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プロローグ


 高校に入って一年目の夏休みだった。


 ようやく完全攻略したゲームは私の好みをこれでもか! というほど盛り込んだ恋愛シュミレーションゲームに私は睡眠もおろそかにするほど熱中していた。


「よしっ! やっと攻略がおわったよー!!」


 エンディングを迎え、最後の攻略対象と結ばれた、その感動が胸を熱くして私は思わず独り言を呟いた。


 独り言、というには少しばかり大きな声だったように思うけれど、それ以上に感動を表したい気持ちで一杯だった。


 両手に持っていたコントローラーを手放し、目のまえの画面を見やる。

 エンディング画面からメインテーマの音楽が流れ、それと同時にクレジットタイトルが画面に現れていた。


 黒い背景に白い文字が下から上に流れ、見た事聞いた事もない人の名前、組織の名前がゆっくりと上っては画面から消えていく。


 その様子をなんとなく眺めつつ、先ほどまでまったく感じ無かった体に、いつぶりとなるかわからない疲労感を感じ始めた。


 「疲れた~~」


 もう少しでクリアーだからと、晩御飯を食べ終えてから同じ姿勢のままろくに態勢を変える事もなくゲームをしていた体はずっしりと重い。


 その重さがこの世界で生きている証なのだと理解する。

 しかし、その疲労感は同時に没頭していたあの夢のような世界から魂だけ弾き飛ばされたような寂しさを私に与えた。


 不都合の多いこの世界に再び舞い戻どってきた、そんな事を言われているような気がして、その事を忘れるように私は自らの体を床に投げた。


 ラグの上からゲーム画面を見つつ、自らが生きている世界に耳を傾ける。


 外はセミの鳴き声が聞こえ、自室の薄手のカーテンは遮ることのできない日の光が部屋を明るく照らしていた。


 目覚まし時計として使っているアナログ時計を見れば、10時56分を示していて、あと数時間で昼食時となる。


 空腹のせいか疲労のせいかわからない憂鬱な気持ちを払拭するように、私は今日のお昼は完全攻略の記念に渡されていた昼食代をフルに使って豪華にしようと決め、目のまえのエンドロールを再び眺めた。


 エンドロールは固有名詞の羅列とともに、ゲームのイベントシーンを壁紙に張られた写真のように並べられていた。


 そういえば、こんなシーンあったよね。と、その時の気持ちを再び思い出し、頬が緩んでいく。


 エンドロールにながれるイラストを眺めていると、緊張感が失われた私の体は空腹を知らせるように小さくクゥと音を鳴らした。


 「ふむ、しかしまだ昼食にするには時間が……」


 誰に伝えるでもない言葉を呟き、音を鳴らしたお腹を服の上からさすり、再びゲーム画面に視線を戻すとエンドロールが終わっていた事に気付く。


 ゲーム画面には、『もう一度プレイしますか?』の文字。


 画面下の方には、YES/NOという表示と選択を選ぶ指が表示されていた。


 私はゲーム機を再び手に持つと、そのままYESを選択する。


 ロードを示すバーがゆっくりと色を黒から赤へと進めていく様をみて、これが終わったらオプション画面でスチルとボイスのチェックをしよう。とこの後の事を考える。


 ロード画面が切り替わり、次に画面にあらわれたのは『今までのデータを引き継いだまま新たに物語を進める事ができます』という、これまた何回かめのニューゲーム画面が表示される。

 これもまた、YESの文字を選択する。ピッという音がして、再び文字が現れた。


 『今までのデータを引き継ぎ新たな物語を紡ぎだします』という初めてみる文字画面が出たあと、すぐさまロード画面に切り替わった。


 ※※※


 ――というのが、私が覚えている日本という国での最後の記憶だった。

 そして、気づいたら、私は何故か逆ハーレムまで達した『君のとなりにくる色』という乙女ゲームの中に異世界転生していたのだった。


 ……これが、今から10年ほど前の出来事である。


 転生当初、これがゲームの続きで、しかも逆ハーレムを形成したおいしい状態からの始まりであると早い段階から理解した私は、感動に打ち震えた。


 日本にいた時とは違いイケメンにちやほやされ美しく着飾る日々。

 それだけでもお姫様気分を十分に味わえるというのに、話す人は皆私という人間に対して無条件に好意だけ向け、好意だけ返してくれる。


 日本人でいた時はうまくいかなかった事もこの世界では問題にすらならない、そんな人生が新たに始まったのだと思っていた。


 事あるごとに向けられる美辞麗句に、これが噂に聞くご褒美タイムなのか! と喜んだのは一回、二回の話ではない。


 しかし、そんなご褒美としかいえない人生も、ただご褒美タイムだけが提供され楽しむだけの人生というわけではなかった。


 私の周りを囲むイケメンたちは皆優しく、どんな失敗をしても私を全てのものから守るように励まし、時にその困難を事前に回避してくれる事さえあった。


 生活も華美でお姫様気分をたっぷりと味わえる。


 それだけ聞けば十分だと思うかもしれないけれど転生した先は、ゲームのスタート前でも、途中でもなくゲーム後の人生で。

 でも、生きるという事は、日本に居た頃と同じく――それ以上に容易いものではなくって。


 ゲームへの転生、といえば楽しい事が多いと思っていた。


 好みを殆ど網羅したゲームだったから、そのゲームと同じ世界の人物になれたのは幸運以外の何物でもないと思っていたのに……。


 恋愛経験も社会人経験も皆無な私が、王太子妃として生きていかなくてはならないハードモードだったのだ。


 簡単に結果からいえば、私の主人公……王太子妃能力はほとんどゼロだった。


 転生してきた頃の繊細で細い指は、いつの間にか丸くなっていた。その指をにぎりしめ、無意識のうちにカーテンに覆われた窓に視線を向ける。


 窓を覆うカーテンの隙間からもれる日の光から、夜が明けようとしているようだった。


 私は無意識に詰めていた短く息をはいた。


 待つという行為は時間が長く感じるものだと思っていたが、考えに耽ればそうでもないのかもしれない。と一人考えながら、自室から王城へ向かう通路のある扉を見つめた。


 白地で出来ている扉は、金で淵をなぞり、左右対称となるような草花の模様が描かれている。


 私はその扉から知らせをもってやってくるであろう侍女をずっと待っていた。

 しかし、待てど暮らせど、報告をするはずの人物は未だに現れる気配がなく、気づけば夜通し起きている事になってしまった。


 自室の大きな扉を見て、再び短く息をはく。


 すると待ちわびていた扉をノックする音がして、それととともに使いに出していた侍女が戻ってきた。

 礼儀に乗っ取った動作をしようとする侍女に「兎に角、報告を」と急かすように、口を開くと侍女は私の前に頭を垂れ、口を開いた。


 「妃殿下。先ほど王太子殿下がタチアナ様のお部屋にはいられました」


 「――そう。それで?」


 侍女のすきのない纏められた青みがかった銀の髪を見つめ、はやる気持ちを押さえて尋ねる。


 侍女は姿勢を変えないまま言葉を紡いだ。


 「はい。その後部屋から出た侍医に尋ねましたところ……」


 言葉を詰まらせた侍女は顔を上げようとしなかった。


 おそらく、顔を見て言いにくい事なのだろうと悟る。


 侍女のその態度だけで、全て察した私は、わかったとばかりに瞼を閉じた。


 「――そう、男の子だったのね。では、用意していたものからお祝いと男児用の産着セットを一式送っておいてちょうだい。私は少し休む事にするわ」


 閉じた瞼の暗闇の中でその言葉を口にした。

 再び瞼を上げ笑みを作り、ゲームに転生した当初よりすっかり大きくなった体を動かし寝室に向かった。


 この十年、ご褒美から始まったチートタイムは時間とともにゲームではなく現実であることを私に知らしめた。

 同時に、たとえゲームと同じ世界でも、誰の目にも明らかに人の心は簡単に変わっていくのだという事も教えてくれたのだった。


 ――今夜は、側妃である第三王太子妃の出産が終わったという報告を聞くため、夜通し起きていたのだった。


 ついて来ようとする侍女たちを下がらせ寝室の重い扉を自ら閉めた。


 窓の無い光の入らない部屋の暗い天井を見上げ、いつのまにか止まっていた呼吸をするように重い息をはいた。


 ……こんなはずじゃなかった。


 ゲームでは逆ハーレムで終わっていた。


 私の中に存在する後悔や悲しさは、恋愛で出来たその甘い世界が終わりを迎え、現実に戻るという落胆と悲しさだけのはずだった。

 なにより全部指先だけでなんとかなっていた甘い世界のはずだったのに……。


 私はそのままゆっくりとベッドにむかって歩きだし、高級な天蓋付きのベッドに入った。


 ぎしりと音をたてたベッドを見て、眉を寄せる。


 この前変えたばかりのはずのスプリングが、もう弱くなっているのだと、寄せた眉の理由に別の理由をつけ、こらえた息を吐き出した。


 「どうしてこんな事に――」


 小さくつぶやけば、その言葉は薄闇の中に消えていく。


 ここに転生してきた当初はすべてが上手くいっていたのに。

 突然転生してしまった私に王子は優しかったのに。


 与えられた多くの勉強に加え、何もわからない元庶民の私が公務なんて行えるはずないと言えば「君がそう言うのならしばらく公務なんてしなくていいよ」と優しく頭を撫でてくれていたのに。


 気づけば私を綿あめのような幸せで包んでいてくれていた王子がこの部屋にやってくる事もなく、今の王子には私以外の妻がいる。

 全てのものから私を守ってくれていた王子は過去に消え、時間と共に母親に懐柔され、現在の王子は私という妻に見向きもしなくなっている。


 この世界は完璧だったはずなのに、知らず内に辛い日々が増えていた。


 それでもいつかは、この世界から元の世界に戻る。そう思えばなんとか耐えられていた。


 でも、そんな私を囲む状況が好転する事はなく、気づけば今日は側妃である第三王太子妃の子供が生まれた。

 その上、その生まれた子供がよりにもよって男の子らしい。


 その事実を自覚すると、自分の状況が今よりもより一層好ましくないものになっていくのだろうと頭の片隅で理解する。


 暗い部屋の中、天蓋から伸びるカーテンを引いて、布団の中に体を胸のあたりまで潜り込ませる。


 この世界で残りの人生があとどれほどなのか、どれほどこの世界で生きて、辛い日々を耐えなくてはいけないのか、それすらも分からない。

 けれど、今確実に分かっている事は、側妃に男の子が生まれ、私の立場が今まで以上に危うくなっているという事。

 そして、私が王太子妃という立場を守る為に、唯一の強味である聖女であるという事を生かしていかなくてはいけない、という事。


 ただ、その聖女の仕事も最近はほとんど出来ていないけれど――。


 「私は私……ゲームの主人公なんかじゃないわ」


 気づいたら始まっていた就寝前の寝前のお祈りのような言葉を吐き出し、目を閉じた。


 目から流れた涙でぬれた頬を手で乱暴に拭い、たれながれた鼻水をすすり上げる。


 ずずずずとはしたない音がしても気にしない。

 だって、私はまだ聖女だし、この国の正妃としてやっていかなくちゃいけないのだから。

 いつでも気丈でいなくては。

 それが正妃として、聖女として求められる事だから。


 ……それでも今ばかりは、時間の経過とともに崩れていく関係や居づらさにすべてを投げ出したくなっていた。


 不安を取り除けるような理由を探そうにも、希望は見つからず、明日から先の未来を想像して、暗闇の中一人で戦わねばならない未来の孤独に恐怖せざる得なかった。


 「どうせゲームの世界ならコンティニューさせてよ……」


 掛け布団を頭まですっぽりとかぶった私の嘆きはいつもこの広い寝室の空に消えていく。


 事態が悪い方に動くたびに何度も元の世界に帰りたいと願ったが、そんなことが叶わないのはこの10年でいやというほど理解していた。

 それならば、せめて初めからやり直したい。


 「そうしたら、もうこの世界がゲームとは違うって、きっと今よりちゃんとするのに……」


 この時、私はこの10年でちっとも成長できなかった自分の愚かさを初めて嘆いた。


 遠のく意識の中、10年前最後に聞いたコンティニューの音が耳の奥に響いた気がした。


改稿

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