6.アリス
ボルドのモーニングコールで目が醒めた。いや、アフタヌーンコールか。
眠っていた時間は大体15分程だったが、昼寝というものは清々しくて気分が良い。
体の疲れがリセットされたみたいだ。
馬車は全て伯爵邸の庭に止められていた。一つの馬車に5人くらい乗ってここまで来たみたいだ。
商品として扱われていたその人たちは、枷の無い自由な景色に感動していた。
ドードリエンドの罪は重い。死刑とかそう言うレベルの刑を受けるのは当然の事だろう。
まあ俺は裁判とかには関わらない。そういうのは伯爵とボルドに任せて、冒険者はおとなしくしているのがいい。
ボルトが伯爵を呼んで戻ってきた。伯爵は少し驚いた表情をしたが、直ぐに状況を把握して、俺に「手を出してしまったのか」と質問した。少し呆れ気味に。
それでも伯爵は快く奴隷達を受け入れてくれた。女性はメイドとして引き取り、そして男達には仕事と宿を用意して、直ぐに向かわせた。
この早急な対応もボルドが自警団にお願いして、今回の件を前もって伯爵に知らせてくれたおかげだ。
伯爵の手際の良さには驚いた。貴族としての威厳を持ちながらも、人間としての優しさと強さを持ち合わせた人なんてそうはいない筈だ。
バルザード伯爵の人望が、あれば元奴隷の人達も、町に馴染めると思う。そこも伯爵に任せて問題ないだろう。
というか、後始末は殆どボルドと伯爵に丸投げである。
そして俺とアリスは伯爵邸の一室をまた借りた。とりあえず今日だけは泊まらしてもらう事にしたのだ。
俺もこの町に来てまだ2日目で、宿も当然決まってない。これから宿を探すとなると、しんどいのだ。
その為伯爵のご厚意に存分に甘える事にした。
まずはアリスを風呂に入れようかな。
「アリス、風呂入ってきなよ」
「うん!エレンお姉ちゃんと入る!」
え?いやそれは流石に厳しいよ!
だって自分一人で風呂に入るだけでも、あんなに苦労したのに、自分以外の女の子と入るとなると覚悟が違う。
「それはできないよ」
「え・・・私の事嫌いなの?」
やめてやめて!涙目はやめて!ずるい、そんな顔されたら断れないじゃん。
「わかった!入ろうか!」
「やったあ!!」
昨日より深く深呼吸する。心臓がバクバクしているのがよく分かる。
まだ育ちきっていない幼さの残る体系ではあるが、それが返って罪悪感をうむ。
しかし、罪にはならない。俺は女だし、アリスは俺と入りたいと言っている。
それなら問題は無い。筈だろ?
アリスが先に服を脱いで、お姉ちゃんも早くと急かしてくる。
幼女のくせに俺より胸があるってどういう事だよ!少し悲しくなるじゃないか!
アリスは初めてのシャワーに大はしゃぎだった。
それにしても、この世界にシャワーがあるのかと疑問に思ったが、魔法が科学の代わりに発達しているこの世界では、当然あっても良い代物なんだろう。
その点においてはあまり考えなくても良いと思う。在るものはあるし、無いものはない。それで良いのだ。
汚れが落ちて真っ白に輝く白い髪は、雪みたいで綺麗だ。肌も同様に白くて綺麗。
俺の肌も白いけど、それ以上に白いアリスは、もはや妖精か天使だ。
「わあっ!肌が綺麗になった!」とアリス自身も驚いていた。
幼いアリスを奴隷商人に売った親には腹が立つ。
こんな純粋な子を金目的で、売るなど人間の所業じゃない。
もし、助けるのが遅れていたらこれまで以上に、酷い仕打ちを受けていたかもしれない。
自分の子供を何だと思っているんだと、本当に腹が立った。
普通だったら心が壊れていても可笑しくないのだ。それでもアリスは曇ることのない眼差しと、限りない笑顔で俺を見つめる。
こんな子をこれ以上泣かせるなんて事はしてはならない。
俺だけは、アリスの手を離さずに握ってあげようと思う。それが俺に出来る唯一の方法だ。
アリスの頭を洗い流して、ギュッと抱きしめる。小さくて柔らかいな。
「なに?苦しいよ」
「安心して良いよ。私はアリスを見捨てないから」
「・・・うん。」
少し照れくさい。
前世の俺だったら絶対に言わない言葉だ。だけど、そんな照れ臭い言葉を言った甲斐もあって、アリスが嬉しそうに笑う。
それだけで十分だ。
風呂から上がると聞き覚えのある声が、コンコンというノックと共に部屋に飛び込んで来た。
「エレンさん着替えを用意しました!」
ドジっ娘メイドのアリシアだ。
ナイスタイミング!ちょうど着替えが欲しかった所だ。
「鍵開いてるから入って」
「はーい!失礼します」
アリスが警戒して俺の後ろに隠れた。
アリスはまだ俺以外の人は危険だと認識している。だから徐々に警戒を解いていかないと顔も見せてくれない様子だ。
「開けますね。昨日の服、破れたりしてたんで直しておきました!あとこの服がアリスちゃんの服です!」
アリスは名前を呼ばれた事に反応して俺の後ろから声を出す。
「なんで私の名前知ってるの?」
「ふっふっふ!お姉さんは魔法使いなんだよ!アリスちゃんの考えてる事なら何でもわかっちゃうんですよ!」
「すごーい!!じゃあ私が今何を考えてるのか当てて!」
「え・・・」
子供に慣れているのか、子供の興味を惹く事を言って、好感度を上げる作戦にでたドジっ娘メイドだったが、アリスの一言で、その作戦も崩れ落ちる。
そりゃ考えてる事が分かると言えば、じゃあ当ててみて、と言われるのは当たり前だ。
詰めが甘いとはまさにこの事。
アリシアは、しょんぼりしてアリスに謝る。
「ごめんなさい・・・嘘です。本当はボルド様に教えてもらったんです」
「お姉さん嘘はダメだよ!でも、お姉さんは私を笑わせようとしてくれたんだよね!ありがとう」
感動する程、良い子だ。それに比べて小さい子に慈悲を与えられているドジっ娘メイドは、何だか悲しそうである。
「エレンさん・・・この子貰って良いですか?」
「ごめん、無理」
「ですよね、あはは」
可愛いは正義。という言葉の通りアリスの可愛さは絶対的な可愛さなのだ。アリスのお願いなら何でも聞いてしまいそうである。
自分を制御しなければ、アリスに主導権を握られてしまうかもしれない。
まあそんな子じゃないのはわかってるけどね。
洗濯に出していた服は、すっかり綺麗になっていた。
アリシアの言っていた通りスライムに溶かされた所とか、ボルドに裂かれた所とかが、新品同然に直されていた。
ドジっ娘のクセにいい仕事しやがる。
そしてアリスの服だ。アリシアのセンスは確かに良い様で、アリスの容姿にあった可愛い服を選んでくれたみたいだ。
白い髪の毛に合った純白でシンプルなワンピース。
アリスという素材を十分に理解した上で、あえてシンプルにコーディネートしてくれたみたいだ。
アリスも気に入ったみたいで喜んでいる。
どうやらこの一連の遣り取りで、アリシアへの警戒は解けたらしくアリシアにもすっかり懐いてしまった。
アリシアは慣れた手つきで、アリスの髪をとかしている。
綺麗な髪が更に艶々で美しくなった。
それから直ぐにアリシアは、他のメイドに呼ばれて出て行ってしまった。
今も忙しそうだが、これから後輩メイドが増える事だし更に忙しくなるだろう。
ドジっ娘でもめげずに頑張って欲しい。
グゥ〜と大きな音がなった。アリスのお腹の音だ。
アリスは少し恥ずかしがって小さな声で「お腹すいた」と呟いた。
痩せ細ったアリスの体からは、栄養が不足しているのは一目瞭然だった。
なるべく栄養価の高い物を食べさせたいが、俺には料理の知識が皆無だ。
今日の所は伯爵邸の料理人が作った物を食べれば良いのだが、明日以降はどうにかして自分で確保しなければいけない。
食事は全て外食という手もあるが、それこそ栄養が偏ってしまう。
異世界転生を機に料理に関心を持って取り組むのも悪く無いかもしれないな。頑張って料理の腕を鍛えようかな。
とは言え、それは明日以降の話だ。
今の所は、料理を待つしかない。アリシアも、直ぐに料理が到着するはずだと言っていた。
料理を待っていると、コンコンというノックの音がした。
やっと到着か!俺もアリスもお腹ペコペコだ。
ドアを開けると料理を持ったメイドでは無く、怖い顔をしたおっさん・・・ではなく伯爵が立っていた。
伯爵が自ら客人の部屋に出向くなど、よっぽどの事だ。
それに執事も連れずに来ると言うのは、かなり信頼されている証拠だと思う。
伯爵の要件は、食事をしながら話をしたいので、一緒に来て欲しいとの事だった。
それくらいの事なら執事に伝言してもらえば良かったのだが、伯爵なりの誠意というものだろう。
断る理由も無いので行く事に決めた。
アリスは少し嫌々だったが、お姉ちゃんが行くならと付いてきてくれた。
移動中伯爵は一度も口を開かなかった。
大きなテーブルが置かれた部屋に案内された。
テーブルには様々な料理が並べられている。そこから適当にお皿に取って食べるという方式らしい。
バイキングみたいな感じで、何だか楽しくなってきた。
アリスは机に広げられた料理に釘付けで、ヨダレが垂れている。
もう我慢出来ないと言った感じで、今にも飛びつきそうだ。
「よし。食べていいぞ!アリスと言ったか。存分に食べると良い。」
「うん!おじさんありがとう!」
おいおい!伯爵をおじさん呼ばわりするのはやめてくれよ!
まあ伯爵は笑っているから、問題はないと思うけど心臓に悪い。
「エレンも食べると良い。話とは言ったが、何もかしこまる必要はないぞ!」
「そうですか。では、お言葉に甘えて」
うまっ!!この肉美味いよ!
バンキング方式で、しかも一流の料理人が作った料理だ。不味いはずは無いのだが、美味すぎる。
今まで食べた料理の中で一番美味いぞ!でも、米が無いのが惜しい。
日本人の主食はやはり米だ。米が無いと食べた気がしないというものだ。
文句を言っても米は出てこないのだが、これだけは譲れない。
アリスも幸せそうだった。リスみたいに頬を膨らませて、せかせか食べているのが可愛くてしょうがない。
それから伯爵が酒を勧めてきた。
「お主はいける口か?」
酒は呑んだことが無いな。前世は高校生。未成年だったので酒を呑む機会が無かった。
興味は勿論あったが、呑まずに死んでしまったのだ。
伯爵が勧めてくるのだから、この世界で、今の俺の見た目的には呑んでも良いという事だろう。
それなら存分に呑んでやる。
「呑んだことは無いです。だけど、呑んでみたいと思ってました!」
「それなら呑め!」
香り高い果物の匂い。
「これは?」
「果実酒だ!私の農園で採れた果物を使ったものだ!美味いぞ!」
「頂きます!」
ゴクリとグラス一杯の果物酒を吞み干す。
変な感覚だ。美味しいけど、普通のジュースとは違った味わい。
ブドウに似た味で呑みやすい。
何だか体が熱くなったような気がする。
「美味しいれすね」
「おいおい!まだ一杯目だぞ。もうう酔っているのか?」
「酔ってないれすよぉ」
あれ?呂律が回らないな。頭がフワフワして考えが纏まらない。
もしかして俺、酒にすこぶる弱いのか?初めてとは言え一杯で、ここまで酔うというのは酒に弱い証拠だろう。
「エレンお姉ちゃん顔赤いよ」
アリスの声だ。何だか凄くアリスを撫でたくなってきた。
俺は隣にいるアリスに寄って撫でまくって、抱きしめまくった。
酒を呑んでも、酒には呑まれるな。という言葉の意味がよく分かった。
今の俺は、完全にウザいオッサンだ。
「もお!エレンお姉ちゃんお酒臭いよ!」
「えへへ。そんな事無いよ」
「嫌だ!!」
「え・・・」
嫌だ!とアリスに怒られたのが、酷く寂しく感じて涙が出てきた。
酒に弱くて酒癖悪いというのは、かなり絶望的じゃ無いか?
周りに迷惑を掛けるし、感情が爆発して自分を抑えられない。
いつもだったら、嫌だ!の一つくらいどうって事は無いのに今は酷く辛い言葉に感じる。
アリスは優しい子だから直ぐに俺に近寄って頭を撫でてくれた。
「泣かないで!エレンお姉ちゃんの事、本当は大好きだから」
幼女に慰められてるなんて恥ずかしいな。伯爵も呆れて笑っている。
だけど、人に頭を撫でられるのは何年ぶりだろうか。これも恥ずかしい事に心地良くて安心する。
18歳にもなる俺がこう思うのなら、アリスとかはもっと心地よく思うのだろう。
それならばこれからは定期的に頭を撫でてあげる事にしよう。
伯爵が俺に尋ねて来た。
「お主がアリスを引き取るのだろう?」
酒のせいで思考は纏まらなかったが即答する。
「もちろんだよぉ」
「そうか。それならば報酬を少し上乗せしておこう」
「それはらめれすよ!私は自分の手れアリスを幸せにするんれすから」
纏まらない思考で考えた結果がこの答えだ。
確かにここで伯爵から大量に報酬を貰っておけば安定した生活は約束されるだろうけど、それじゃ俺が納得出来ない。
人に用意された幸せなど、俺は求めていない。自分勝手な考えではあるけど、俺は決めたのだ。
自分達で稼いだ金で幸せになってみせると。
伯爵は呆れ気味に言った。
「そうか。ならばボルドの件の報酬はどうする?」
「それもいらないれす!」
「はぁ。お主は阿呆なのだろう。普通の人間だったら、間髪入れずに欲しいと言うのだがな。お主がそう言うならあの報酬の9割は、今回の被害者たちに回そう。そして1割はお主の物だ。断る事は出来ないぞ。」
頭を縦に振って了解を示した。はい!と言おうとしたが声が出ない。
疲れた。眠い。子供の様だが、今回は許して欲しい。
酒のせいなのだ。酒が俺を酔わせたのが悪いのだ。
「エレンお姉ちゃん寝ちゃったみたい」
まだ少し意識がある中に飛び込んで来た声はアリスの声だ。
その後に伯爵の声がした。
「アリスよ。お主はエレンで良いのか?」
「うん!エレンお姉ちゃんは、私と一緒にいてくれるって言ってくれたの。嬉しかった。だから、私はエレンお姉ちゃんとずっと一緒なの」
「そうか。それならば良い。もう料理は良いのか?」
「うん!美味しかった!」
「それは良かった。アリシアはいるか?」
「はい!何ですか?」
「エレンを部屋まで運んでやってくれ」
「分かりました!アリスちゃんも付いてきて!」
その会話を聞いて深く眠ってしまった。
酒を呑む事は当分ないだろう。直ぐ寂しくなって、直ぐに嬉しくなる。めんどくさい飲み物だ。