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「何、朝から百合ってんだよ、お前らは」
彼女たちの後方から呆れ混じりの声が届く。
「あ~椋くんだ~」
「……とりあえずおはよう、片桐くん」
「なんだよ、とりあえずって」
スポーツバックを背負った少年が不服そうな顔をする。
「いえ、何か不適切な単語が聞こえたものですから」
「見たまんまを言ったつもりなんだがな」
覇気というかやる気というものが顔や全身からまったく感じられないが美形の範疇に入る。身長も180センチを軽くオーバーしており、体型もスレンダー。茶髪の長い髪を後ろで結んでいるのはひかりの趣味ではなかったが彼、片桐椋にはよく似合っていると女生徒の間では上々の支持を得ている。
(黙っていれば美形ってのはよく聞くけど、やる気を出したら美形ってのもめずらしいタイプよね)
ひかりは椋のことをそう評している。
「朱ちゃん、あんなこと言ってるよ」
「椋くんのエッチ~」
「……朝から失礼だな」
「お互い様でしょ」
憮然とした顔の椋に冷ややかの目で返す。
「ね~」
朱乃は妙に楽しそうな顔でひかりに続く。
「はいはい。俺が悪うございました」
面倒くさそうに降参のポーズをとる。
「よろしい」
ひかりは満足げに胸を張る。
「改めておはよう、片桐くん。今日はちょっと早いのね?」
「そっか? いつもこんなもんだろ」
ひかりの挨拶に片手をあげ応じる。それに対抗するかのように元気のよいジェスチャーをもって挨拶とする朱乃。
「あたしたちがちょっといつもより遅いんだよ。ほら、これのせいで」
「あ、そうか」
朱乃の指さす先の絆創膏を見て理解する。
「じゃぁとりあえず進みましょうよ」
「だな」
「うん!」
三人は連れだって歩を進める。
姿勢正しくスタスタと歩くひかりと、元気よくピョンピョンと跳びはねるように歩く朱乃と、面倒くさそうにダラダラと歩く椋ではバラバラになりそうなものだが、互いが気をつかっているので意外と並んで進んでいる。
「で、さっきは何でいちゃついてたんだ?」
「え? ……ああ、あれね」
椋の問いにふと考え、何か思いついてから微笑む。
「朱ちゃんの彼氏について問いつめてたのよ」
「何! できたのか! どこのロリコンだ!」
「ひかりちゃん! ……ってそれより椋くん、さりげにひどいこと言った!」
頬を膨らませる朱乃。
「そうよ。片桐くん、ちょっと言いすぎよ。朱ちゃんに謝りなさい」
「ちょい待て! 俺が悪いのかよ!」
目をむく椋に至極冷静に答える。
「当然でしょう」
「だよね~」
「…………」
声を揃えて言う二人に椋は少し考えてあっさり降参する。
この二人を同時に敵に回すのは分が悪すぎることを今までの経験から重々承知していた。また朝から暑い中、必要以上に精神・体力を消耗させたくもない。
「はいはい、俺が悪かったよ」
「どう? 朱ちゃん? 心がこもってないようだけど」
「……まぁ許したげる」
朱乃の言葉にひかりは椋を見上げるように覗き、
「だそうよ」
「そりゃあ、どうもありがとよ」
「よろしい」
笑い出す少女たちを見てからかわれた椋は怒る、呆れるといった感情は湧かない。むしろ嬉しいとかホッとすると表現すべき感情が心を占める。
「で、男ができたって?」
「だから違うってば!」
ムキになって否定する朱乃を見てそろそろ頃合いと判断する。
「朱ちゃんと夏休み遊ぶ予定を立てたかったんだけどね、忙しいって断られたのでちょっと意地悪してただけよ」
「うわ、ひかりちゃんってば、サラっとひどいことぶっちゃけた」
「え~、そうかなぁ?」
「そうだよ~」
「そんなこと無いよね、片桐くん?」
ひかりは応援を求める。だが椋は少し思案顔をしている。
「……片桐くん?」
「――! あ、うん。そうだな」
ひかりの怪訝な声に我に返り慌てて取り繕う。その反応が少し妙だとは思ったが気にとめないことにした。
「夏に忙しいっていうからてっきり彼氏と……かなぁって思っただけで」
「ああ、なるほどな」
おおよその話の流れがわかり納得する。
「まぁ仕方ないよな。今年の夏は忙しいよな」
「だよねぇ」
「…………?」
なぜだか急にしたり顔で納得する椋と朱乃に一瞬困惑する。が自分の中で結論を出しニコッと――むしろニヤッと――笑う。
「ああ、もしかしてそういうこと?」
「へ?」
ハモる二人を尻目にひかりは続ける。
「ゴメンね、気がつかなくて……」
顔を赤らめ、恥ずかしそうにモゾモゾとし、
「二人がそんな関係だったなんて」
「おい!」
「ちょっと待ってよ!」
椋と朱乃の否定の言葉をまるで無視。数歩進んでスカートを翻しニコリと笑う。
「じゃぁ私、馬に蹴られる前に先、行くね」
そう言い残し、進もうとするひかりに二人は慌てる。
「オイ、コラ、北条! 一人で勝手に納得するなよ!」
「お願いだから話を聞いてよ、ひかりちゃん!」
すがるような声に見えないように口の端をあげた後、振り返る。
「……わかってるわ」
ひかりの言葉に安堵の表情を浮かべる。だがその表情は続く言葉によって凍りつく。
「心配しないで、……みんなには内緒にしておくから」
「――――!!」
「じゃ、お幸せに」
芝居がかった動作で走り出す。
「お幸せに、じゃないだろ!」
その言葉に本気を感じたひかりはすぐに立ち止まり、つまらなそうな表情をする。
「なによ、こういうときはとりあえずノってよ、私だってわかってるんだから」
不満げな表情のひかりの言葉に朱乃はホッとした表情。
「だ、だよね」
「そうよ、決まってるでしょ? 朱ちゃん私を信じてなかったの?」
「う、ううん! し、信じてたよ」
明らかに図星だったのだろう。否定の動作すらぎこちない。
「なら、今からでも遅くないわ。二人で仲良く学校に行ってね」
「え? えぇ~」
「そんなことしたら、お前学校であること無いこと捏造するんだろ?」
うさんくさそうな顔で言う椋。目は明らかに決めつけている。
ひかりはほんの少し考えて、
「……まぁそれは、古今東西、万国共通のお約束でしょう?」
「いや、嘘でも一応否定くらいしろよ」
頬に指を置き、首を傾げる。
「……どうして?」
「――! おい!」
一分の隙もない真顔に椋と朱乃は呆れ顔で顔を見合わせる。
「……如月、どうよ?」
「最近気がついたんだけど、ひかりちゃんって結構そういうところあるよ」
「あら、心外ね」
朱乃の言葉を笑顔で軽く受け流す。髪をかき上げる優雅な振る舞いに自信すらうかがえる。その姿になんとなく嫉妬を覚えた朱乃は頬を膨らます。
「む~、次の『学ラン』には絶対、腹黒部門に投票してやる~」
「それはいいな。協力するぞ」
「頑張ろうね!」
「ああ、『美少女』部門十二期連続トップの正体を世に知らしめることができるのは俺たちだけだからな」
と妙なテンションで盛り上がる二人を見ながらひかりは今の会話を理解しようとする。
「……ねぇ、ちょっといい?」
だがすぐにあきらめる。聞き慣れない単語がことの発端なのでいくら考えても無駄だと思い、素直に尋ねることにした。
「うん?」
「『学ラン』って何?」
「――! 何って……」
「冗談だろ?」
朱乃と椋は目を丸くして驚く。二人にとってはありえない質問を聞いたからだ。
だが当のひかりは何故そこまで驚かれているのか理解できない。
「黒い学生服ってことじゃないよね?」
彼女の通った中学・高校と男子の制服はブレザーで、街で他校生が着ているのを遠目で見るくらいだが学ランと呼ばれているものがあることは知っている。だが話の展開からそれではないことは明白だ。
「おいおい、マジかよ」
ひかりの表情に冗談でなく本当に知らないことを察する。
「……でもひかりちゃんならありえるかも」
手で口を押さえながら考えていた朱乃がボソリと口に出す。
「なんでだ? トップの常連だぞ?」
「だからよ。かえってそういう人にはみんな言いにくいものじゃないのかな? それにひかりちゃん、『高嶺の花』部門でもトップよ。自分からわざわざ近寄って『学ラン』のことを話題にしないでしょう?」
「……なるほど」
椋はウンウンと頷き、
「学ランを名誉と思わない人間もいるからな。学園一のヒロインに不評を買うかもしれない話題を振るヤツもいなかったってことか?」
「という説が妥当かな?」
「でもクラスでその時期は話題になるだろ? 最新号が発売されたときだって結構盛り上がってたし」
「ひかりちゃんってさ、みんなが盛り上がっている場に自分から加わるタイプじゃないでしょう?」
「そういやぁー、この前は十二連覇の偉業を達成してたとき席で文庫本読んでたっけ? なんか『学ラン』のそのランキング見て実物探した記憶があるな」
「そうそう。あたしは会話に加わってこないからひかりちゃんは『学ラン』キライな人かと思ってたよ」
ちなみに三人は同じクラス。学園生活では否応にも目に入る。
「……で、そろそろ教えてくださると助かるのですが」
いつまでも蔑ろにされることに業を煮やす。
「え、……う、うん」
にっこりとした笑顔で丁寧な口調。いつも通りに感じるがその背後に目に見えぬオーラを感じ怯む。
「えっとね、『学ラン』ってのは学生ランキングなの。美少女とかイケメンとか将来有望とかみたいなの」
「ランキング?」
「ああ、この地区のすべての中学・高校の新聞部が共同で制作している新聞……と言うよりはタウン誌みたいなやつかな」
椋は頭をかく。今の時期に一から教えることになるとは思いもしなかった。
「年四回の季刊紙なんだが、さっき如月が言った他にもイロイロな種類のランキングが載ってるんだ。地区の学生にアンケート形式で書かれたプリントを配って回収できたものを集計してるんだけど……ウチの学校もそうだけどどこも大々的にやってるぞ? 本当に知らないのか?」
中学になってすぐ新聞部が説明に来たことを思い出す。どの学校も同じだと思っていたがひかりは全く知らない様子。
「北条の中学でもしてたはずだろ?」
「そんなこと言われても……」
言われてみれば年に数回クラスが沸いて、自分がいつも以上に注目された時期があった気がする。まさかその裏にそのような存在があるなんて思いもしなかった。
「新聞部はあったけど新聞なんか見たこと無かったんで活動してないと思ってた」
「あたしの中学も『学ラン』しか活動してなかったよ」
ひかりの言葉に朱乃も頷く。
「どこも同じか。ウチもそうだったし、ここも同じみたいだしな。逆に言えばどこの学校もそれだけ『学ラン』に力を入れてるってことだ」
「……まあ部活動の目標を何に持っていくかは各自の自由だから文句をつけられないからどうでもいいけど」
と呆れ、興味がなさそうに続ける。
「と、言いたいところだけど……私も知らないうちに関係しているっていうなら一度は見ておいたほうがいいかも」
自分が美少女部門でトップという情報に自尊心をくすぐられる。だがそんな内面をおくびに出さない演技力は持っている。
「この地区に住んでて一度も見たことがないというほうがめずらしいけどな。まぁ新聞部の部室に行けば売ってくれるぞ」
「お金とるの!?」
「ああ、一部五百円」
「高! なにそれ?」
「そうだよね、割高だよね~。でもそれなりのちゃんとした本なんだよ」
「いや、そういう問題じゃなくて、人任せのランキングを集計したものにお金儲けするってのおかしくない?」
当然のように言う朱乃と椋だが、ひかりには理解できなかった。
「単にランキングだけじゃないんだよ。カラーだし、写真も載ってるし、……なんて言えばいいのかな?」
「最も身近な情報発信誌ってヤツかな」
「そう、それ! 椋くん! うまいこと言った!」
椋の助け船に朱乃は大いに手をたたいて反応する。
「五百円分の価値は十分にある情報発信誌なのよ」
「……まぁいいけど」
自分が話題の中心にいるくせにまったく関わってなかったせいか、力説する朱乃の言葉がひどく遠くに感じられた。
「ってことは二人は持ってるんだよね? 見せてよ」
「まぁそれが妥当だろうな」
百聞は一見にしかず。一度見せたほうが話が早い。
「如月、お前今日持ってる?」
「ううん、もう家だよ」
「俺もだ。……まぁ探せば何人か持ってるヤツいるだろう。聞いてみるよ」
「そうしてくれるとありがたいわ」
とりあえず椋に礼を言うとひどく嬉しそうな顔をして応える。
「おう、まかしとけ」
――日常。数年後には会話内容のほとんどを忘れるたわいのない、それでも楽しかったという思い出だけは色あせず残る日常。
三人はその意味を知らぬままいつものように学校に向かった。