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時代劇ショートショート【猫の恩返し】

作者: 音野内記

 棒手振りの魚屋の半吉は、河岸で魚を仕入れていた。

「よう、半吉」

 半吉は振り返る。同業者の木助だった。

「何でえ、木助か」

「『何でえ』とはご挨拶だな。まあ、そんなことより、回向院に猫の墓が建ったのを知ってるか?」

「猫の墓? 知らねえな。猫の墓なんぞ建てるなんざ、物好きがいるもんだ」

「その様子じゃ、猫の恩返しの話も知らないな」

「猫の恩返し? 面白そうじゃねえか。話してみろ」

 木助は得意顔で話し始める。

「深川に、利兵衛という棒手振りの魚屋がいるんだが、この男、大の猫好きと来ている」

「同業か。その猫好きがどうした?」

「利兵衛は近所の大店を得意先にしていて、毎日出入りしていた。その大店には猫が飼われていて、利兵衛は魚を売りに行くたびに小魚を食わしていたそうだ。だから、利兵衛が来ると、猫は飛んで来て『ニャーニャー』と鳴いてまとわりついていたらしい」

「毎日餌をもらってたんじゃ、猫がなつくのも当然だぜ」

「ところが急に、利兵衛は大店に顔を見せなくなった。病になって、商いに出らくなっていたんだ。俺らと同じ貧乏暮らし、たちまち食うにも困った。その様子は長屋の連中から広まり、近所ということもあって利兵衛の得意先の大店にも伝わったそうだ」

「それで利兵衛って野郎は死んじまったんだな」

「勝手に殺すな。ここからが肝心なところだ。ある晩、利兵衛が長屋でふせっていると、腰高障子の外で猫が鳴いていた。利兵衛が土間に降りて腰高障子を開けると、大店の飼い猫が飛び込んできた。猫はくわえていた小判をそっと置き、ひと鳴きして出て行ったそうだ。利兵衛は『不思議なこともあるもんだ』と思ったが、その金をありがたくもらったってことだ」

「猫に小判って訳かい」

「それじゃ意味が逆になるだろう。獣が恩に報いたということは、昔話の『鶴の恩返し』と似てるだろう。だから、このことは世間で『猫の恩返し』と言われている」

 納得するように聞いていた半吉だったが、ふと思い出した。

「そういやぁ、猫の墓の話はどうなった?」

「そう、それよ。これには、続きがあるんだ。大店では一両が無くなったんで大騒ぎになった。奉公人を調べても、誰が盗んだかわからない。皆が疑心暗鬼になっていた翌日、猫が帳場に入って来た。飼い猫なので誰も気にしなかった。ところが、猫が小判をくわえて出て行こうとするのを、一人の奉公人が気付いた。『昨日、小判を盗んだのはお前だな!』と叫んで逃げる猫を追いかける。他の奉公人も後に続き、皆で猫を袋叩きにして殺してしまった」

「奉公人は盗人の疑いを掛けられて、気が立っていたんだろうな。でもよ、可哀そうじゃねえか」

 半吉の目には、涙が浮かんでいた。

 木助は話を続ける。

「利兵衛は猫からもらった金を使って病を治し、残った金で商いを再開した。以前のように大店に行くと、猫の姿が見えない。訊くと、泥棒猫だから殺したという。利兵衛は経緯を詳しく聞かされ、猫が持ってきた小判は盗んだものと悟った。利兵衛は自分のために殺されたのを申し訳なく思い、主人の時田喜三郎に今まであったことを語って詫びた。主人は受けた恩を返すための盗みだとわかり、感心するとともに殺してしまったことを悔やんだ。それで回向院に墓を建てたって訳だ」

「そういうことか。いい話じゃねえか。教えてくれてありがとよ」

 半吉は木助に別れを告げ、天秤棒を担いでいつものように、商いに向かった。


 半吉は売り声を上げながら魚を売り歩く。しかし、どことなく身が入っていない。猫の恩返しの話を話したくてウズウズしていたのだ。誰に話そうかと考えていると、目の前に三毛猫が現れた。いつもなら素通りするところだが、猫の話を聞いたばかりなので、桶から小魚を取り出して投げてやる。

 三毛猫は、前足を立て後ろ足をたたみ、尻を地面につけて座った。犬のお座りと同じ格好だ。三毛猫は小魚を前にして「ニャー」とひと鳴きし、頭を深々と下げる。

「お(めえ)、お辞儀ができるのか。(えれ)えじゃねえか。遠慮しないで食べな」

 三毛猫はもう一度頭を下げてから、小魚を食べ始めた。

「言葉もわかるのか。たいしたもんだ。お前、深川の大店の猫が恩返ししたって話を知ってるか? その猫は、餌をくれていた魚屋が困っているのを知って、小判を運んだそうだ。お前も餌をもらった恩を忘れるなよ」

 半吉は三毛猫に言い聞かせ、頭を撫でた。

 三毛猫は返事をするかのように「ニャー」と鳴き、お辞儀をして去って行く。

「あの猫、本当に人の言葉がわかるのかもしれねえな」

 半吉は三毛猫の後ろ姿を見送った。


 翌日、半吉が天秤棒を担いで魚を売り歩いていると、また三毛猫が現れた。

「お前、昨日の猫じゃねえか」

 三毛猫は甘えるように半吉の足に体を擦り付ける。

「猫好きって訳じゃねえが、こうなつかれると、可愛いもんだねえ」

 半吉は晩飯にしようと思っていたサンマを桶から取り出して三毛猫の前に置いた。

 三毛猫はまた犬のお座りの格好をしてお辞儀をする。

 その姿を見ていた半吉は、この三毛猫が大店の猫と重なった。

「お前、恩ってものをわかっているか?」

 三毛猫は半吉の目を見て「ニャー」と返事をした。

「そうか、わかってるのか。晩飯になる筈だったサンマをやるんだからよ、忘れるんじゃねえぞ」

「ニャー」

 三毛猫はひと鳴きしてサンマをくわえ、お辞儀をして去って行った。

 その後、三毛猫は毎日のように半吉の前に現れた。その都度、半吉は「恩を忘れるんじゃねえぞ。恩返しするんだぞ」と言って、売り物の魚を与えた。三毛猫は決まってお辞儀をし、魚をくわえて去って行った。

 ある日、半吉は三毛猫にハマグリをやった。三毛猫は口を大きく開け、何とかハマグリをくわえて帰って行く。その姿を見た半吉はふと思った。

(あの猫はハマグリの殻をどうやって開けるんだ?)

 その疑問を解くため、半吉は三毛猫の跡をつける。三毛猫は細い路地を抜け、ある裏長屋の木戸をくぐった。 

 半吉が木戸からこっそり覗くと、老婆が三毛猫からハマグリを受け取っていた。

「今日はハマグリかい、ありがとうよ」

 老婆は感謝を述べながら、三毛猫の頭を撫でている。

(どういうことでえ? 婆さんに殻を開けてもらうのか?)

 半吉は事態を呑み込めず、老婆の様子を見守る。

「腰を痛めてから思うように働けず、餌をあげられなくなって、ごめんね。なのに、お前さんはいつも魚を持ってきて助けてくれる。育ててもらった恩を返してくれているんだね。元気になったら、また餌をあげるからね」

 三毛猫は半吉からもらった魚を老婆に届けていたらしい。半吉は、三毛猫に恩を売り、あわよくば小判を持って来てくれることを期待していた。恩を売ったつもりだったのに、恩返しの手伝いをさせられていたのだ。

「俺はあの猫の恩返しのために使われていたって訳かい。あの猫の方が一枚上だったということか」

 半吉は木戸の陰でそっとつぶやき、ガックリと肩を落として裏長屋を後にした。


<終わり>

 回向院に猫塚が建てられたのは、江戸時代後期の文化十三年のことである。

 その猫塚には、墨田区による以下の通りの由緒書がある。

【猫を大変可愛がっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。

ある日、猫は姿を消してもどってきません。ある商家で二両をくわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩義に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。

江戸時代のいくつかの本に紹介されている話ですが、本によって人名や地名の設定が違っています。江戸っ子の間に広まった昔話ですが、実在した猫の墓として貴重な文化財の一つに挙げられます。】

 上記にあるように、「猫の恩返し」の話は資料によって、内容が異なっている。


 ちなみに、落語にもこの猫塚の由来を基にして作られた演目がある。「猫の恩返し」という噺である。

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