1世紀
その後、阿久津は何も喋らなくなった。お互い沈黙のまま、ラーメンを啜る。コテコテのはずのラーメンはびっくりするくらい味がしなかった。いつもと様子が違うことにおじさんもおばさんも2人の見たことの無い様子に、困惑しているのがどうも視界に入ってきて、何だか申し訳ない気持ちになった。
ほぼ麺がなくなった頃に開き直ったのか阿久津が口を開いた。
「で、お前もなんだろ?」
「…うん。でもそんな事、いつわかったの。」
「この前、学校来なかっただろ講義。その後から何となく嫌な予感がしてたんだ。」
「なんで?次の日、別に変わりなかったじゃん。」
「だって、そりゃ…俺にもあるからさ、それ。」
そう言ってラーメンの器の横にそっと自分の腕を置く。阿久津の腕にはしっかりと3つ綺麗に並んだほくろの様なものがあった。
「学校来る前になんかあったんじゃないの、あの日。」
「何を根拠にそんなこと言うんだよ。」
「俺もそうだったから。」
「そうだったって、どんな。」
「…目の前で人が死ぬのを見たんだろ。」
阿久津が時々、何もかもを見据えてるような不思議な表情を見せたのはこういう事だったんだ。何もかも知ってた。ずっと前から孤独に、悩んでたんだ。
「まさかほんとに…。阿久津がそうだったなんて。」
「俺だって、まさかとは思ったよ。何回も嘘であればいいのにって思った。」
阿久津の顔が今まで見たことないほど悲しげで、なんとも言えない感情に押し潰される。
「疑って、ごめん。」
「いいよ別に。そんな簡単に信じられることじゃないし。」
「いや、でもごめん。」
「なんで。水篠が謝るんだよ。」
「阿久津のこと、親友だと思ってたのに、何も知らなかったから。」
すると阿久津はふっと優しい笑顔を見せた。
「お前のそういう所に俺はたくさん助けられてきたよ。」
「何言ってんだよ。何も出来てないじゃん。」
下瞼に涙が溜まっていくのがわかる。この感情にどう反応すればいいか、わからない。
そっと前を見ると阿久津も同じ顔をして俯いていた。
「俺はそれで十分だよ。俺のことを思ってくれるだけで嬉しいよ。…初めてなんだ、ずっと生きてきた中でこの事を誰かに伝えたのは。水篠だから言えたんだよ。」
いつか阿久津の裏の顔を剥いでやる、なんて軽く考えてたことに深く反省した。同じくらい、いやずっとずっと前からこの生活に耐えてきたんだ。今まできっといろんな経験をしてきたんだ。阿久津にとってはちっぽけなことかもしれないのに、それでもこんな自分に感謝してくれた。急に2人が和んだ空気になったからか、おばさんはいつものようにラーメンの感想を聞きに来た。阿久津は涙をさっと拭いてすぐに笑顔で、久々に食べても美味しかったですよ、と言った。
店を出た後から、阿久津は緊張が解けたような温もりのある表情を見せるようになった。こんな飾らない優しい顔する奴だったんだ、こいつ。
「今度、うちに泊まりに来ないか。」
「なんかあるの。」
「不死病のことずっと調べててさ、今までの資料全部あるんだ。」
「そっか。見に行こうかな。」
「おう。空いてる時間いつでもいいから来いよ。」
「…あのさ、1つだけ、気になってることがあるんだけど。」
「何。」
「阿久津はその…どんくらいこの世界にいるの。」
「そうだなぁ。1世紀と、14?15?まあ、大体そんくらいかな。」
その年数に驚きすぎて、阿久津の顔を凝視してしまった。しばらくの間お互い顔を見合わせる。その後、彼は腹を抱えて笑いだした。
「こんなにすっきりするならもっと早く言うべきだったよ、お前に。」
結局、明日の日中は、例のブログの投稿主さんに会う約束しているのを阿久津に伝えた。阿久津は家で不死病とそれに関連する資料整理して待っているよ、と上機嫌でアパートに帰っていった。駐輪場に置かせて貰っていた自転車を押しながら、これまでの阿久津の出来事やら様子やらを思していた。あんなに人間関係にスキがなかったのは、百年も生きてきたからなのかもしれない。もし、この話にならなければ、これからも阿久津は今まで通り、不死病の事を隠して生きていくつもりだっただろう。阿久津に出会えて、本当によかったと心底思う。
家に着くと普段停めている場所に自転車を置く。ポケットから家の鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。暖房を付けたまま出掛けてしまっていたようで、部屋は暖かかった。リビングの小さいデスクに、今日持っていったリュックに入れていた、図書館で借りた伏井先生の本を出す。明日、ブログの投稿主さんに会う時に何か役に立つ情報があるかもしれない、と一通り読むことにした。食器棚に置いてあるカップを出して、ココアを注ぐ。カップをレンジの皿に置き、静かに閉める。1分半、温まるのを待ってる間リビングの小さいソファに座り明日のことを考えた。