をかつかつとロイスとともに会場へ向け歩いていく。
時間にしてたいしたほどではないと分かっているが、ようやく会場の扉の前にたどり着き、ロイスにお礼を伝えようとした。しかし、ロイスはエスコートをやめる姿勢を見せず、扉の前にいる騎士に手で断りの合図を出すと、そのままロイスの手を扉にかけていた。
私は扉をあけようとするロイスの手を私の手を重ねるた。
「こ、ここで十分ですわ!」
焦りつつ、勢いよく伝えれば、ロイスは、特に表情を変えないままロイスの手に乗っている私の手をじっくりと見ていた。その後、こちらを見て、「ここまで来たのだから、最後まで送ろう」と無表情が一変して笑みを向けてくる。
ロイスはどうやら、そのまま私を会場内――下手したらお父様のところまで連れていくつもりだったとでもいうのだろうか?
ロイスがそう言うと同時に扉を開けようとする力が入るのを感じた。
私はロイスに乗せている手を離し、素早く両手を扉に乗せた。体を扉とロイスの間にすべりこませ、ロイスに向け笑う。
その間に、ロイスが引いて開けようとするほうとは逆の方向に全体重をかけ、扉が開かないようにする。
「いいえ、そこまで、殿下にしていただくなんて、わたくしに、は、過ぎた出来事でございますわ。殿下のお優しさは、ここまで送っていただいた間に十分知ることが出来ましたもの。それだけで、わたくしにとって、十分ですの」
力を込めて必死に扉が開かないように努める。笑みを向けて答えれば、ロイスは何を思ったか、空いている方の手でもう片方の扉を抑え、あけようとする姿勢をさらに強めたのだった。
壁ドン! という言葉が私の脳内で流れていくと共に、私の努力むなしく扉がゆっくり開き始めていく。
私の心の叫びを知ってか知らずか、ロイスはゆっくり開く扉から私に視線を向けた。
余裕たっぷりの爽やかな笑みを浮かべ、さらに余裕を見せるように私の頬に触れるような素振りをする。
「気にするな。本日はデビュタントの祝いの席だ。これは、私からそなたへの祝いとう事にしてはくれないか?」
私は頬に触れそうになっているロイスの手を顔を動かす事で逃れた。
ロイスのその言葉は王族という立場を考えれば、かなり丁寧な扱いをされていると思える。
その笑顔もやさしさの塊にしか見えないはずなのに、何故だろう、イケメン耐性でもついたというのだろうか、ロイスの笑みが腹立たしく感じて仕方がない。
私はロイスの、本来であれば感激至極で、メロメロに陥らなければならない状況に心が怒りを超え凪いでいくのを感じていた。
「大変、うれしいお話ですが、遠慮いたしますわ。わたくしと殿下は本日であったばかり。殿下にご迷惑をおかけしたにも関わらず、わたくしにお優しくしていただいき、その上、ここまでお言葉を交わせただけで、わたくしには身に余りすぎる喜びになりますの。
ですから、これ以上殿下のお手を煩わせ、婚約者のいらっしゃらない殿下のいらぬ火種になってしまっては、殿下の将来の奥方様に申し訳ないですから」
ぐぐぐ、っと全体重を扉に乗せ、すでに5センチほど開いている扉がこれ以上開かないように力をこめる。
最後に淑女らしからぬ、「ふんっ!」という声とともに勢いつけて扉を閉めようとした。
これ以上開いたらば、中にいる騎士が気を利かして扉を開けかねない! という焦りもあり、一瞬狭まった隙間の隙を縫って私はロイスに「では、ここまで送っていただき感謝いたします」と早口で伝え、最後にさようならの一言を告げようとしたところだった。
これまた何の縁だというのか扉の前で攻防を繰り替えしている私とロイスに向かって声がかけられたのだった。
「――叔父上?」
昔よく聞いた――すこし低めのテノールボイスだ――その声がする方を見れば、私たちが来た方とは反対の廊下から、皮の靴をかつかつと軽快に鳴らしたリベリオが、片手をあげて陽気にこちらにやってきた。
リベリオが登場したその瞬間思わず私は、眉をよせ「げっ」と小さくつぶやく。
そんな私の不敬な態度にロイスは全く気付いた素振りも見せず、私と攻防を繰り返していた扉を開けるのを早々に止め、リベリオに体を向けた。
瞬間、扉がゆっくりと重みをのせて閉まっていく。た、助かった。
「なんだ、リベリオではないか。どうして、こんなところに?」
当たり障りのない質問をロイスがすると、リベリオは少しだけバツが悪そうに眉を寄せた。
「なんだ、とはなんですか。叔父上まで――先ほどの事で少し、父上と話をしていました」
「先ほどというと――あぁ、あの令嬢とのことか」
納得したようにロイスが答え、ふてくされた顔をしたリベリオが、がしがしと髪をかいた。
「えぇ、まぁ。どの令嬢を指していらっしゃるのかはわかりませんが、おそらく、その令嬢の事です」
「ははは、こんなやんちゃな息子を持つとは兄上も大変だな」
陽気に笑ってみせるロイスの笑みをみて、私は、おやぁ? と驚きに眉を上げた。
確かに、ロイスとリベリオは転生直後、仲が良くはあった。
しかし、時がたち、リベリオが年齢を重ねていくにつれ、王権を握りたいロイスと次期王であるリベリオという争いの構図が浮き彫りになっていっていくのだ。
その、いずれ王権を争う仲であるリベリオとロイスは、今現在、前世よりどうしてか非常に仲がよさそうにみえる。
先程から浮かべるロイスのどこか壁のある笑みも、リベリオの前だと兄が弟にむける内輪のそれのようにすら見えたのだ。
そんなロイスの様子を驚いてみている私にリベリオが視線をむけ、ところで、と前置きを入れた上でロイスに向かって尋ねた。
「叔父上、こちらの女性は?」
「あぁ、道端に隠れていたのでな。拾って今から届けるところだ」
陽気な声色でロイスが返答する。
その言葉に私が眉を寄せると、リベリオがロイスに向け小さな笑みをこぼした。
「叔父上、そのようにからかっては、女性に嫌がられますよ」
いつだったかと同じような返答をリベリオがし、すぐさま私の方をむいた。
「君、よかったね。叔父上はこうはいっているけど、小動物には驚くほどやさしいんだよ」
少しだけ潜めた声で私に教えてくれ、ついでとばかりにウィンクまでなげられる。
元夫のウィンクをうけ、私は複雑な気分を乗せ、引きつりそうになる頬を抑えるのに必死だった。
確かに私の背丈は多少、一般的な女性と比べ小さめではるけれど、小動物扱いした上で、ロイスのそんな情報いらないわ!
笑みを浮かべ、良かったねと言うリベリオに、これ以上表情を維持出来ないと判断した私はすぐさま顔をうつむかせた。
私が顔を俯かせるとロイスがからかいを滲ませた声でリベリオに向け口を開いた。
「リベリオ、まだ婚約者の無い者がそう簡単に愛想をふりまくと、また兄上と話し合う事になるぞ」
「叔父上、今はその話はしないでください」
ロイスのからかいに子供っぽい声でリベリオが不貞腐れたような声を出して答えた。
その間、顔を俯かせていた私はというと、それ、さっきロイスもアーノルドに似たような事言われていたじゃないの! と言葉に出来ぬ思いを抱いて、唇に不満を乗せていた。
そんな、どんな縁だかわからない三人が、会場前で立っている様を見れば目を引くのは当然で――。
「リベリオ様と――ロイス殿下?」
俯く私と非凡な男どもに向けた、驚きに似た声がかけられ、二人の非凡な男と私は、その声の方に視線を向けた。
声の主と思わしき人物をみれば、そこには金の豪奢な髪をきれいに整えた――幼い頃見たコルテーゼ公爵令嬢のメイリーンをそのまま大きく成長させたような――令嬢が、デビュタント用の白いドレスを身に着け不思議そうな顔をして、立っていらっしゃったのだった。




