40.壊れた心
今回は、ニア視点が多いです。
真祖は<魔力障壁>に入ったビビを眺めながら、とある疑問について考えていた。
それは創造された時から抱いていた疑問で、真祖にとって最大の疑問であった。
"何故、創生の魔女は、私を創造したのか"
長い間、真祖はその疑問を抱いていたが、考える事は無かった。いや、考える必要が無かったのだ。
自分の存在は人間を蹂躙する事で証明出来たし、強い相手と戦う事で喜びを覚えた。
それは間違いなく生きる意味だった。
しかし、先日の戦いで初めて考えさせられた。4人の哀れな冒険者は絶望を抱いていながらも、真祖という強大な敵に立ちはだかった。
4人で戦う事で、微かだが勝率は上がった筈だ。しかし、ガレリアという男は他の者を逃して、1人で戦う選択をした。
何故1人で戦うのか。4人で戦っていたのなら、まだマシな戦いにはなっただろうに。
その確率を零にするなど、愚かとしか言いようが無い。
そこで考えた。私はこの男を殺す事で、何かを得られるのではないだろうかと。
戦う事で自分の存在を定義して来た真祖にとって、戦いに意味を問う事など無意味に過ぎなかった。
それなのに今更になって戦う事の意味について考えてしまっていた。
「くだらない」という言葉は、虚空に浮かび上がって直ぐに消えていった。
結局の所、この疑問の答えは見つからなかった。
そもそも魔女の考えなど判る筈も無い。魔女は人間ならざる者として語られる事が多いが、紛れもなく人間なのだ。
人の心を持っているが故に理想を願い、理想を手に入れる為に魔を追求したのが魔女である。それを人と言わずに何と言うのだろうか。
人よりも人らしいその存在の考える事など、人間の情を多少は持ち合わせているだけの傀儡風情に到達理解できる筈がない。
初めて自分が無能であると感じた。人間を蹂躙する事で、全てを手に入れる事が出来た私に唯一手に入れられない物が、まさか見下していた人の心だったとは馬鹿馬鹿しい話である。
1人で笑ってしまった。愉快だ。戦う事以外でこんなに楽しいと感じたのは初めてだ。
真祖は妖しい笑顔を浮かべて、冒険者達がやって来るのを心待ちにしていた。
愚かで無知な人間に微かな興味が芽生えたのはこの時である。
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静か過ぎる邸内は気味さ醸し出していた。
広い邸内に蔓延する濃い魔力は、様々な感覚を狂わせる。
自分がどっちの方向から来たのか、どっちの方向に向かおうとしているのかが、分からなくなってくる。
これは<除魔の波動>でも消す事のできない濃度だ。
辛うじて俺たちには<魔力探知>を使える者が、2人も居る。
その一人であるミラに関しては、広範囲かつ正確に魔力の感知と区別、更にマーキングも出来るらしく、一度捕捉したら見失う事は無い。
頼もしい限りだ。
エリザ達によると、前回はここまで濃く魔力を蔓延させていなかったらしい。
魔力による方向感覚の狂いに惑わされるくらいの相手には用は無い。という事だろうか。
考えても仕方が無いのだが、色々と考えちゃう。
ミラとニアは、お互いの探知により相手の位置を既に把握していた。ニアが驚いたのは前回と部屋が同じだという事だ。
前回の戦闘時と、全く同じ部屋に真祖の魔力を強く感じていた。
その行為にニアは腹を立てていた。完全に舐めている。
罠という可能性は無い。それは確信していた。
歯が砕けそうな程食い縛り、血が薄っすらと垂れた。
俺はそこまでの怒りを知らない。このままニアを戦わせて良いのかも分からない。けど、戦わないという選択は無いのだろう。
吐き気がする程、憎いその存在に近寄るにつれて膓が煮えくり返る思いだった。
それは他の2人も同じで、いつも温厚なエリザは鬼の形相で、眉間に皺を寄せていた。
リクは拳を強く握るあまり掌から血を垂らしていた。
ニアはその光景を目にして安心した。自分だけが怒っているのではなく、みんな同じ怒りを共有しているのだと感じたからである。
リーダーであるガレリアを失ったとしても、私達は今まで通りパーティーであるのだと思えた。私は救われた気分だった。
そして、ゆるぎない決心をした。仲間のまま死んでしまおうという覚悟だ。
恐らくガレリアの仇を討つ事に成功したら、このパーティーは解散となる。それぞれがそれぞれの道に進む未来を選ぶ。
根拠や理由、そんな物は無いけど、長年一緒に居たのだから分かる。
私達はガレリアというリーダーに付いて来たガラクタ。
そのリーダーを失った今、一緒にいる理由がなくなってしまった。
仲間だから一緒にいるとか、ガレリアがそう望んでいると思うからとか、そういう事じゃ無い。
ガレリアが居たから、そこに居ただけなんだ。
だから私は確信を持って言える。この戦いが終結したら、パーティーは解散になる。
私は今が・・・いや違う。今までの人生が一番楽しかった。みんなと苦しくても笑い合えたあの一時が、私の全てだった。
それを失ったのなら未練はもう無い。仇を討ってそのまま安らかに眠りたい。
楽しい時間なんて直ぐに過ぎて行くのは、知ってた。つまらない時間を乗り越えた先にまた楽しい時間が訪れるのだとしても、私はそれが待てる程、我慢強くない。
だから、楽しい時間が過ぎたら、その時間と一緒に消えてしまう事を私は望む。
真祖が陣取る扉の前で、深呼吸をした。もう死が怖くない。私は、いつでも死ねる。
「着いたよ。扉の向こうに真祖はいる」
そう告げた後に疑問に思った。何故、扉があるのだろうと。前回ガレリアが扉を蹴り破った筈なのに。
部屋は同じ位置であるのは間違いない。扉をいちいち直したのだろうか。直す意味があったのだろうか。
その疑問に対して答えは直ぐに返って来た。
扉の上の方に目を向けると、懐かしい面影があった。赤い髪の毛のずっと一緒に居た人の顔が、そこに埋め込まれていたのだ。
ニアは後ろに吹き飛ばされたかの様に尻餅をついた。声にならない悲痛の叫びが、喉の奥から這い上がってくる。
苦しい、苦しい、苦しい。脈動は激しさを増して破裂寸前だった。
考えは纏まらないし感情が溢れ出した。際限なく漏れ出す憎悪が、真祖を許すなと囁きかけてきた。
そんな声を聞かずとも、許す気は無い。
神官であるニアは唯一神である女神メリダに誓った。
必ず悪鬼を討ち亡ぼすと。だが、神官であるニアの力の根源は純粋な心だった。
怒りや憎悪による祈りは女神に届かない。その事を十分に理解していたニアでさえ忘れてしまう程に信仰心よりも、憎悪の方が強くなっていた。
エリザとリクはニアに比べて落ち着いていた。
扉に浮き上がるその顔をガレリアだと認識出来ていなかったのだ。
いいや、認識していたはずだった。しかし、それを認めてしまうと心が崩れてしまうから、認めない様に目をそらし続けた。
扉に浮かび上がる顔は、錯覚であると錯覚して、平常心を無理矢理保とうとしていたのだ。
バキバキと心に亀裂が走る音を耳を塞ぐ事で聞こえないフリをした。
目から落ちる涙は、きっと悲しいからでは無く仇を討てる事が嬉しくて流れているのだと思い込んだ。
「さあ、行きましょう。ガレリアがこの先に待ってる。早く助けてあげましょう」
「そうだね。私達が助けるんだ!」
「ははは。余裕さ!」
俺は恐怖を感じた。扉の向こうに居る真祖にでは無く、目の前にいる冒険者達にだ。
それぞれの鎧の上に憎悪という鎧を纏って、真祖より邪悪なオーラを放っていた。
3人はその事に気がついていないのだろうが、俺には明確にそれが見えている。
見ているだけでも十分に辛い。俺が辛いのなら本人達はどの位辛いのか・・・予想も出来ない。
扉を静かに開けて中に進んだ。
美しく輝く赤い瞳はルビーが光を浴びた様であった。純白の髪の毛は、王都で見た清潔感と同じものを感じる。
美しい顔立ちで、妖しく微笑むその男が真祖。
真祖は俺たちに驚く事もなく笑って冷静に声をかけてきた。
「せっかく生かされたその命を捨てに来るとはな。あの男も救われないだろう。私はあの男に敬意を表して、あの男の肉体を使って扉を作ってみたのだが、良い出来だと思わないか?」
真祖の言葉の意味が理解できなかった。あたかも自慢しているかの様に言っていたが、そんな筈は無い。
ガレリアの血肉で作った扉をエリザ達に自慢するなどありえない話だ。
どんな思いでここまで来て、どんな思いで扉を見つめていたのか真祖には理解出来ないのだろう。
そもそも理解出来ていたのなら、あんな残酷な惨状を作り上げる事は出来ない。
俺は勘違いをしていた。人間が作った真祖には人間らしさが多少は在るものだと思い込んでいたが、目の前にいるこの鬼には、心など有りはしない。
エリザは真祖の冷ややかな声に吐き気を催した。
真祖は一番言ってはいけない事を口にしてしまったのだ。
あと少しで壊れそうな心に追い打ちを掛け、粉々に破壊してしまったのだ。
エリザの心は重要な機能を失ってしまった。失わずに済んだ機能は怒りと憎悪と歓喜だけだ。
理性などはとっくに蒸発して、狂気的な笑みが滲み出ていた。
嬉しいから笑うのでは無く、悲しいから笑い、苦しいから笑い、憎いから笑う。
エリザの心は壊れてしまった。
ニアの耳には何も届いていなかった。
周りの声なんてどうでも良い。今はただ目の前の悪鬼を討ち亡ぼす事だけに尽力する。
私は冷静だ。冷静に相手を叩き潰すのだ。もう耳なんて必要無い。音なんて聞こえなくても良い。
ただ悪鬼を殺すだけで、私の心は満たされる。
リクは込み上げてくる怒りを鎮めようと自分の指をかじった。
心を落ち着かせる時は、程良い痛みを与えると楽になる気がする。
昔から怒りを覚えた時は人差し指を軽く噛んで心を鎮めていた。だから今回もそれと同じ様に指を噛んでみたが、いくら噛んでも怒りが和らがない。
ついつい力を入れ過ぎてしまい肉が千切れて血が出てきた。
それでも心は静まらない。死にたくなる程の怒りが何処からともなく溢れ出て来た。
もう死にたい・・・殺したい・・・。
真祖の言葉は3人の心を壊すのに十分過ぎる程の効果を発揮した。
これまでの3人のオーラとは打って変わって、黒くドロドロとしたオーラに豹変した。
この異常さにミラは兎も角、アリスまでもが気がついていた。
ミラは3人から少し距離を取って、3人の動きを伺った。
アリスは怯えながら俺の後ろに隠れる。
状況は最悪だ。心を壊された3人と連携を取る事は困難だと考えられる。
それぞれが勝手な動きを始めて、お互いの邪魔をする未来が目に見えていた。
そんな戦い方では勝ち目は無い。どうにか冷静さを取り戻さないといけない。
まずは目を覚まさせる。それならフレートが最適だろう。
「絵本の世界。ハーメルンの笛吹き男。あの冒険者達の心を鎮めてくれ!」
「任せな!」
状況を一瞬で把握して、二つ返事で了承してくれた。
フレートの笛の音は邸中に響き渡り、エリザ達の理性を多少は回復させてくれた様だった。
それでも正常に戻る事は無く、辛うじて俺の声に耳を傾けてくれる程度だ。
「3人とも連携をする事だけは忘れないで!真祖を倒す為には必要な事だから!」
頷く事はなかったが、理解は出来ている様だ。
そんな俺達を眺めて、真祖は満面の笑みを浮かべた。
「ククククク。貴様らの攻撃では届かぬ。しかし、貴様は何者だ?可笑しな魔力だ」
真祖は俺の方を指差して尋ねて来た。答える義理は無いが、答えてやる事にした。
「私はただの冒険者!」
真祖は驚いた様子で俺の顔を見つめた。
顔に何か付いているのかと思ったが、こんな状況で真祖がそんな下らない事を気にする筈はない。
それなら何に驚いているのか。
「ククククク。まさかこんな所で会えるとは思ってもいなかった。少々事情がある様だが面白い。それに魔女の素質を持つ者までいるとは。まさに僥倖。私は運が良いらしいな」
意味深な事を呟いているが、何にそんな興味を惹かれて居るんだ。
ミラに興味を惹かれるのは分かる。真祖の言葉の通り魔女の素質があるのは間違いないのだ。魔女の娘であるのだから当然の話である。
しかし、俺に対しても同じ位の興味を示していた。
勿論だが、真祖と以前に面識があった訳では無い。それなのに真祖は俺の事を知っている様な口ぶりだった。
悪寒がする程、不気味に感じた。
「私はお前を知らないけど、どっかで会った事ある?」
妖しい笑顔を浮かべながら、目を細めて言った。
「いいや、会った事は無いがずっと会いたかった。」
話が見えない。会った事は無いけど会いたかったとは意味が分からない。
何を企んでいるのだろうか。もしかしたら会話をする事によって相手を操る能力とかがあるのかも知れない。
ルキウスさんから聞いた能力にそんなものは無かったけど、新しい能力に目覚めていても可笑しくは無いのだ。
これ以上の会話は避けた方が良い。
こちらの動きを他人事の様に眺めている真祖に対して、最初に攻撃をしたのがニアだった。
ニアは神官という特殊な役職で、自分が信仰する神に祈りを捧げる事により様々な魔法を使用する事が出来る。
ニアは光属性の上位属性である聖属性の魔法を繰り出そうとして祈りを始めた。
それはニアの正義感の強さから来る清く正しい魔法である。
ニアは祈る。
「女神メリダよ。かの悪鬼を滅する為にその聖なる光を授け給え。<神聖なる光の矢」
ニアの祈りは女神メリダに届いた。しかし、金色の光を帯びた光の矢には、黒く汚い何かが混ざっていた。
美しさを欠いたその魔法からは最早"神聖"が消えていた。
ニアは失望した。怒りと憎悪に支配されるがあまり女神メリダへの祈りに不純なものを織り交ぜてしまった事に気がついたからだ。
しかし、ニアの意思とは関係なく光の矢は真祖に向放たれた。
あんな汚いものを放ってしまった自分は、女神メリダを信仰する者として最低な存在だ。
神官である事が恥ずかしく思えた。
女神メリダは私の祈りを受け入れたのでは無かった。全くの逆だ。私の祈りに対して反発したのだ。だから私の魔法に闇が混じってしまった。
美しい筈の魔法を汚してしまった事が、どうしようもなく不甲斐ない。
しかも矢は真祖の<魔力障壁>に弾かれて消えていった。
真祖は嘲笑してから、<閃走>を使用してニアとの間合いを一瞬で詰めた。
皮肉にもガレリアの姿を真祖に照らし合わせてしまった。
「貴様は愚かだ。神官でありながら祈りを怠った。あれ程汚らしい信仰魔法は初めてだったぞ!」
そう耳元で囁かれたニアは発狂して、真祖に対して無詠唱で光属性の魔法を数回放った。
「死ね!死ね死ね!近寄るな!近寄るな!ちかよ・・・うっ!?」
魔法は全て弾かれ、ニアの腹部を真祖の手が貫いていた。
手を引き抜いた所から、血が止めどなく流れ落ちる。
「私は汚いものが嫌いなんだ。あの様な汚らしい魔法は私に対しての侮辱でしか無い。本来であれば、消し炭にしてやる所だが、今回は特別だ。形は残してやる。しかし、血を吸ってやる気は無いぞ。私は汚いものに興味はないからな」
痛みで声が出ない。さっきから自分に<ヒール>を繰り返し使っているのに血が止まらない。
何故だか涙も止まらない。私は元々死ぬ予定だった。そう決意していた筈なのに涙が止まらない。
何でだろう。私は望み通り皆んなと仲間のまま死ねると言うのに止めどなく赤い涙が流れて落ちていく。
仇を討つ前に死ぬのが悲しいのか?それとも今頃になって死ぬのが怖くなったのか?
もしかしたら、これは嬉しいから泣いているのかも知れない。
これからガレリアに会えると思ったから、嬉し涙を流しているのかも知れない。
痛みが、消えて行く。周りの音は遠のいて、辛うじて開いていた瞼が落ち始めた。
瞼の奥に広がる暗闇に希望は無かった。寂しさだけが残るただの暗闇。寂しいという言葉すらその空間には浮び上らなかった。
私はガレリアの様に有難うなんて言えない。そんなに強く無い。
だけど楽しかった。それだけは自信を持ってはっきりと言える。私は幸せだったんだ。こんなに良い仲間と出会えて。
私は、今どんな顔をしているだろう。安らかな笑顔を浮かべていたら幸いだ。全然悲しく無いのだから、涙だけは浮かべていない筈だ。




