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不死病  作者: 葉訓
4/7

覚悟

 退院してから1週間たった。先生に不死病、と告げられてからもいつも通り変わらず日々を送っている。少し変わったことといえば、寝る前に不死病のことを考えることが習慣になったことくらいだ。考えたところで治るわけではないけど、やっぱり考える。意味がないことをするのは別に嫌いじゃない。


今日も、一人暮らしの狭い部屋の布団に寝転がって考えている。不死病になったからと言って困ることは特にない。強いていえば、死ねないことだ。確かに老いてよぼよぼになって、身の回りのことも何もかもできなくなる前に死にたい、と思う。日本の平均寿命は世界から見ても圧倒的に高い。だからと言って長生きしたいとはあまり思わない。それなのに長生きをせざるを得ない状態になっているのだ。この社会に縛られながらほかの人よりも何倍も仕事して何倍も生きる。そう考えてみると辛いことのような気がしてくる。


でも、その分ほかの人がやりたくてもやれなかったことに挑戦することはいくらでもできる。死なない、という事実がある程度あるわけだから明るくプラスに考えられることもあるかもしれない。だからと言って事故にあったら死ぬかもしれないし、死なないという確証があるわけではないから、結局は自分次第だなという考えに至る。結局いつもこの考えに戻ってくる。


先生は神様からの授かりもの、なんて言っていたがそんなものでもない気がする。もし神様がいるなら、余計なものをよこしたな、と思う。


毎日そんなことを考えて夜を明かしていた。

そして気が付くとあっという間に大学は冬期休暇に入った。年末も特にやることもないし、実家に帰ろうと考えていた。多分、そこらの大学生よりつまらない学生生活を送っているんだろう。

なんとなく自分でもそんな気がする。


 冬期休暇初日は昼過ぎに目が覚めた。前日、学校がないことをいいことにひたすら買ったばかりのゲームをやっていたせいだ。全部クリアする前に寝落ちしてしまったらしい。キッチンの横隅に置いてある小さな冷蔵庫を漁ってはみたが、買い物に行くのを渋っていたせいで、あるのは納豆ひとパックとたまご2個くらいだった。おかげで2時過ぎに朝ご飯のようなものを食べる羽目になった。もう少しマシなものを買っておけば良かった。


スマホのニュースを見ながら納豆卵かけご飯を無心で食べていたら、ふとあるニュースの記事をみつけた。それはつい昨日起きた電車の人身事故のものだった。


不死病にかかり、死なない人がひっそりと生きている一方で自ら命を絶っている人間もいる。その人の人生で何が起きたのかは知らない。あの電車の人は無事に生きていたのかあるいは、亡くなってしまったのかすらも知らない。


死ぬことは唯一の「逃げの手段」という考えはあながち間違ってはないのかもしれない。誰にでも、弱みや闇は存在している。その人にしか理解できない悩みなのかもしれない。命を粗末にするな、なんて言われたところでその悩みが解決するわけではない。確かにそうかもしれない。でも、それでも生きたいと願っている人が存在している限り、自分で命を捨ててしまうのは、それは弱さだと考えてしまう。何も出来ない人であったとしてもやはり生きているのだ。みんなそうだ。自ら生まれてこようと望んでこの世に生まれてきたのではない。でもだからこそ、生まれてきたこと自体に価値があると思うのだ。どんなに冴えない人生でも何かしら物事が起きるかもしれない。その可能性を捨ててしまうのはとてつもなく勿体ないと思う。もしかしたらその悩みは人生の中でちっぽけな悩みかもしれない。希望を持って生きていればいい方向に行くかもしれないんだから。


そんなことを考えたら、1つあることを思い出した。電車で最期を迎えたあの人のことを。あの人は自らの死期をなんとなく感じていたような、そんな雰囲気を醸し出していた。あの人のことを調べたら何かわかることがあるかもしれない。


こんな何も能のない学生にでもできることは少ないかもしれないが、それでも不死病について知りたい。この病気を知った自分だからこその"気付き"があるかもしれない。


短い冬期休暇だからこそか、毎年のように初日はダラダラ過ごして終わっていた。適当にネットサーフィンやら動画サイトを見て気が付いたら日が暮れている、なんてことは休暇中だけでなく、もはや日常茶飯事である。でも初めて、心を動かされるようなそんな気がする。とにかくこの病気について調べるには他の患者さんの事を知る必要がある。電車でのあの人と連絡が取れる人がいないだろうか。新しく買い換えたばかりのスマートフォンで検索アプリを開く。


「不死病」


珍しく世間では知られていない病気だから情報は少ないだろう、と考えていたが検索してみると思っているよりも、いろいろなことが記されていた。不死病は、1度かかったら治らない。全てが同じ症状とは限らず、不老になるものもいれば、老いが始まり衰えても死なない等の様々な状況が考えられる。どれもお医者さんが教えてくれた情報であった。どこかの医療系の大学の教授やら、製薬会社の研究者が残している論文や研究結果などもあるにはあったが結局のところ誰も病気を治せた人はいないということだけはわかった。だが、いくつか有力な情報も見つけることが出来た。不死病はウイルスや細菌の仕業ではなく、"何か"の影響により飛躍的に人間の免疫力が上がることで死なない身体になると、仮定されているらしい。だが何の影響なのかも、その事が本当に正しい情報なのかも確かめる術はない。もしかしたら、普段の生活の中に当たり前にウイルスが存在してるとも限らないのだ。やはり自分で確かめる必要がある。


情報収集を続けていると、「不死病日記」というサイトを見つけた。そのサイトを開いてみるとある不死病患者の関係者がひっそりと続けているブログだった。最新の日記にはこう記されている。


「きっと彼にとって、これは予想外のことだったと思います。でもどんな人生を送ろうとも俺は幸せだよ、といつも言っていました。何かきっと何らかのきっかけがあったはず。あの場所でまさか最期を迎えるなんて思ってなかったはず。私はいつも彼の隣にいなければならない時に、そばにいなかった。ずっと私が死ぬまで彼は生きるものだと思っていた。その先もずっと彼の人生は続いていくんだと。でもそんなことはなかったんです。そして彼がいなくなった今だからこそ思うことは、彼が追い求めていた、"不死病をなくすこと"を引き継いでいかなければならないということです。医学の知識があるわけでも、情報源があるわけでもないです。それでもこれからも不死病と向き合っていきます。」


 そんな文の下にある駅の写真が映っていた。これはあの駅。電車で最期を迎えたあの人と出会った、あの駅の写真だ。もしかすると、この人は何か知っているのかもしれない。

日記の最後の方にはこのブログを読んだ方へ、というメッセージと残されていた。


「この写真について心当たりのある関係者の方、ご連絡をお待ちしております。」


そのメッセージの下にはメールアドレスが表示されていた。そのアドレスをタップすると、投稿主さんにメールが送れるようになっている。不死病のことについて知れるチャンスかもしれない。もし、あの人とこのブログの投稿主さんが関係しているなら彼の最期の言葉を伝えられるかもしれない。あの日が鮮明に思い出される。


「こんにちは。ブログを読んだものです。写真について気になることがあったのでメールを送りました。ご連絡お待ちしてます。」


 伝えたいこと、知りたいことはたくさんあるのに、何も書けなかった。そう、メールを送るとちょうど1時間後に投稿主さんから返信がきていることに気付いた。


「ご連絡ありがとうございます。ブログを読んでいただけてとても嬉しいです。お時間空いている時がありましたら、こちらの電話番号におかけ下さい。」


 その電話番号にすぐにかけた。しかし、投稿主さんは電話には出なかった。冬期休暇初日、折り返しの電話がくることは無かった。

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